第13話 光秀如何いたしましょうな?
天正6年(1578年)7月。荒木村重は羽柴秀吉と共に播磨の大名別所長治を討伐せんがため三木合戦に従軍していた。しかし突如戦線を離脱し、有岡城に帰還した。
これを聞いた信長はすぐには罰せず、一旦明智光秀を有岡城に派遣し状況を探らせた。
村重と面会した光秀はとくと説いた。
「上様に背いて万に一つも勝ち目はない。いまなら上様もお許しくださる」
光秀の説得が功を奏し、一時は村重、詫びを入れるため信長の居城安土へ向かった。ところが、その道中、茨木城主、中川清秀が村重に囁いた。
「行けば間違いなく切腹させられますぞ」
さらに、
「それより毛利、本願寺と手を結び信長を倒されよ。然すれば殿が天下人ですぞ」
と清秀に諭される。これに村重は靡いた。意を改め再び有岡城に戻った。
孫太夫がこのからくりを解き明かす。
「村重を翻意させたのは小猿の仕業。小猿が中川清秀を操ったのでござりまする」
丹波は察する。
「さては幻術か?」
「仰る通り」
いまでいう催眠術である。
「されど、何ゆえ明智と通じておる小猿が村重を唆す。謀反を助長すれば明智の娘の命も危なかろう」
孫太夫は言った。
「娘の命を奪い、逆に明智を利用するつもりでござりましょう」
「どういうことじゃ?」
孫太夫は屋敷内をぐるりと見てから声を潜めた。
「光秀は信長から酷使されておりまする」
「信長の家臣は皆、そうであろう」
「いえ、光秀は特に荒い扱いを受けておりまする。出自が怪しい上、元が外様。されど聡く足利将軍との渡りもよく存じておりました。信長にとってこれほど使い勝手のよい家臣はおりませぬ。酷使しようが捨てようが一切躊躇いはござらぬ。当然ながら光秀の信長への忠誠は他の重臣に比べ低い」
「なるほどのう」
「そこに来て、信長に娘を殺されては光秀如何いたしましょうな」