春を待つ手紙
大学を卒業して三年、私はいまだにあの春の午後を思い出す。
最後の講義が終わった日、校門の前で、風が花びらを巻き上げていた。
陽に透けた桜の中、彼は言った。
「じゃあ、また会おう」
私は笑ってうなずいた。でも、連絡先を交換するタイミングを逃した。彼――木島悠人とは、サークルの同期で、いつも誰かに囲まれていた。距離を詰めようとしたこともあったけれど、結局、私は「ただの友達」で終わったのだ。
社会人になってからは、忙しさにまぎれて、思い出すことも減った。けれど春になるたび、あの日の風が胸をざわつかせる。
そんなある日、実家の母から小包が届いた。中には古い封筒。宛名は私、消印は三年前の日付。
――送り主は、木島悠人。
震える指で封を切る。中には便箋が一枚。
真奈へ。
卒業の日、伝えそびれたことがある。
本当は、最後に一緒に写真を撮ろうと思ってた。
でも、君が振り返らないまま帰っていくのを見て、声をかけられなかった。
あれから、もう一度会えたらと思ってる。
この手紙が届くころ、僕はたぶん新潟にいる。もし時間ができたら、春の終わりに、母校の前で待ってる。
桜が散るころに。
差出人の住所は、古びたアパートのもの。三年前。
私の胸は、不思議と熱くなった。届かなかった手紙が、今になって届くなんて。
半ば衝動のように、翌週の休日、私は電車に乗った。母校の最寄駅までの道はすっかり変わっていて、カフェも新しくできていた。校門の前には、もう花びらも残っていない。それでも、春の匂いがした。
誰もいないと思っていたその場所で、ふと見覚えのある背中を見つけた。
ベンチに座って、古びた文庫を読む男性。
風が吹いて、ページがめくれ、彼が顔を上げる。
「……真奈?」
声が、時間を巻き戻す。
私も思わず笑っていた。
「悠人……? どうして……」
「いや、こっちのセリフ。ここ、たまに来るんだ。習慣みたいなもんで」
彼の笑い方は、あの頃と変わっていなかった。
近くのカフェで話をした。彼は今、新潟の出版社に勤めていて、取材で東京に来ていたという。偶然にも、今日だけ予定が空いたらしい。
「それにしても、どうして今?」と彼が訊く。
私はバッグから、あの手紙を出した。
彼は驚いたように目を見開き、しばらく何も言わなかった。
「それ……三年前に出したやつだ。返ってきちゃったと思ってた」
「届いたの、昨日なの。郵便局の倉庫に紛れてたらしくて」
ふたりで顔を見合わせて、笑った。
偶然が、少しだけ味方をしてくれたようだった。
「ねえ、悠人」
「ん?」
「『また会おう』って、あの時言ったよね」
「言った」
「じゃあ、今日が“また”だね」
彼は少し照れたように笑って、頷いた。
帰り道、夕陽がガラス越しにオレンジ色の影を落とす。
車窓の向こうで桜並木が後ろへ流れていく。
私は小さくつぶやいた。
「きっと、もう少し早く届いてたら、違う春になってたのかな」
でも、今の春でよかったと思う。
三年越しの手紙が、やっと私たちを結びつけたのだから。
スマホの画面が震える。
メッセージの通知――「次は、夏の花火見に行こう」。
送り主は、木島悠人。
胸の奥で、春がまだ終わらない音がした。




