はじめての出会い
早朝、まだ日が昇らない薄闇のなかで目が覚めた。
――習慣って、すごい。
身体が勝手に動く。透明のギルドカードを首にかけ、服の下へ隠す。
いつものように軽く体を動かしてから、昨日もらった地図を広げた。
「おおまかな地理は勉強したけど、さすがに街の名前までは覚えてないんだよね」
ここはアシュフォード家の領地にある街。
書き置きに気づいたら、きっと誰かが探しにくる。
だから今日中に、ここを出よう――そう決めていた。
ぐぅ、と腹の虫が鳴く。
「あっ…」
お腹、すいたな。
そうだ、食堂で何か食べながら話を聞こう。
身支度を終え、階段を降りる。
朝靄の差し込む食堂には、焼きたてのパンの香りがほんのり漂っていた。
「おはようございます、アラニルさん。本日も宿泊されますか?」
「いえ、朝食を終えたらこの街を出ようと思ってて」
「そうですか。では精算がございますので、お荷物がまとまったら受付へどうぞ」
「はい」
出された朝食は、パンとスープだけの質素なもの。
けれど湯気の立つその温もりが、少しだけ背中を押してくれる気がした。
冒険者の一人から「キリアーゼという街に美味しい飯屋がある」と聞いた。
そこを次の目的地にしよう。
代金を払い、リュックを背負う。
「旅人ですか! 次はどこへ行かれるんです?」
「キリアーゼへ」
門番と軽く言葉を交わし、街をあとにした。
道の先には風が吹いていた。
キリアーゼは少し離れているが、歩いて向かうことにする。
そのほうが――あの日、誰かが話していた“旅”に近い気がした。
「こんなにゆっくり歩けるなんて、幸せだな」
足元の砂を踏む音が心地よい。
その夜は火魔法で暖をとり、自己流の結界を張って野宿をした。
翌日、畑の広がる小さな村を見つけた。
農作業をしている人々から食料を買い、また歩き出す。
昼になるころ、草むらの上に腰を下ろした。
少しだけ、目を閉じよう。
あたたかい草の感触。
風が髪を揺らし、太陽がまぶたをやさしく照らす。
揺れる草の音が、子守唄みたいに心を包んでいく。
「……何でこんなとこで寝てるんだ?」
不意に声がして、飛び起きた。
「驚かせて悪いな、坊主」
「いや、構わない」
「ところで何でこんな場所で寝てるんだ?」
「昼寝が好きだから?」
「……そうか、そうか!」
男は愉快そうに笑った。
「俺はカイゼル。紅き月のリーダーだ」
「わた……僕はアラニル」
「坊主、こんなところで何してんだ?」
「僕はこれからキリアーゼに行くところなんだ」
「奇遇だな。俺たちもキリアーゼを通る。一緒に行かないか?」
“紅き月”――パーティーの名前だろうか。
旅にはこういう出会いもあるんだな。
「他のメンバーはどこに?」
「坊主、俺はな……迷子なんだ!」
「……迷子?」
「ああ!」
胸を張って言い切るカイゼルに、思わずため息が出た。
「えっと、どうしてはぐれたの?」
「森でオークを狩ってたらな。まあ、キリアーゼで合流する予定だ。大丈夫だろ」
「楽観的なんだね」
「そこが取り柄だからな!」
この人の仲間も、きっと苦労してるんだろう。
そう思って笑ううちに、日が沈み始めていた。
「もう日も落ちる。ここで野営にしようか」
「……うん、わかった」
「じゃあ、ちょっと待ってて」
四方に魔力を込めた石を置き、結界を張る。
簡易的だけど、自分なりに工夫した方法だ。
「カイゼル?」
カイゼルは剣を構え、警戒していた。
「今、何かしたか?」
「ああ、結界を張ったんだ」
「……結界を?」
「ああ」
「坊主、熟練の魔導師か?」
「いや、僕なんか下の下だよ」
「……面白い冗談を言うな!」
やっぱり笑われた。
仕方ない、料理でもしよう。
空間魔法で容量を広げたリュックから調理道具を取り出す。
――が、結果は惨敗だった。
「がはははははははははははは!」
「……おかしいな」
黒くどろどろとした塊が、ぼこぼこと泡を立てている。
「お前、絶望的に料理できないな」
カイゼルは腹を抱えて笑ったあと、
「それは捨てて休んでな」と言って、慣れた手つきで料理を作り始めた。
その動きは見惚れるほど滑らかだった。
「……美味しい」
「だろ? 俺、料理と戦闘だけは得意なんだ」
ガサツに笑う男が作ったとは思えないほど、そのスープは繊細な味がした。
*
二日後。
私たちはキリアーゼに着いた。
道中のご飯は、どれもカイゼルのおかげで美味しかった。
門番にギルドカードを見せると、目を丸くされた。
「坊主のギルドカード、透明なんだな! 初めて見たよ」
「珍しいだろ」
「ああ、三十年やってて初めて見た」
「なんだ、お前の魔力は透明なのか」
「そう言うカイゼルはオレンジ色か」
そんなやりとりの最中、門番が思い出したように言った。
「ああ、そうだ。カイゼル、捜索届けが出てるぞ」
「おお、やっぱりか! 坊主、ここでお別れだな!」
「うん、またね」
カイゼルは笑いながら手を振り、門番に連れていかれた。
残された風が、ほんの少し寂しく吹き抜けた。
*
――アシュフォード領。
「本日はどのようなご用件ですか?」
「この紙をギルドに貼ってくれ」
「わかりました」
(この子、ちょっとだけアラニルさんに似てるな……)
受付の灯りが、紙の上の文字を淡く照らす。
『捜索届:ルナリア・アシュフォード/十歳』




