43.結末
セスの屋敷内へ入るとすぐに、壁いっぱいの大きなステンドグラスが印象的な大広間がある。
その大広間で最初に私の目に飛び込んできた光景は騎士たちに両脇を抱えられ、俯くリタの姿だった。
リタの傍には数名の騎士以外にも、ロイやセスの姿もある。
「ステラ様!」
不本意だが、ユリウスに抱き抱えれる形でこの場に現れた私にセスはすぐに気づき、涙目でこちらへと駆け寄ってきた。
「よ、よかった…。アナタが無事で…。アナタにもしものことがあったらと思うと俺は…」
それからセスは美しい空色の瞳から大粒の涙をほろほろと流し始めた。
初めて見るセスの動揺ぶりに私は驚きながらも、何だか心が暖かくなる。
こんなにも泣けるほど私の安否を心配してくれていたなんて…。
自分がセスからどれほど大切にされていたのか、改めて知ることができ、私は嬉しくなった。
「…アナタの最期は100年後です。まだまだアナタは幸せに生きるんです。俺はそれをずっと傍で見守ります。そして最期に一緒にアナタと死ぬのが夢なんです」
「…へ、へぇ」
うるうると涙のいっぱい溜まった瞳で、まっすぐと真剣に訴えかけてきた内容の重さに私は若干笑顔を引きつらせる。
ほんの数秒前までは大切にされていたことを嬉しく感じていたが、今はその大切の感情があまりにも重すぎて、セスには申し訳ないがその重さに少々引いてしまっていた。
不安定な部分さえなくなれば変な言動もなくなると思った少し過去の私よ、考えが甘かったみたいだ。
仄暗い瞳をしなくなっただけで、ちゃんと変な言動をセスは続けている。暗い変な人から明るい変な人になったようだ、セスは。
「ステラ」
セスのクソデカ感情に苦笑いを浮かべていると、今度はセスの後ろからロイが私に話しかけてきた。
見慣れた天使のような笑顔を浮かべるロイは相変わらずで、とても美しいが何を考えているのか全くわからない。
「まずは無事でよかった」
そう言いながらも私に近づいてきたロイはふわりと笑い、優しく私の頬を撫でる。
「…会いたかったよ。ステラ」
「…」
そして嬉しそうに瞳を細め、私をじっと見つめた。
ルビーのような輝きを放つロイの瞳は甘く、まるで愛する者でも見るような目だ。
…何でそんな目を私に向けるの?
ロイの変な視線に疑問を持ちながらも、ロイの次の言葉を待っていると、ロイはその形の良い口をゆっくりと開いた。
「君があの全てを完璧にこなし、僕の心を掴んだリタだったんだね」
「…え」
ロイの言葉に私は固まる。
前半はユリウスから聞いていたので知っていた。
ロイは私の正体、事情を全て知っているのだと。
だが、後半は知らない。
ロイの心を掴んだ?
あの表情にあの甘い声。
どう考えても〝僕の心を掴んだ〟とは好きにさせた、と言っているようにしか聞こえない。
リタ代役時、ロイに面白がられている、または退屈しのぎになると気に入られている自覚はあったが、そこに〝好き〟だという感情は全くないと思っていた。
そもそも今目の前にいるロイが誰かを愛せるとも思っていなかった。
この男にはまるで心がないように思っていたからだ。
「心を掴んだって…。興味を持ったとかですよね?」
「僕の気持ちをわかっていて確認するだなんてステラもなかなか意地悪だね?」
勘違いであってくれ、と祈りながらロイに確認した結果、私は撃沈した。
わざとらしく恥ずかしそうに甘く笑うロイにどうやら嘘はないらしい。
「…ロ、ロイ様」
何だか気まずい雰囲気の中、少しだけ向こうから弱々しいリタの声がロイを呼ぶ。
リタの声が聞こえたことによってこの場にいる全員がリタに注目した。
全員の注目を集めたリタにはステンドグラスから降り注ぐ光によって暗い影が落ちている。
そんなリタの表情は悲しみや嫉妬、悔しさなど様々な複雑な感情で歪んでおり、ぼろぼろと涙を流していた。
「ねぇ、ロイ様?アナタは私の婚約者ですわよね?私の未来の旦那様ですわよね?だからそんなどこの馬の骨かもわからない女に愛を囁くわけありませんわよね?…その女はね?私のものなのですよ。私が死ねと言えば死ぬ、そんな存在なのです。そんな存在がアナタに愛を囁かれるなんて…。おかしな話ですわよね?」
泣きながらも笑いながらリタは必死にロイにそう訴えかける。
そしてそのまま何とかロイの方へと行こうとしたが、それは騎士たちに両脇を抱えられていることによって叶わなかった。
「違うよ。僕が愛を誓ったのは君じゃなくてステラだよ。皇帝陛下の元にいたのはステラだ。血判ももちろんステラのものだしね。君じゃないんだよ」
まるで幼い子どもに教えるように優しくゆっくりと、ロイがリタにそう伝える。
だが、優しく見えるのは表面上だけで、リタが認めたくない事実を分かりやすいように、分からせるようにゆっくりと伝えるロイはとても残酷だった。
「あ、あぁ。そんな、ロ、ロイ様…。わ、私…」
あんなにも美しく、気高かったミラディア帝国の美の女神リタはもう見る影もない。
愛する者に突き放された絶望がここまで人を変えてしまうのか。
「ス、ステラ…。お、お前さえいなければ…」
絶望したリタは今度はその怒りを私へと向け、私を睨む。
だが、その怨念の視線はすぐにロイがリタと私の間に体を移動させたことによって遮られた。
「ステラがいなければ君はきっと誰にも振り向かれない、哀れで寂しいお嬢様のままだったんだろうね。ステラが影武者になる前の君のように」
優しいロイの声から紡がれた言葉に私は思わず息を呑む。
あまりにも棘のある言葉だ。
いつもと変わらず飄々としているように見えたロイだったが、この様子からしてかなり怒っていたらしい。
そう思えるほど今のロイは攻撃的だった。
ロイの背中があるのでリタの様子はこちらからは確認できない。
しかしロイの向こうから「ゔぅ、ゔ、ああ」とリタの呻くような声が聞こえてきたので、リタが泣き崩れているのだということだけは何となくわかった。
それからリタは両脇を騎士に支えられながらこの屋敷を後にした。
「さて」
一気に暗くなった空気を入れ替えるようにロイが明るくそう言って微笑む。
「これでステラの不安要素は全部消えたね。君を殺そうとしていた者はルードヴィング伯爵も含めてもういない。君が逃げなければならない理由もなくなったという訳だ」
大きなステンドグラスを背にこちらに嬉しそうに微笑むロイは先ほどのリタとは対照的で、まるで一枚の絵画のようだ。
羽のない天使が今まさに目の前にいる。
もちろん見た目だけの話だが。
あの皇太子は見た目天使、中身悪魔だからな。
「ステラ、僕たちは始まりは少し違っていたとはいえ、皇帝陛下の元、正式に婚約式をした仲だ。どうだろう?これからも僕の婚約相手として一緒にいてくれないだろうか」
「え」
本日2度目の「え」が私の口から漏れる。
ロイのとんでもない提案に私はまた固まった。
この皇太子様は何を訳のわからないことを言っているんだ?私は戸籍すらない平民だよ?
そんな平民が皇太子と婚約?未来の皇后?
ないない。絶対にあり得ない。
「確かにロイ様と婚約をしたのは私でしたが、あれはリタ様としてしたものでした。どう考えても無効だと思われます。それに私は平民です。そんな私に未来の皇后なんて務まりません」
「いや、皇帝陛下の元で行われた婚約式だ。よっぽどのことがない限り覆せないよ。それに未来の皇后は君以外に適任なんていないしね。リタの影武者として身につけた教養は完璧だし、君の身分は公爵令嬢なのだから」
「え?公爵令嬢?え?」
「そう公爵令嬢」
おかしそうに私を見つめるロイを私は凝視する。
だがもちろん凝視しても私が何故〝公爵令嬢〟なのかはわからない。
ど、ど、ど、どういうことかな?
「ロイ殿下。ステラは確かに我が家門、フランドルの者であり、公爵令嬢です」
「は?」
訳がわからないままでいると私の頭の上から至って冷静なユリウスの声が聞こえてくる。
さらっと新事実を口にしたユリウスに私はもう本日何度目かわからない間の抜けた声を出した。
「フランドルの者…いえ、家族である俺から言わせていただきます。今回の婚約は無効です。ステラにはまだ婚約は早いですし、落ち着く時間が必要です」
「そうかな?ステラはもう十分フランドルに馴染んでいたじゃないか」
「いえ。まだまだ時間は必要です」
「ステラは19歳だよ。嫁に行ってもおかしくない年齢だ。それなら嫁ぎ先で落ち着いた方がいいだろう」
「…まだ19歳です。それに絶対に嫁ぐとは限りません。一生フランドルでもいいんです」
「それはユリウスの考えだろう?そこにステラの意思はないじゃないか」
「殿下こそ、そこにステラの意思があるのですか」
未だに状況を理解していない私の頭の上でユリウスとロイが変な口論をしている。
にこやかなロイvs不機嫌そうなユリウスの間には不穏な空気が流れ、一触即発状態だ。
どうしてこんなことに。
そもそも私の話をしているはずなのに一番私が状況を理解しておらず、置いて行かれているこの展開はどうすればいいのだ。
「ステラ様。俺はアナタの執事です。ですから、どこへ行くとしてもどうか俺をお側に置いてください」
皇太子と次期公爵が変な言い争いをしているというのに、そんな2人なんてそっちのけでセスが私に真剣に訴えかける。
「ステラは俺の家族です。ですから家族である俺の意見こそ優先されるべきです」
「ユリウス、それは違うよ。優先されるべきは未来の旦那である僕だよ」
「アナタのお側で死なせてください」
カオスだ。
三者三様の自由すぎる様子に私は1人頭を抱えた。




