44.朝の目覚め
暖かく心地いい布団を感じながら、ふわふわのマットレスに身を沈め、私は今日も眠る。
全部が全部ふわふわで最高だ。
…最高なはずなのに。
どうしてだかとても苦しい。
前から暖かくて硬い何かに締め付けられているようなそんな感覚がする。
「…ゔ」
あまりにも息苦しいので、目の前の何かをぐっと押し、何とか離れようとしたが、それはびくともしない。
…何なんだよ、もう。
さすがにそこまでしているともう目が覚めてしまった。
そして目が覚めて私はすぐに自分の置かれている状況を把握した。
「…」
今日もか。
無言で私を力強く抱きしめる相手を睨む。
だがその相手、ユリウスは未だにすやすやと気持ちよさそうに眠っており、何の反応も示さない。
…本当、安眠妨害だ。
窓から差し込む太陽の光を吸い込む黒髪から覗く、美しく整った顔をまじまじと見つめる。
この美しい男、ユリウスは今日も何故か逃走前の12歳の私と同じように19歳の私とも一緒に寝ていた。
リタに襲われ、ユリウスたちに助けられてからもう1ヶ月が経った。
あれからリタとルードヴィング伯爵は様々な罪で帝国地下牢へと投獄された。
そのおかげで私の命を狙う者はもういなくなり、帝国外へと逃げる必要もなくなったので、私はここミラディア帝国に残ることを決めた。
犯罪ギリギリ、ほぼアウトな方法で外へ出るよりも普通に帝国内で生活した方がいいからだ。
そして帝国内で暮らすことを決めた私が新たに生活する場所に選んだのは、ここフランドル邸だった。
…まあ、選んだというより、選ばざるを得なかったって感じだけど。
今の私の名前はステラ・フランドルだ。
少し前までの私は孤児で戸籍もなかったので、名字なんて立派なものはもちろんなかった。
だが、私が失踪中の間、何とユリウスは私をフランドルの家門へと入れるべく、素性不明の少女をフランドル籍に入れてしまったのだ。
と、いう訳で私は今、フランドルの娘であり、しかもユリウスが私の正体を知る前に私をフランドルに入れてしまったものだから、私は戸籍上はユリウスの妹ということになっている。
ユリウスは18歳で私は19歳なのに。
そんな一応私の兄になってしまったユリウスだが、ユリウスは全く私にとって兄らしくなかった。
その兄らしくない行動の一つがこれだ。
ユリウスは何故か兄のくせに私と同じベッドで一緒に寝たがった。
それも私がフランドル邸へと帰ったその日からだ。
最初は当然のように私と寝ようとベッドに入ってきたユリウスを私は止め、ベッドから追い出そうとした。
だが、ユリウスは無表情ながらもその黄金の瞳に悲しみを滲ませ、「何故だ?今まで一緒に寝ていただろう?」と言ってきたのだ。
相手は19歳の私だ。12歳の私ではない。そんなことをするような相手ではないのだ。
それなのにユリウスからそんな言動をされて、私はわけがわからなかったが、どうしてもユリウスのことを突っぱねることができなかった。
なので、私は今もこの何を考えているのかよくわからないユリウスと共に、私の部屋で眠っている。
そして毎回毎回きつく抱き締められて目を覚ます。
「…ユリウス、起きて」
そろそろ起きる時間でもあるので、ユリウスにそう声をかけてみる。
するとユリウスはその閉ざされた瞼を少しだけ震わせた。
「…ステラ」
ゆっくりと開けられたユリウスの瞼から黄金の瞳が現れる。その瞳は最初こそどこか眠たそうだったが、すぐにその眠気はなくなり、愛おしそうに私を見た。
「おはよう、ステラ」
「…おはよう、ユリウス」
相変わらず冷たい表情のユリウスが私を至近距離で見つめ、優しく私の頭に触れる。
ユリウスにとって私は19歳の大人ではなく、12歳の子どもなのだろうか。
「…とりあえず起きたいから離れてくれる?ユリウス」
私は朝の支度を始める為にそう言って、目の前の分厚い胸を軽く押す。
だが、ユリウスは全く動こうとはせず、何故か不満げな瞳を私に向けてきた。
「…まだ時間はある。もう少しこのままでもいいだろう?」
「…」
まただ。
ユリウスはいつもこうなのだ。
少しでも時間があるならば、いつもこうして私から離れることを拒む。
離してと言ったはずなのに、ユリウスは絶対に離さないと言わんばかりに私を抱き締める腕に力を込める。
それから私の頭に自分の頬を寄せた。
…大きな子どもを相手にしている気分だ。
やっぱり兄らしくない。どちらかといえば弟だ。
そもそも年齢的にも私が姉なはずのだ。
「い、い、わ、け、な、い、で、しょっ!」
私を抱き締めるユリウスの胸を今度は力いっぱい押してみるが、やはりびくともしない。
~っ!この馬鹿力っ!
全く動かず、むしろさらにきつく私を抱き締めるユリウスにいよいよ殺意を覚えていると、ベッドの横に人影が現れた。
「おはようございます、ステラ様」
未だに寝間着である私たちとは違い、キッチリとした執事服に身を包むセスがこちらに微笑む。
そしてセスはいつものように私に挨拶をすると、私の言葉など待たずに、私たちの布団をガバッと勢いよく剥いだ。
それにより私とユリウスは強制的に布団から体が出て、朝の肌寒い空気にさらされる状態になった。
「ユリウス様、俺のお嬢様であるステラ様が困っております。早急にその手をお離しください」
「…」
「ステラ様には朝食へ向けての準備もございます」
「…」
「ユリウス様、そんな目で見られても無駄です。俺の主はステラ様のみ。ステラ様の命令しか聞き入れるつもりはございません」
私に向ける微笑みとは違い、何も感じさせない表情で私を離すように訴えかけるセスにユリウスが無言の圧力をかけている。
この帝国中の誰もが震え上がるのではないかと思うほど、美しく冷たいユリウスの圧にもセスは何故か屈さず、ただ淡々としていた。
どんな心臓をしているのだろうか。
強い心臓の持ち主、セスに感心していると、ユリウスはやっと名残惜しそうに私を離した。
ユリウスから解放されたことによって、私はようやく体を起こす。
そんな私にセスが「お手をどうぞ」と手を差し伸べてきたので、私はいつも通りその手を取った。
そんな時だった。
「ちょっと!セス様!」
突然、出入り口の扉の方から愛らしい声の持ち主の不満げな声が聞こえてくる。
「ステラ様専属メイドである私を差し置いて何ステラ様のお世話を焼こうとしているんですか!私がステラ様のお世話をするんです!」
それから怒っている様子の愛らしい声の持ち主、メアリーはずんずんとこちらに歩いてきた。
「朝起こしに行くのも私の役目です!セス様がしなければならないことはステラ様の予定調整!それから備品管理!その他もろもろステラ様が何不自由なく生活できるように基盤を整えることです!ステラ様の身の回りのお世話をすることではございません!」
そしてメアリーはぷくっと頬を膨らませ、深緑の瞳に怒りを宿してセスに不満をぶちまけた。
だがセスはそんなことをされても特に気にしている様子はなく、「わかっています。全てやり終えた上でここにいるのです」と真顔でメアリーに言っていた。
さすがリタの執事を何年もしてきただけあって、セスには責められる要素が一つもなく、完璧だ。
なので、メアリーはいつもこういう展開になるとセスに何も言えなくなっていた。
「ステラ様!おはようございます!身支度は全てこのメアリーにお任せくださいね!」
セスに何も言えなくなってしまったメアリーが、もうセスなど無視して私の手を取り、太陽の如く明るく私に笑う。
メアリーは12歳ではない、19歳の私にもこんな感じで変わらず、過保護のままだった。
いや、メアリーだけではない。ここフランドル邸にいる者たちは皆、変わらず、以前の私と同じように19歳の私とも接してくれている。
きっとユリウスや公爵夫妻がいろいろと手を回してくれた結果なのだろう。
「メアリー、いつもありがとう」
「いえいえとんでもございません!私はステラ様の専属メイドなのですから!」
私に感謝の気持ちを伝えられて、メアリーは誇らしげに胸を張る。
相変わらず可愛らしい。まるでご主人様に褒められて喜んでいる小型犬のようだ。
可愛らしいメアリーに癒されながらも、早速、メアリーと共に身支度をするために、私はセスの手を借りてベッドから降り、メアリーの元へと向かう。
それからメアリーと一緒にこの部屋にある洗面所へ行こうとすると、ユリウスが「待て」と私たちを止めた。
「メアリー、ステラの今日の髪型はゆるく巻いてまとめて欲しい。それから服は黄色系統を」
「はい!かしこまりました!今日もステラ様を美しく仕上げますからね!」
「ああ、だがこれはあくまで俺の希望だ。最優先すべきはステラの希望だということを忘れるな。今日もよろしく頼む」
「はい!ユリウス様!」
ユリウスは私の保護者かな?
お子さんの晴れ舞台の格好でも決めているのかな?
真剣な表情のユリウスと明るい笑顔のメアリーの会話を聞いて私はただただ苦笑する。
だが、これもここではよく見慣れた光景の一つだった。