02.イーサン・ローレル
イーサン視点。イベントなのに投稿遅くてすみません(涙)
※エタンはイーサンの愛称
イーサン・ローレルは、ローレル公爵家の次男としてこの世に生を受けた。
父も母も、この国では希少な魔法士であり、その親である祖父母もまた魔法士である。先に生まれた兄にもその力はあり、イーサンも当然と言わんばかりに魔法士としての力を持って産まれてきた。
厳しくも優しい祖父母に両親と、尊敬する兄の下、イーサンはすくすくと成長した。
父と祖父は後継ぎであったため、魔法士としての活動は学園に在籍している間のことだけであったが、祖母と母・ローズマリーは、王宮にて魔法士長の座に就くだけの実績を持つ実力者だった。兄であるネビルも魔法士の素質は十分に持っていたが、二人に似たのはイーサンだった。母も祖母も、イーサンにとっては師匠でもあった。
スパルタな二人にしごかれつつ、また途中から母の師の下で修行を積んだイーサンは、その力をメキメキと上げていった。素質だけでなく、魔法が好きというのも成長を促していたのかもしれない。それに、いずれ家を出る身であるイーサンにとって、魔法士という道は決められた道だけではなく、将来を確約された安定した道でもあった。学ばないという選択肢は元から存在していなかった。
母と祖母を師として学び始めたのが、まだ喃語しか喋られない一才。五つになる頃まで魔法古語や魔法に関する知識を詰め込まされた。そこからは母は己の師とバトンタッチをして、イーサンは本格的に魔法の扱いをその身に叩き込まれるようになった。厳しい修行ではあったが、兄も、従者であるカーターも居たから乗り越えられたと彼は思っている。若干七つにして、遺跡探索に赴けるまでに力をつけたのだった。
同時に、運命の人に巡り合ったのも、この頃だった。
その日、母であるローズマリーが、珍しく友人を招くのだと、鼻歌まじりでお茶会の準備をしていた。
高位貴族の婦人会や、私的に招く友人とは違った態度に気になったが、どうやら一番の友人……親友と呼べるその人が、娘を連れてやってくるのだという。
魔力持ちは他人に興味を持ちにくい。伝承では、神から授かった力の影響だとされているが、魔力持ちからすればただ単純に興味が沸かないだけである。しかしその反面……否、それ故に、気に入った者や運命の人に対しては、執着にも似た感情を抱くようになる傾向も持ち合わせていた。
マリーローズがお茶会に招く相手も、そんな風に気に入った相手であるのは、母の様子から窺い知れた。娘も招いていることから、きっとどこかのタイミングで娘に会い、友人であるグローリア・フロレインと同じように気に入ったのだろう。
(まぁ、僕には関係ないし)
イーサンは楽しそうな母の姿から視線を外すと、そのまま自室に戻って読書をし始めた。母の友人であり、魔法士として名高いグローリアであっても、イーサン自身に関係のない相手であるのは確かだった。
だがしかし、グローリアが娘とともにやって来てから暫くして、何故かイーサンは母に呼ばれた。
読書中だったイーサンは、読んでいた本から訝しげに顔を上げた後、この後押し付けられるのであろう未来に顔を顰めた。
きっと一緒に来た娘の相手をしろとでも云うのだろう。それくらいしか呼ばれる理由が見当たらない。人任せにするなら何故呼んだ、と機嫌が急降下したが、無視をすれば後々母にネチネチと云われ続けることは想像に難しくない。
仕方なく、イーサンは本を閉じてサイドテーブルに置くと、お茶会の場である温室に向かった。この後、自分の考えに後悔することも知らずに。
『はじめまして。フロレイン家のむすめ、アメーリア・フロレインでございます』
目の前に現れたのは、まるで春の訪れを知らせるような、柔らかなピンク色の妖精のような幼女である。だというに、イーサンは雷が直撃したような衝撃を受けた。
たどたどしくも同じ年の令嬢と比べて完璧なカーテシーを披露した幼女。自分より圧倒的に低い身長に、舌足らずな言葉遣い。未だカーテシーを続けて此方の返事を待つ彼女は微かに震えている。きっと姿勢を保つのが難しいのだろう。幼女なのだから当然だと思う。
それら全て含めて、イーサンの鼓動は早まった。春の妖精の持つピンクゴールドの柔らかな髪に、大きな目に沿うように生える長いまつ毛。全体的に丸みを帯びた愛らしい姿と、年齢以上の知性も兼ね備えているのであろう雰囲気。そして何より、漏れ出る魔力がなんとも心地良い。こんな幼女に! と動揺する暇もないくらい、イーサンはアメーリアに惹かれていた。一目惚れである。
『ほら! やっぱり相性が良かったでしょう?』
『本当ね。でも急かしてはダメよ?』
『わかっているわ。ふふっ、でもそんな心配も要らないと思うけど』
母親たちが何か言っているが、イーサンはそれどころではなかった。
『あ、えっと、姿勢を戻してくれて大丈夫だよ』
許しとともに姿勢を戻したアメーリアの、太陽の光のような金色の瞳と視線がかち合う。その瞬間、顔に一気に熱が集まるのを感じた。きっと今、自分の顔は真っ赤に染まっているだろう。同時に、アメーリアの頬もポッと赤く色付いている。いつまでも、彼女の愛らしい姿を見つめていられる、そんな気持ちで胸が溢れていた。
『申し訳ございません、イーサン様。勉強の邪魔をしてしまいましたね』
『良いのよ。ちょっとくらいサボったって大丈夫だもの』
当のイーサンよりも先に母が答えてしまった。確かに、始めこそ機嫌を損ねはしたが、今はそんな自分をぶん殴りたいほど後悔している。
『気に、しないでください。むしろ……』
嬉しい。まさか自分の運命の人に出会えるなんて、と、今も震えそうな喜びが身体を駆け巡っている。
先程の母の言い方からして、アメーリアの魔力の質から、きっと自分と相性が良いと判断して、今回彼女のことも招いたのだろう。そしてそれは見事に的中した。イーサンは呼ばれた時の不機嫌は記憶の彼方に放り投げて、ニヤニヤと面白そうに笑っているローズマリーに心の中で両手を合わせて感謝した。
運命の人に出会えた。それも年齢も近い。魔力持ちにとって運命の人に巡り合える確率は非常に低い。特に魔力持ち自体が他国の三分の一にも満たない国内で探すのは至難の業だ。獣が番いと出会うよりも難しいだろう。魔力持ちにとってそれは、魔法よりも奇跡なのだ。
『イーサン、ちゃんとなさい』
普段『エタン』と愛称で呼ぶローズマリーが、愛称ではなく正式名称で呼ぶ。その声に魔力が乗っているのを感じ取って、イーサンは自分がアメーリアの魔力に当てられていたのを察した。
(そうだ。ちゃんと見極めなければいけない)
運命の人は尊いものだが、人間であり貴族である以上、本能のままに一緒になることは出来ない。
相性が良い者どうしの子は上質な魔力を持って産まれてくるし、王家もそれは歓迎している。だがあくまで義務を務めている事が前提の話だ。運命だからと何でも許される訳ではない。
イーサンが一人で葛藤している間も、アメーリアは静かに待っていた。身分をしっかり理解している証拠だった。
『初めまして、小さなお姫様。僕はイーサン・ローレル。よろしくね』
手を差し出せば、おずおずとしながらも小さな手を伸ばしてくる。その仕草がまたイーサンの胸を甘く刺激した。
『よろしくおがいします。ローレルこうしゃくれいそくさま』
『どうか、エタンと。そして、リアと呼ぶことを許してほしい』
『はい! エタンさま、よろしくおねがいします』
花がほころぶような笑顔に、イーサンの鼓動が高鳴った。
これが、イーサンとアメーリアの本当の出会いだった。
*****
それからというもの、イーサンとアメーリアは時間の許す限り交流を重ねた。婚約者候補という名目ではあるが、伯爵により外出を制限されているせいで、同年代の子どもと関わることが出来ないアメーリアが外に慣れるためでもあった。決してイーサンばかりが会いたい訳ではない。
『毎度来てもらうのも大変では?』
『ご配慮くださりありがとうございます。ですがうちは夫が全てを決めております故……』
会うのはいつも公爵邸であった。アメーリアだけでなくグローリアも一緒に来ているため、今度は自分が伯爵邸に会いに行くという意思表示を示したつもりだったが、グローリアは困ったように微笑むだけであった。
どうやら伯爵は、家に帰らないくせに妻と娘の行動制限を家の中でまでしているらしい。公爵家に来られるのは、ただ爵位を気にしてのことだった。
本来、グローリアは従う必要はない。だが婚姻の経緯が、実家である子爵家の借金返済のために売り出されたようなもので、どうしても下に出るしかない状態であった。娘に危害を加えられる可能性も避けたかったのかもしれない。
婚約が決まるとすれば、一人娘であるアメーリアが伯爵家を継ぎ、イーサンが婿として伯爵家に入ることになる。今伯爵をどうにかしようと動けば、婚約の話そのものがなくなってしまうかもしれない。それだけは避けたかった。
(その時のために力をつけておこう)
今後の伯爵の行動によるが、最悪アメーリアが爵位を継がなくても良いようにしておこう。家を出て魔法士になるのであれば貴族に拘る必要もないが、アメーリアを護るために貴族で居た方が良い場合もあるだろう。手柄を取って爵位をもらうことも視野に入れて、イーサンはアメーリアのために行動し始めた。
そうやって裏で活動する反面、アメーリアと一緒に居るときは、彼女に全ての時間を費やした。
自分と一緒にいる時だけは、なんの憂いもなく笑顔でいてほしいと、イーサンはアメーリアに色んな体験をさせた。それは主に魔法であるが、庭で駆けまわったり、木によじ登ったり、乗馬などもさせたこともあった。そのどれもアメーリアは満面の笑みで取り組み、イーサンの後ろを付いて歩いた。
そんなイーサンのお姫様であるアメーリアも、彼と婚約する可能性があることは理解しているらしい。
伯爵を継ぐ彼女だが、現当主が何も教えないせいで学ぶことが出来ずにいた。それを見かねて、公爵であるトマスは、アメーリアをネビルと一緒に領地経営の勉強を教えることにした。そして同時に、母のローズマリーも、公爵夫人の仕事を覚えさせ始めた。幼児に何をさせているのだと止めようとしたが、それに対して『エタンさまとのショウライのために!』とアメーリアが自ら食らいついたのである。
『大丈夫? 無理してないかい?』
『だいじょうぶです! エタンさまにふさわしい人になりたいので、がんばります!』
そう聞く度に、イーサンのIQは一桁台にまで落ちた。宿題を出されてしっかり終わらせて持ってきた時の、ちょっと得意げに胸を張る様子も、父と母にしごかれながらも必死に学び、その身に付けたものを披露して褒めてほしいと上目遣いで見上げて来る様も、イーサンの思考能力を著しく低下させた。愛しい人が自分との未来のために頑張ってくれていると知って、平常心で居られる者が存在するのなら是非見てみたいものだった。
楽しい、と、イーサンも充実した日々を感じていた。兄のネビルに懐いてしまった事には正直面白くないが、それでもアメーリアが楽しそうであれば納得することが出来た。
どうやら自分は好きな相手に尽くすタイプであることを知ったのもこの時で、同時にカーターの呆れ顔もこの頃から始まった。
『リア、アメーリア。これからも、僕と一緒に居てくれる?』
『はい! わたし、エタンさまのおよめさんになります!』
話し合いを重ね、イーサンが伯爵家に婿に入ることに決まり、婚約は恙なく結ばれた。
魔力持ち同士の婚約ともあり、王家の承認があったのも大きいだろう。伯爵も、公爵家の人間が家に入ること、公爵家と縁が結ばれる旨味を取ったらしい。こうして二人は、然程障害となるものもなく、祝福されながら婚約した。
それから暫くは平穏で幸せな日が続いた。ネビルも婚約を果たし、その相手であるナターシャも加わって、よく一緒に遊び学ぶ日々だった。
正直、気が緩んでいた。嵐の前の静けさだったのだと、イーサンは当時を振り返った。
その日も、アメーリアはローレル家に来ることになっていた。いつもの様に諸々を学ぶため、またイーサンと交流をするためだ。
しかし、待ど暮らせど、アメーリアは一向にやって来ない。どうしたのかと伯爵家に使いを出せば、グローリアの体調が悪くて来ることが出来ないのだという。
イーサンも、一緒に居たカーターも首を傾げた。
魔力持ちは滅多に病に罹らない。それは魔力が自然治癒の役割を果たすからだ。魔力が強く膨大であれば、それは普段の外見にまで作用して、実年齢よりも若々しく見られる。
グローリアの魔力は膨大だ。片親しか魔力持ちでないのに、アメーリアの魔力がイーサンを超えるくらいには強く、そして多い。見た目も学生と偽っても信じてしまうくらいの容姿を保っている。そんなグローリアが? と、二人は俄かには信じられなかったのである。
しかし、本当に体調不良の可能性も否定できない。魔力持ちだって、風邪を引くときは引くし、発熱にうかされることも稀にある。
そんな母を置いて来るのは憚られたのだろう。伯爵家で唯一の味方であり大切な母親だ。アメーリアが放っておくとは想像すらできない。
胸に引っかかるものはあったが、その日は『お大事に』と伝言を頼んで終わったのだった。
それがいけなかった。まさかその日から離れ離れになるなど、一体誰が想像できただろうか。
『……亡くなった?』
毎日送っても返って来ない手紙を待つイーサンの下に、グローリアの訃報が知らされた。会えなくなってから既に一か月。その間に何があったのかと混乱した。
(流石にこんなに長引くのはおかしいと思っていたけれど……あぁ~こんな事なら王子の側近なんてなるんじゃなかった!!)
イーサンはアメーリアとの将来のために、第三王子であるラインハルトの側近となり活動していた。未来の王太子だというのに研究を続けている彼に付き合い、正直時間がなかった。勿論アメーリアのことは気になっていたし、手紙も何通も送ってはいた。しかしここが踏ん張り時だと、側近から外されないように働いていたのも確かで、全ての意識をアメーリアに向けていたのかと問われれば頷くことは出来なかった。
(何故こっちには何も伝えて来なかったんだ? 葬儀も既に済んでいるなんて)
病に罹り闘病も虚しく、と手紙には綴られていたが、イーサンだけでなく、母のローズマリーも信じられずにいる。いや、一か月前の不信感がより濃くなったと言った方が正しいだろう。それだけグローリアは健康的で、魔法士の中でも病に罹り難い体質であった。
問題はそこだけではない。葬儀もとうに終えて、今では土の中だという。病が原因であるのなら、疫病が流行ることを懸念して、然るべき機関での火葬がされる。土葬が主流であるため、火葬がされたとなれば末端貴族ですら直ぐに情報が入る。それなのに、そんな話はこの一か月の間に聞いたことがない。父であり現公爵のトマスですら寝耳に水であった。
(会ったら、何かわかるだろうか)
次の週末に、やっとアメーリアと会えることになっている。連絡の手紙がアメーリアからでなく伯爵からというのが気になるところではあるが、やっと会えることの喜びと、悲しみの中に居るだろう彼女の傍に居たいという気持ちが勝り、抱いた疑惑が薄れてしまっていた。それもまた一つの過ちだった。
(……何だ、これは)
『貴族になったばかりでございますが、我が自慢の娘でございます』
待ちに待った当日。応接間で待っていたのはアメーリアではなく、伯爵であるコンスタン・フロレインと、見た事のない幼女だった。
『はじめまして、イーサンさま! わたくし、キャメルっていいます。よろしくね!』
話す許可を与えていないのに勝手に挨拶をし始めた娘は、伯爵と同じ焦げ茶色の癖のある髪に、琥珀色の瞳を持っていた。伯爵自身が“娘”と称しているのだから、そういう存在なのだろう。
『とってもカッコイイ! ありがとう、おとうさま! わたくしのコンヤクシャに、とってもふさわしいわ!』
『はぁ?』
『抑えて下さい、イーサン様』
聞き捨てならない言葉が聞こえて、イーサンの腹の奥からドスの効いた声が飛び出してきた。カーターがいなければ言ってはいけない一言を言っていたかもしれない。
(まだ喪に服す期間だろーが!!)
アメーリアと会えなくなったのは一か月前。グローリアが亡くなったのも多く見積もって同じ時期と計算――しなくても、一年間は故人を想い喪に服し、祝い事などは避けられる。それはこの国だけでなく、周辺国全ての共通認識だ。だというのに、伯爵は既に愛人との子どもを邸に引き入れている。姿が見えないだけで、きっと愛人も邸に居るのだろう。目の前の娘の方など、さも自分こそが正当な伯爵令嬢だと云わんばかりの態度だ。
『……伯爵。僕はアメーリアに会いに来たんだが? それと、貴方の口から、未だにグローリア夫人の訃報を聞いていない』
訃報は、アメーリアの様子を探るために色々動いていた時に入手したのであって、伯爵自身が公にした訳ではない。伯爵からはただの一度も説明を受けていないのだが、それでも何食わぬ顔をしている伯爵に、イーサンは嫌悪感で胃が痛み始めた。
『あぁ、あれの件はまだお伝えしておりませんで……特別なことはございません。病に罹り拗らせた末、眠ることとなりました』
『病であるなら、か』
『そんなつまらないはなしはキライ! もっとたのしいことしゃべりましょ!』
人の話を遮った挙句、人の腕に抱きついて来たかと思えば、何処に連れて行こうというのかグイグイと引っ張り始めた。
伯爵も伯爵で、ヘラヘラと誤魔化すような笑みを浮かべている。子ども相手だからと馬鹿にしているのだろうか。その子どもの方が地位も上であるのに。
『……夫人のことは、また後程。それより、アメーリアは?
邸に居るのだろう?』
『あれは今も引き籠っておりまして。本日も会いたくないと駄々を捏ねて部屋にこもっております』
『…………そうか』
血液を毛細血管の先にまで行き届くように、イーサンは魔力を邸の隅々にまで巡らせた。
確かに、アメーリアのものらしい魔力反応が、とある一室にて感知した。だが、それだけだった。
『会えないのなら仕方ない。帰るぞ、カーター』
『承知いたしました』
イーサンは腕からキャメルを引きはがすと、さっさと玄関ホールへと歩き始めた。早く帰って、現状を知らせなければならない。
『お、お待ちください! ここに貴方に相応しい娘がおります!』
『そうよ! みらいのオヨメさんとなかよくするのはトーゼンでしょ!?』
『いい加減にしろよ』
イーサンが怒気を孕んだ声を放つとともに、彼の魔力が室内に溢れかえった。無礼な父と娘が泡を吹いて倒れているが、イーサンは止める気がなかった。
『子どもだからと甘く見ているのか……伯爵よ。あまり僕を舐めるなよ』
『ヒュッ、カハッ、な、なにを』
『時期にわかるだろう』
アメーリアにこれ以上何かしてみろ。その時は伯爵家ごと一夜にして葬ってやる。あぁ。婚約を盾にしても無駄だからな。女王直々の承諾と教会も認め祝福した契約を覆そうとなど、僕が壊す機会がなくなってしまうから――という言葉は、カーターに肩を叩かれて声にならず、胸の奥で霧散した。
魔力を抑えれば、苦痛からは解放されたものの二人は未だ苦しさに喘いでいる。引き留める気力などないのだろう。追って来ないのを良いことに、二人は速やかに伯爵家を後にした。
家に帰ったイーサンは、家に居た父に伯爵家であった一部始終を報告した。
『アメーリアのダミーまで準備されていました』
『ダミー?』
『はい。一番日当たりの悪い位置にある部屋に、こんな小さな大きさの……採取管ほどの大きさのリアのダミーが』
『血か』
イーサンの説明を聞いて、トマスは公爵としての顔付きへと態度を変えた。
魔力持ちの身体は隅々まで魔力で満ちている。頭のてっぺんから足の先まで、余すことなく魔力が通っている。その影響で、魔力量で見た目が実年齢より若く見られる現象が起きるのだが、それは体内を流れる血も同じであった。
『誰かの入れ知でしょうか』
『お前の行動を見越しての対処なのだからそうだろう。唯一救いなのは、イーサンがそこまで細かく対象を認識できるとは想像出来なかったことだな』
母であるローズマリーも、アメーリアの母であるグローリアも同じことが出来る。だがイーサンは二人以上に探知が得意で、対象のサイズ、生き物なのかどうか、その生死までも知ることができた。遺跡探索に最年少で行ける最大の理由でもあった。
『調べよう。お前はこれ以上警戒されないよう身を潜め、指示を出すまで待機。その間に、伯爵領へ向かう準備を済ませておけ』
『承知いたしました』
カーターに止められたことで確信的なことは口走ってはいないが、血をダミーに使うくらいの考えと行動力がある相手だ、目立つ行動は避けた方が良いと父の判断に従うことにした――半月前までは。
直ちに動き出したものの、一か月前という予想が当たっていれば時間が経ち過ぎていた。
そこから更に半月を費やすこととなり、いい加減我慢の限界に達したイーサンは、父の指示を待たずに、カーターを連れて伯爵領へと向かったのであった。
イベント終了後も更新します。亀よりも遅いですが読んでもらえると嬉しいです