38.すべてうまくいく
セスは約束通り、次の日には、私に車椅子を与え、監禁していた部屋から出ることを許してくれた。
最初こそ、セス同伴の元、屋敷内を散策していた私だったが、いつしかセスは私が1人でも屋敷内を散策することを許すようになり、もう屋敷内だけなら私は自由に動くことができていた。
「綺麗だねぇ。この花はなんていう花なの?珍しい色だけど」
セスに車椅子を押されながら、私は屋敷の庭に咲く花々に感嘆の声をあげる。
レンガの道を囲むように咲き誇る花は見たことのない見た目をしており、色も不思議な色をしていた。
例えばあそこの紫色の花。あの花の紫はただの紫ではない。青みや赤みを帯びる紫がグラデーションのように混じり、何故か薄くキラキラと輝いて見える。
どの花もあの紫の花のように、一概にこの色だと言い切れないような色をしており、キラキラと輝いていた。
「こちらはライトという魔法花なのですが、どの花も輝く魔法薬を使用して育てられており、この屋敷にのみ生息する花なんです」
「へぇ…。魔法薬でキラキラしているんだね」
「はい。ライトという魔法花ですが、魔法薬で改良しているので、厳密にはライトではございません。アナタの為に育てた花なので、ステラ、と名付けるのいかがでしょう?」
「え!?ステラ!?」
突然何でもないようにとんでもない提案をするセスに思わず驚き、後ろを振り向く。
するとセスはお昼時の柔らかい日差しを浴びて、それはもう愛おしそうに私をまっすぐと見つめていた。
とても気恥ずかしくなる慣れることのできない視線だ。そんなにも愛おしげに見られると恥ずかしさで溶けてしまう。
「…ス、ステラはやめよう。あまりにも直接的すぎるよ。花の名前にされるとか恥ずかしいし。ライトの改良版だからライト2とかは?」
「…ステラ様、アナタは素晴らしい方ですが、そのネーミングセンスはあまり…。いえ、個性的といいますか、誰もがあえて選べないものを選べるといいますか…」
「はっきり言って大丈夫だよ」
私が適当に言った名前を明らかに言いにくそうに否定しようとするセスを私は真顔で見つめる。
わかっているよ、セス。安直な名前を言ったことはわかっているの。そんなに言葉を選んで話さなくてもいいから。
「…ライト2はやめておきましょう。他の名前がいいかと」
「はは、そうだね」
言いにくそうにだが、まっすぐ私を見つめてそう言ったセスに私は笑った。
私とセスはこんな感じで私がリタの代役を務めていた時と同じ関係をまた築けている。
もう仄暗い瞳で私を見つめるセスはいない。
セスの精神は安定し、さらには安心したことによって、私に自由を与えてくれた。
あとはセスをこのまま味方にし、帝国外へと出るだけだ。
セスに何も言わずに、ここから逃げるように出るつもりはない。
きっとここを逃げるように出れば、またセスは歪み、不安定になるだろうし、何より一生私を追い続けるだろう。
だからこそ私はもう一度全てを話し、セスからの同意を得てここを出るのだ。
「セス」
セスと真摯に向き合う為に、私は前を見たまま声音を変える。先ほどの明るい声とは違い、真剣な声はこれから大切なことを話そうとしているとわかる声だ。
「…ここでの生活は安全で楽しい。だけど私はもっと広い世界を見たい。もっと自分の力で自由に気ままに生きていきたいの。だからここから出て行きたい。帝国外へ行きたい」
話をする私の両手に自然と力が込められる。
一度この話をした時は、全てを否定され、両足を折り続ける宣言をされた。
いくら最近のセスが穏やかだとはいえ、緊張しない訳がない。
私の目の前で風に吹かれて揺れる色とりどりの花たちは、今の私とどこか似ている。
どこへにも行けれない、セスの手によって丁寧に世話された美しいだけのもの。
ここへいればずっと美しく長く生きられるのかもしれないが、自由はない。
あの花も私も閉ざされた世界の住人だ。
セスの次の言葉が怖い。
やはり私を自由にしたのは間違いだったのだとまた自由を奪われるかもしれない。
未だに何も言わず、しまいにはその場で足を止めたセスに、私はずっと緊張していた。
振り向いてセスの様子を窺うことさえできない。
「…アナタはいつも俺を天国から地獄へと叩き落とすのですね」
何秒、いや何分待ったのだろうか。
やっと後ろからセスの声が聞こえる。
「いつもアナタはそうでした。アナタと共に生き、アナタだけに忠誠を誓える喜びをアナタはいつも何でもない顔をして奪う。何度も誠実に伝えてもアナタには届かない。アナタはどこまでいっても酷い人だ」
後ろから聞こえてくる辛そうな声は、振り返らずとも、セスの悲痛な思いが伝わってくる声で、私の胸まで痛くなる。
私の言葉に絶望した声だ。
私がいつセスから喜びを奪ったのだろうか。
忠誠を誓える喜びって…。
そこまで考えて、私の頭の中にふとある言葉が思い浮かんだ。
『ステラ様、アナタこそが俺の主であり、たった1人の俺のお嬢様なのです』
こっそりと囁くようにセスが私に何度も言っていた言葉。
私はいつもそれを本気だとは思わず、適当に流していた。
私はあくまでリタの代役だ。ただの代役に忠誠を誓う意味がわからなかったのだ。
セスにとっては本気だった言葉を受け取ってもらえず、ただ聞き流されていた日々はどんなに胸が痛かったのだろうか。
あの頃から今までのセスのことを思い、私は罪悪感に襲われた。
私はまたセスを傷つけて、セスの必死に伸ばす手を振り払うのか。
「…セスは私の為に全てを捨てられる?」
「…はい」
唐突に問いかけた私にセスが辛そうにだが、迷いなく答える。
こんなにも簡単に答えてしまうようでは、「私の為に死んで」と言っても、「はい」と言われそうだ。
「じゃあ一緒に逃げてくれる?私と逃げることは一生命を狙われる可能性があることだし、今のような立派な立場も職もない、そんなリスクしかないけど…」
もうこれ以上セスを突き放せない。
そう思った私の答えがこれだった。
私と一緒に逃げたってセスにいいことなんてない。
セスは貴族の出身で、ルードヴィング伯爵家の執事で、こんな立派な屋敷まで持っている。
それを私と逃げるということは全て手放さなければならないのだ。
そして何より私と逃げるということは一生命を狙われる可能性が付き纏う。
それでも私といたいと言うのなら。
1人でいるよりも2人でいた方が都合がいいのは確かだ。セスがいてくれるなら今後いろいろと生活もしやすくなるだろう。
だから私はセスを私の逃亡劇に巻き込むことを決めた。
「…ス、ステラ様」
私の後ろから震えるセスの声が聞こえる。
「ありがとうございます。俺にそんなお言葉をくださるなんて…」
そこまで言うとセスは車椅子の後ろから私の前へと移動し、私の前で跪いた。
私を見つめるその空色の瞳には、美しい涙が溢れ、セスの頬をゆっくりと流れている。
セスが丹精込め育てたキラキラと輝く魔法花を後ろに泣くセスは本当に美しく、どこか幻想的で私は思わず息を呑んだ。
「アナタのお側にいさせてください。ステラ様、アナタこそが俺の主であり、たった1人の俺のお嬢様なのです」
こちらをまっすぐ見つめるセスの真剣な眼差しに気が引き締まる。
私は今、セスの人生を貰ったのだ。
これからは私だけではなく、セスのことも考え、行動し、責任を持たなければならい。
「ありがとう、セス」
あの頃の私なら受け取りもせず、流し続けたセスの言葉を私は初めて笑顔で受け取った。
するとセスは感極まった表情を浮かべて泣きながらもしっかりと力強く頷いた。
*****
セスが私の本当の味方になってくれた。
あとはこの両足を治し、セスと共に帝国外へと行くだけだ。
いろいろあったが、今度こそ私は本当に帝国外へと逃げ、自由を手に入れられる。
今度はセスも一緒だ。きっともう大丈夫なはずだ。
セスと共に昼食を食べ、セスがまた仕事へと行った午後。
もう屋敷内を自由に動くことを許されていた私は1人車椅子に乗って、この屋敷内の廊下を何となく散策していた。
大きな窓から昼下がりの暖かい日差しが差し込む。
少し前までは、この日差しでさえも浴びることが叶わなかったわけだが、今ではもうそうではない。
「…」
…ユリウス元気かな。
ふと、窓の外の美しい景色を見て私はそう思った。
フランドル邸から逃げ出してもうどれほどの月日が経ったのだろうか。
キースに保護されていた一ヶ月間はちゃんと外の情報を得ていたので、ユリウスがずっと私を探していることも知っていたが、セスに監禁されてからは外の情報を一切得れていないので、ユリウスの近情がまるでわからない。
今も私が消えたことに心を痛めているか。
それとも私なんて忘れていつもと変わらぬ生活を送っているのか。
…どうか後者であって欲しい。
ユリウスにはもうできるだけ辛い思いはしてもらいたくない。幸せであって欲しい。
そんなことを思っている私の耳に複数の足音が聞こえてくる。
遠くから聞こえるそれは徐々にこちらへと近づいてきた。
「…」
この屋敷でセス以外の人に出会ったことはない。
この屋敷にはいつも私とセスだけで誰もいなかった。
それなのに複数の足音が今、こちらに迫っている。
…セスがこの広すぎる屋敷を1人で管理することに限界を感じて人を雇ったとか?
その人たちが今たまたま私のいるところに向かっているとか?
そうであったのならどんなによかったか。
廊下のずっと向こうから迫ってきた足音の持ち主に私は言葉を失った。
「やぁっと見つけたぁ。ステラぁ」
ミラディア帝国の美の女神。
そう称されるこの帝国一の美女、リタがこちらを見つめて微笑んでいる。
「ずぅと探していたのよ?私の為だけに存在を許された人間のくせにどうして逃げ出しちゃったのかしら?お前はね、死ねと言われたら死ななければならない人間なのよ?」
リタは私に優しく、だが、どこか冷たくそう言うと、それはそれは愉快そうにその猫目を細め、ゆっくりとこちらへと近づいてきた。
…このままリタに捕まれば確実に死ぬ。
リタの様子を窺いながらも、逃げる隙を探し、車椅子を後ろへと下げる。
「あらあら。逃げちゃうのかしら?お前は死なねばらないというのに」
「…っ!」
だが、私の車椅子は後ろから誰かに押さえつけられたことによって動かなくなった。
…まさか後ろにまで人がいたとは。
気づくことができなかった存在の登場に私は表情を歪める。
「みんな、みーんなね。私じゃなくてお前を評価するの。お前は私なのにおかしいわよね?あの顔だけしか取り柄のないユリウスにはいつもバカにされて、ロイ様からは無下に扱われる。お前が私だった時はそうではなかったのにおかしいわよね?何でみんなお前を評価するのかしら。お前は何も持たない何者でもないただの道具だというのに」
リタがおかしそうにくすくすと笑いながら、ゆっくりとこちらに迫る。
私を見つめるアメジストの瞳は鋭く、嫉妬や憎悪、怒りなど様々な感情が入り混じっていた。
明確な悪意しかない瞳だ。
「さあ、できるだけ苦しんで死にましょうね」
逃げることのできない私は、ぐっとリタに胸ぐらを掴まれ、車椅子から無理やり引きずり落とされる。
「…っ」
リタに引きずり落とされたことによって、私は床へとそのまま落下し、足と頭以外の全てに鈍い痛みを感じた。
最悪だ。
今まで陥ったどの状況よりも最悪で私は絶望的な気持ちになる。
万全な状態の私なら何とかこの場から逃げられるだろうが、今は違う。
両足を骨折している為、思うように動かせない。
ここから形勢逆転することはほぼ不可能に等しい。
「まずはどこから痛めつけようかしらぁ」
鼻歌交じりに私を見下ろしているリタと目が合う。
私は注意深くリタの次の行動を見ながらも、胸にあるネックレスを握り締めた。




