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沈黙なる正義  作者: ふぁい(phi)


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第1章 静かな逮捕

朝の光は街を染めていた。誰の顔も映さず、誰も見ないまま、正義は静かに動き始める。通りは異様な静けさに包まれ、歩く人々の足取りは慎重で、時間を延ばすように見える。鳥の声だけがこだまし、歩道の影を長く伸ばす。街全体が、何かを予感しているかのようだった。


高瀬 恒一郎は玄関で立ち、警察官二人を待った。淡々と告げられた任意同行に、ゆっくりとうなずく。言葉も動きも最小限。肩の力を抜き、視線は地面に落ちている。その沈黙は、長年の覚悟の重さを示していた。


通りを見ていたカフェの常連の老人は、目を細めて彼の姿を追う。通り過ぎる子どもたちは何かを感じ取り、母に引かれながら足を止める。OLやサラリーマンもちらりと視線を向け、誰も口を開かずに通り過ぎた。その空気すら、高瀬は意に介さず、助手席で窓の外を見つめていた。街全体の静寂が彼を通り抜け、その存在が沈黙を増幅していく。


桐山 恒一は事件ファイルを整理しながら、頭の中でシミュレーションを重ねる。完璧すぎる、いや完璧に見えるだけかもしれない。法の網にかからない何かが、ここにある。車内の静けさ、街のざわめき、すべてが緊張を増幅させる。


高瀬の意識は過去に揺れる。中学時代の教室で叱責と微笑みの記憶が交錯し、父の厳しい視線、母の小さな笑みが脳裏に浮かぶ。正しいことと人の感情は必ずしも一致しないことを、あの頃すでに知っていた。高校時代、友人が不正で追い詰められるのを見て何もできなかった自分。社会人になってからも、同僚の陰謀や上司の不正に翻弄され、表面的な正義と真の正義の差を痛感した。そのすべての記憶が、今の沈黙と覚悟を作り出している。


警察署に到着すると、空気がさらに張り詰めた。署内の廊下を歩く足音、書類のカサリという音、職員たちの視線。それらがすべて高瀬を通り抜け、沈黙が増幅される。取り調べ室に入ると椅子に腰を下ろした背中が圧倒的な存在感を放ち、桐山は事件の全体像を整理する。指紋、凶器、動機、証言、すべてが揃っている。しかし、高瀬は座るだけで法では扱えない重さを放つ。沈黙は言葉より重く、章全体を押し潰すようだった。


高瀬の内面が静かに響く。「誰も、私のことは分からない……表面の事実だけで判断される……それでいいのか。正義とは手続きの正しさだけなのか。いや、それだけじゃない――この沈黙の意味を理解できる者などいないだろう」


桐山は思った。完璧すぎる……いや、完璧に見えるだけかもしれない。警察も検察も手続きを進める。だが、この沈黙の中で何かが決まっている。そしてそれは法の網をかいくぐり、倫理の枠も逸脱するかもしれない。顔を上げ、高瀬の目を追う。冷静そのものだが、その奥に潜むものを誰も測れない。「この静寂の先で、何が待っているのか――」


田島巡査の目には、微かな恐怖と違和感が映る。職務を全うしながらも、何か計算されたものを感じ、書類に目を落とす手が微かに震えた。


署内の新人職員佐々木は、書類を運びながら心臓が跳ねる。こんな人を取り調べるのか、静かに座るだけで圧迫感がある――誰にも言えない不安を胸に、足早に通り過ぎた。署長室の上司たちも、高瀬の沈黙の圧力が部屋にまで及んでいるかのようで、誰も言葉を重ねられず、空気だけが張り詰めていた。


街の別の場所では、通勤中のサラリーマンがビルの窓から高瀬の姿をちらりと見た。彼の歩く影は異様に静かで、何か重大なことが動き始めていると直感した。カフェの常連客は、コーヒーを手にしたまま目を離せず、子どもたちは小さな声で「怖い」とつぶやいた。


高瀬の意識は過去と現在の間で静かに揺れていた。教室のざわめきや家族の声、街の空気、署内の視線が混ざり合い、桐山の視線も警察官たちの緊張も、街の目撃者の直感も、すべてがひとつの重い沈黙に溶けていく。


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