40.幸せの崩れる音 sideセス
sideセス
幸せだ。
少し前までの世界も悪くなかったが、今の世界はもっと素晴らしい。
さんさんと降り注ぐ太陽の光はまるで全てを祝福しているかのように心地よく、頬を優しく撫でる暖かい風はまるで誰かを愛し、愛される喜びを表現しているかのように優しいものだ。
世界に溢れるどれもこれもが美しく、素晴らしいものだと感じられる。
これも全てステラ様が俺という存在を認め、そばに置くことを決めてくれたからだった。
ステラ様の足が完治するまであと一ヶ月もないだろう。
ステラ様の足が万全の状態になり次第、ステラ様と共に帝国外へと行き、新たな生活を始める。
その為に必要な準備はたくさんあり、きっと準備をしてもしても仕切れないはずだ。
だからこそ今からでもできることをやっておく必要がある。
たださえ忙しい毎日だが、それに加えてステラ様との明るい未来への準備もあり、ここ最近は目の回るような忙しさだったが、俺は全く苦には思っていなかった。
そんな忙しくも幸せで満ちた日々の中、俺は今日もステラ様に昼食を用意し、共に食べ終えた後、再びルードヴィング伯爵邸へと戻り、午後からの仕事もいつものようにこなしていた。
そしてリタ様の午後からのスケジュールを把握し完璧に立ち回る為に、リタ様の午後からの予定表を見た時、俺はある違和感に気が付いた。
「…」
予定表に書かれている学院からの帰宅時間がどうもおかしい。
ロイ殿下に注意されたことによって、リタ様は渋々学院に通っているが、それでも必要最低限だ。
リタ様はいつも午後から学院へ行き、2時間もしないうちにさっさと帰ってくる。
授業も受けず、何もせず、本当にただ気まぐれに学院に顔を出しているだけなのだ。
それなのに今日のリタ様の予定は違った。
学院からの帰宅時間が18時と記載されている。
リタ様は俺が昼休憩をしている間に学院へと向かった。
その出発時間はおそらく13時くらいだろう。
いつもとは明らかに学院への滞在時間が違う。
…学友との時間を過ごす、または何かやりたいことがある。
どれもリタ様らしくない滞在理由だ。
一体何を思っていつもよりも長く学院に滞在することを決めたのかと思ったが、俺は早々にその理由を考えることをやめた。
今考えても正しい答えに辿り着けるわけではない。考えても不毛なので、仕事をした方がいい。
俺は考えを切り替えて、騎士小屋へと向かうことにした。
ルードヴィング伯爵様に頼まれていた備品管理をする為に。
*****
騎士小屋は名の通り、騎士の小屋であり、ルードヴィング邸内には存在しない。
庭を歩き、少し開けた場所にそれは存在する。
俺は騎士小屋に辿り着くと、慣れた様子で騎士小屋へと入った。
「ああ、セスさん。こんにちは」
「こんにちは!セスさん!」
俺が騎士小屋に入ってきたことによって、若い騎士たちが俺に笑顔で挨拶をする。
俺はそれに応えながらもふとあることに気がついた。
「第一部隊の方々がいませんね。伯爵様とどこかへ出掛けているのでしょうか」
いつもならいるはずの第一部隊の騎士たちが全員いない理由を何となく若い騎士に聞いてみる。
ルードヴィングの第一部隊は精鋭の集まりだ。
何か有事の際に伯爵様と共に動くことが多い。そんな騎士たちが全員丸々いない光景はなかなか見ないので、何かあったのだろうと察せる。
「いえ、伯爵様とではなく、リタ様と出掛けられましたよ。何やらとんでもない犯罪者を捕まえに行くみたいで、第一部隊の力でないと駄目だとか」
「…リタ様と?」
1人の騎士の説明を聞き、俺は表情を曇らせる。
…嫌な予感がする。
「リタ様がどちらに向かわれたか知っている方はいらっしゃいますか?」
「んー。俺は知らないな」
「私も知らないです」
「馬車を使って行かねばならない場所だとは言っていたな」
「馬車庫に行けば行き先くらいはわかるんじゃないかい?」
俺の質問に騎士たちが口々に応えてくれる。
俺は一通り、騎士たちの話を聞くと、軽くお礼を言って、馬車庫へと足早に向かった。
*****
思えばここ数日、俺の機嫌も最高によかったが、リタ様の機嫌もとてもよかった。
まるで全てが思い通りになっていた、ステラ様がリタ様の代役を務めていた時のようにリタ様は生き生きとしており、誰かを痛ぶることを楽しむ、そんな目をしていた。
新しいおもちゃでも見つけたのだろう、とリタ様の変化を特に気にも留めていなかったが、もし、その新しく見つけたおもちゃがステラ様だったのなら。
…いや、そんなことはないはずだ。
最悪のシナリオを考えすぎだ。
「あら?セスさんじゃないですか」
馬車庫へとやって来た俺を明るい笑顔で馬車庫の管理人が迎え入れ、「何かご用ですか?」と聞く。
俺はそんな管理人に手短にリタ様が向かった場所について問いかけた。
「え?ご存知ないのですか?」
「…」
俺の問いかけにおかしそうに口を開く管理人にまた嫌な予感がする。
体中がぞわぞわして落ち着かない。
「リタ様はセス様のお屋敷に向かわれましたよ?てっきりセス様に関係することだっと思っていたので、セス様も知っているものだと…」
「…っ」
管理人の言葉に頭が真っ白になる。
リタ様がルードヴィングの騎士の精鋭たちを集め、俺の屋敷へと向かった。
犯罪者を捕えに行く、と言って。
リタ様は知っているのだ。
あそこにステラ様がいる、と。
「…教えていただきありがとうございました」
管理人に軽く会釈をして、馬車庫から飛び出す。
ステラ様を早くお助けしなければ。
このままではステラ様が殺されてしまう。
リタ様が今連れているのはルードヴィングの騎士の精鋭たちだ。その精鋭たちを俺1人で相手するのは難しい。
最悪ステラ様と共に殺されるだろう。
俺と共に戦力になり得る存在は今ここにいるのか。
そもそもただの執事である俺に力を貸す者はいるのか。
考えていても仕方ない。
とにかく動かなければステラ様を永遠に失ってしまう。
焦る気持ちを必死に抑えながらも、ルードヴィング邸内へと一度戻り、俺は自室へと向かう。
そこには暗殺に必要な道具がいくつかある。
それを持って俺だけでも行くしかない。
「伯爵、お前が僕に娘だと紹介した娘はリタではなく、影武者だった。そして僕の目を欺き、婚約までさせた。そうだろう?」
聞き覚えのある声が扉の向こうから聞こえてきたので、俺はその場で足を止める。
この優しくも相手に圧を感じさせる声はロイ殿下のものだ。
「何を仰いますか。リタに影武者?そのような者は存在しておりません。もしそのような者がおり、殿下と婚約をしたのなら、我々は皇族を欺いた罪に問われてしまいます。我がルードヴィングは古くから皇族に忠誠を誓っている一族です。そのような裏切り、私がするはずがないでしょう。皇族は絶対なのですから」
「饒舌だね、伯爵。まるで必死に嘘を隠そうとしているみたいだ」
「…んんっ。忠誠心からのものです。私の言い分も聞いて欲しいだけです。決して嘘を隠そうとしている訳ではございません」
殿下に痛いところを突かれて、殿下の相手をしている伯爵様が苦し紛れに言葉を吐き出している。
殿下と伯爵様のただならぬ雰囲気の会話に俺はすぐに扉の向こうの状況を察した。
殿下は今、伯爵様を断罪しているのだ。
殿下なら伯爵様の悪事で命を狙われているステラ様を助けてくれるかもしれない。
俺は焦る気持ちを抑えながらも、殿下と伯爵様の話し声が聞こえる扉のドアノブを握り、回した。




