第10話 無理じゃ父上
天正6年(1578年)4月。北畠信雄の元に父信長から大坂への出陣命令が下る。表面上は和睦したものの戦をまだ諦めていなかった石山本願寺の息の根を止めるためである。この戦で信雄は、兄信忠とともに石山本願寺をもう一度屈服させる武功を挙げている。
勢い駆って毛利輝元と決着をつけんがため信長は中国に攻め入る。滝川一益、丹羽長秀、明智光秀ら重臣を送り出し、次いで長男信忠、次男信雄らが尾張、美濃、伊勢の軍勢を率いて出陣。信長自身も出陣するが、激しい雨に祟られ一時安土に帰還している。
しかし息子たちの活躍は目覚ましく、6月、播磨国印南郡の神吉城を信忠が、同じく印南郡の志方城を信雄が落城させている。
この年の夏。信長は息子たちの活躍を労うため安土城内で全国から力士を集め相撲大会を催している。
この相撲大会に伊賀衆は目をつけた。伊賀忍術十一名人に数えられる下柘植小猿、下柘植木猿の親子を百地丹波は送り込んだ。狙いは信長の首である。
大会が催されている土俵から少し離れた場所で、小猿は商家の旦那に扮装して相撲を見ている。
土俵下では木猿が観覧舞台に座している信長、信忠、信雄の親子を窺っている。木猿は力士としてこの大会に参加していた。
木猿が鼻先を摘んで首を振る。
(無理じゃ父上)
実行不可能を示す符牒だった。ぎこちない手つきで褌に触れる。そこには手裏剣が隠されている。ただの手裏剣ではない。剣先には毒茸の胞子と蝮から抽出した猛毒の粉末を塗布してある。刺されば死に至らしめることができる。だが、信長たちのいる舞台はビードロが嵌め込まれた扉で四方塞がれており、手裏剣などを通さないようになっていた。さらに舞台の周りには護衛の衛士が見張っている。
(あれでは投じられぬ)
小猿も手振りで問い返す。
(下はどうじゃ?)
舞台下から短剣で突けるのではないかと思ったのだが、木猿は首を振る。
(板が厚すぎる)
そもそも褌に短剣まで仕込んでいない。
(無理か・・・)
(いや父上、全部勝てばその時が好機)
優勝力士には信長から褒美が与えられる。優勝すればその機会が訪れる。そう木猿は考えた。だが、小猿は表情を曇らせる。
(本物の力士には敵わぬ)
木猿の体は筋肉質であるが目方が足りなかった。本業にしている力士と組み合ったら勝ち目はない。
その時である。
「おまえ、何をしている!」