第19話 涅槃に真言も臨済もない
土牢に放り込んでから小太郎はこう告げた。
「案ずることはありませぬ。信長がこの世から消えれば、貴方様は直ちにここから出られます故」
すると孝高は狭い土牢で身を屈めたまま呟いた。
「案じてなどおらぬ。上様の治世が安泰であるならば、我が身など如何ほどのものでもない」
小太郎は言った。
「そう自暴自棄なさるな。折角の天稟。まだ使い道はありましょうや」
孝高が呟く。
「御助言、忝いが、天稟は使うべき方に使う時まで閉じ込めておけば腐らぬ。上様や秀吉様に会えぬとも気は些かも衰えぬ」
「いくら心気丈でも、御身が腐れば持ちますまい」
孝高の頬に笑みが差す。
「大師も即身仏として七百年、高野の山中、いまだ朽ちておらぬと聞く」
「小寺殿は確か臨済ではござりませぬか?」
「涅槃に真言も臨済もない」
「ご尤も。ではここでご成仏なされ」
孝高は静かに目を閉じた。
小寺孝高はこの土牢に実に1年半監禁された。湿った地面には百足や油虫が這った。即身仏になろうにも禅も組めぬこの牢で、孝高は黙して読経を続けた。常人では考えられぬ精神力である。しかし有岡城が開城された時、小猿が言ったとおり不具になっていた。終生杖がなければ立てぬ躰になった。
それでもこの天才軍師は奥に秘めたる野心を片時も忘れず、智謀失くさず、主君であった小寺氏が信長によって滅ぼされたのち、以後織田家臣として秀吉の与力となり、黒田姓を名乗る。通称黒田官兵衛、剃髪後、黒田如水。豊臣政権下でも卓越した智謀を働かせ、天才軍師としてその名を日の本中に轟かせた。
或いはこの監禁さえなかったならば、世は違った形の天下人をこの時代生んだかも知れぬ。