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第二話 伝染

 姫川さんとなぜか私は友達になった。突然、唐突に、そして意外なほど当たり前のように友達になった。要するに言いたいことはただ一つ、おかしくない? ってことだけ。


 そんな私は夕暮れ時の道を歩いていた。住宅街の中だから、夕食の美味しそうな香りが鼻を突き、私のお腹を誘ってくる。街灯はあったりなかったりだからちょっと急がないとかな……急ぐ用事もないけれど。だって私に帰ってから話すような人なんて。


 はぁ……私って馬鹿。バーカ。いきなりクラスの雰囲気が良くなって浮かれているだけ。


 私は自分の手を握った。姫川さんみたいにすらっとして綺麗な手じゃない。

 握りこぶしを空に掲げる、なんてね。私はそのこぶしをそっと解き、だらんと力を抜いた。冷たい空気が私の指の間を通り抜け、熱を奪っていく。


「どうしてこうなったのかなぁ?」

 と私は呟き、足を進める。


 そんなことを繰り返していると、いつの間にか家の前についていた。


 一般的な一軒家で、特筆すべきことは何もない。お父さんもお母さんとも、私はそこそこ付き合ってて、生ぬるい空気がいつも家の中を覆いつくしている。


 私はカバンからカギを出し、カチリとドアを開けた。


「ただいまー」

「……おかえりー。手、洗いなさいよ」と、リビングから声が聞こえた。


 分かってるって。


 私は言われた通り手を洗い、冷蔵庫に入ったお茶をコップに注いだ。リビングダイニングになっているから、お母さんが頬杖をつきながらテレビを見ている姿が見える。今日の食事は遅くなりそう。

 テレビでは赤いテロップがずっと流れて、偉そうな人が会見をしている様子が映っていた。いつも思うけどフラッシュって眩しくないのかな? 私だったら目をつぶっちゃいそう。


 私はコップを洗面台に置いた。


 お母さんはやっと気が付いたのか、私に言う。

「帰ってきたなら言ってよ」

「何言ってんの? お母さんおかえりって言ったじゃん」

「……そんなわけないでしょ。そんなことより、手は洗ったの?」

「洗ったって」


 これだからお母さんは嫌い。いつもいつも自分が正しいと思ってる、言い間違いをした時だって私が悪いみたいに言ってくる。


 でも、ここで言い合ったところで何にもならない。私は階段を上り、二階の自室へそそくさと入り込んだ。ドアが閉まり、小さく音が鳴る。私はとりあえず荷物を投げ捨ててベッドに倒れ込む。壊れかけのスプリングが申し訳なさそうに体重を支えてくれる。


 ……疲れた。今日はいろんなことが起きすぎてるんだって。


 お母さんは普通だったけど、学校は絶対おかしかった。あんな風に仲良くするようなクラスじゃなかったって。でも、もしかしたら理由があるのかも……私の知らない場面で何かあったのかも。はぁ、分かんないよ。


 私はポケットからスマホを取り出した。


 窓から差し込んでくる夕日は段々と薄くなり、私の顔が暗い画面にはっきりと映し出される。もちろんそんな顔見たくないので、私はさっさと電源を入れた。


「通知?」


 猫のホーム画面に、珍しい通知がぴょこんと出てきていた。

 思わず声が出てしまうほど私に通知が来るのが珍しい、正確に言えばメッセージアプリの通知は、だけど。

 私はそれを押した。パスワードをすっと解除し、画面を映す。


【今日は変だったね:姫川】


 私、姫川さんと交換したっけ。いやいやいや、してない。絶対にしてない。画面を隅から隅まで確認してみたけれど、そこにはグループラインを指し示す証拠は一切なく、私と姫川さんが個人的に連絡を取り合っている事実だけがそこにあった。


 文化祭、はまだだし。一日研修の時は全然違うグループだった。私と姫川さんが交換するなんてありえないんだって。

 私は上に画面をスクロールしてみた。


【勉強教えてよ:ME】

【全然いいよ! 私の家でいい?;姫川】

【大丈夫:ME】


 私の手からスマホが滑り落ちた。力が抜けた、小説のように力が抜けることなど今まで一度もなかったのに。

 え? もしかして私記憶喪失だったりする。私が姫川さん家に行くくらい仲が良くて、勉強を教えてもらうほどの人間だったってこと……ありえないって。


 私は眼をこすった。そして再び文字を見つめる。ホラーみたく文字化けしたりせず、私が送ったらしい文字はデータとしてどこかに保存されていた。スクロールする指が止まらなくなり、私は最後の最後まで見ることになってしまった。


 一番最初、私たちの会話は入学式の私が望んでいた通り――


【今日からよろしくね:姫川】

【よろしくお願いします:ME】

【ちょっと固いよ:姫川】

【お願いします!!!:ME】

【よろしく:姫川】


 あ、あぁ。


 私は指を止めた。しばらくすると画面が暗くなり、私の顔がくっきりと映し出される。眼鏡で、不細工で、そして長くする勇気のない髪。窓から見る空は暗くなり夜が広がっていた。そのまま私を飲み込んでくれればいいのに、こんな夢あり得ないよ。あり得るわけないじゃん、だって昨日までの私は変わらなかったんだから。


 私は部屋の電気をつけようとベッドから体を起こした。眩しい光が私の目を刺しつくし、視界を狭めさせる。そして私がカーテンを閉めたとき、一階からお母さんの声が聞こえた。


「ごはんー!」

「分かった!」と私はドア越しに返事を返す。スマホは見たいけど、食事中に見るなんてダメだし……

 私はスマホを充電器に挿し、さっき付けたばかりの部屋の電気を消した。階段を降りている間もお母さんが私を呼ぶ声が聞こえる。

「分かってるって」

 やっぱりお母さんのことはあんまり好きじゃない。でもさっきまでテレビを見ていたのにもう夕飯が出来たのかな。


 私はリビングダイニングへの扉を横に開いた。

 目の前にはダイニングテーブルと三つある椅子。

 テーブルの上にはご飯。湯気が立ち上るお味噌汁、そして副菜がいくつか並んでいた。香りが食欲を掻き立てる。それに、どれも美味しそう。


 そして椅子に座っているお母さんは振り向き、私を見た。

「食べよ」

 ニコッと笑みを浮かべるお母さん。いつも仕事でイライラしているのか不機嫌ばかりだった……たまにはこんなことがあってもおかしくはないよね。


 私はお母さんの前に座った。手を合わせ、「「いただきます」」と言う。


 ご飯に手を付けると、これまたフワフワとした感触で明らかにいつものお米とは違っていた。お母さんは一向に手を付けようとしない私に言う。


「今日はちょっと高めのお米を買ってきてみたのよ」

「そっか」


 私は恐る恐る口に入れる。すると自然な甘さと艶のある米粒を下で感じた。舌馬鹿ってほどじゃないけど、そんな私でも分かるくらい違いが分かった。いつも買っている最安値のものとは全く持って違う。いきなりどうしたんだろう。


「お母さん、良いことでもあったの?」

 お母さんはお味噌汁に喉を鳴らした。

「何もないわよ。それに最近はいつもこんなものでしょ?」

「そうだったっけ?」


 ()()()と言ったり、()()()と言ったりもうよく分からない。とりあえずお味噌汁を飲んで落ち着こう。変な間だと思ったけれど私は正解が分からなかった。そうだよねと肯定すべきか、それともいつもこんなんじゃなかったよと否定するべきか。


 私が箸でお味噌汁をかき混ぜていると、お母さんは箸をテーブルに置いた。

「どうしたの、学校で何かあった?」


 私の箸が止まった。


 お母さんが私を見つめているのが分かる、それも本当に心配している視線が私に刺さる。

 私はさっきまでお母さんがいたリビングを見た。カーペットの上にクッションが置かれ、まるでずっと使われていなかったかのようにクッションはフカフカな状態を保っていた。


 言えない私にお母さんは続ける。


「お母さん、何でも聞くよ」

「何でも?」

 その人は頷いた。

「もしかしてお友達と喧嘩でもした? 学生の内ならそんなことあるわよ。お母さんだってお父さんと喧嘩したりもよくあったでしょ」

「あった……ね」


 よくあったなんてもんじゃない。ほぼ毎日、今日は大丈夫と私が思ってもどうでもいいことで喧嘩し合う。だから夕飯の時お父さんがいないんじゃない。私はそう叫びたかった。私の知っている事実を突きつけたかった。


 でも、私はお米を箸でつかみ取った。


「お母さん、お友達とかやめてよ」と私は言った。

「ごめんごめん。それじゃ、お友達とは何もないのね?」

「無いって言ってるじゃん」


 お母さんはくすっと微笑んだ。まるで母親らしく――もちろん実の母親だけどね。私はこの時間を壊す勇気を持ち合わせていなかった。もっと勇気があればいいのにと望んだけれど、それだけは与えてくれないみたいだ。私たち家族に流れていた生暖かい空気は、急激な温度変化を迎えていた。


 私は食事を終え、食器をシンクに置く。蛇口をひねって水に浸した。もし今の私が水に溺れていたら、いつ水は引いていくのだろうか。


 ……何言ってんだろ。詩的な考えは終わり。こんなもんだったって。


 私はリビングダイニングにお母さんを残し、二階の自室に向かった。電気をつけ、充電器に挿さったスマホを開く。ベッドに倒れ込むと、柔らかなスプリングが私の体を強固に支えてくれた。期待しながらホーム画面を開くと、新しいメッセージが届いていた。


【明日暇?:姫川】


 暇と言えば暇だけど……でもこの暇って何か誘われる暇だよね。何に誘われるか分からないし、姫川さんのキラキラグループで一緒に居れるわけないし。と、とりあえず返すだけ返せばいいよね。


【暇です:ME】と打ち込んだ。


 青いバーが点滅し、私に送信するのかまだ文字を書くのか判断を迫ってくる。

 私は、押した。もちろんと言うか、予想通りすぐに姫川さんの既読が付く。姫川さんはどう思っているのだろう。私が枕に顔をうずめて待っていると、くもぐった通知音が耳に届いた。


【土曜日だからどこかで買い物でもしようかなって。どう?:姫川】

 どうしよう……ここまで聞いちゃったし、断るなんて。

【大丈夫です。どこ集合ですか?:ME】

【址碑駅に十四時、いいかな?:姫川】

【分かりました:ME】


 あぁあ、決めちゃった。やり取りを交わして、そのまま勢いで行くって決めた。いつも使ってないからあのレスポンスに体が追いつかなくて……どうしよう。結局誰が来るのかとか聞くことが出来なかった。


 私はベッドから飛び起きてお風呂に向かった。湯船はためてないけれど、入りながら溜めればいい。とにかく今は一刻でも自分自身について考えたかった。


◇◇◇


 リビングで女がテレビを見ていた。娘のシャワーの音が小さく、本当に小さく聞こえる。

 しかしそんな音はテレビから流れる音によってかき消されていた。


「……先ほどは申し訳ありませんでした。今後このようなことがないよう、キャスター教育を一層強めてまいります。本当に申し訳ありま――ここの社長は何を考えているんだ。俺たちはずっと抵抗しないといけないんだよ! わかって……止めるな、とめ!!」


 プチ。


 テレビにはいつもの映像。白文字でしばらくお待ちください。

 その様子を見ていた女は立ち上がり、台所に向かった。食器を洗う音が断続的に聞こえる。


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