35.歪んだ愛情
上質な布にふわふわの布団とマットレス。
捕えられたにしてはやけに待遇の良すぎるベッドの上で私は目を覚ました。
てっきり冷たい床の上で目覚めると思っていたので拍子抜けだ。
そう思いながらもとりあえず状況を確認する為に体を起こす。
そこで私はある違和感を覚えた。
体調が悪い訳はない。
酷い痛みを感じる訳でもない。
むしろ体は軽く、調子もいいくらいだ。
それなのに足に全く感覚がないのだ。
痛みも何も感じられず、動かすことさえもできない。
足の違和感の正体を探る為に、恐る恐る布団をめくろうとしたが、それはある人物に声をかけられたことによって止められた。
「お目覚めですか、ステラお嬢様」
足元から反射的に声の主の方へと視線を向ける。
するとそこには本当に嬉しそうにその空色の瞳を細めてこちらを見つめるセスの姿があった。
「…セス」
布団を握る右手に力がこもる。
私をここへ連れて来た張本人、セスの登場に緊張が走った。
セスは何度も言うが、リタの専属執事だ。
私を処分する為に私を捕えたのだ。
いつ攻撃されてもおかしくはないし、足に感覚がない今、反撃することさえも難しい。
今の私は完全に不利な状況だ。
「…あぁ、そんなお顔をしないでください。俺はアナタの執事なんですよ?」
セスを警戒する私にセスが悲しそうに微笑む。
それからゆっくりとこちらに近づいてきた。
「…っ」
そんなセスに私は身構える。
…動ける上半身だけで少しでも抵抗するしかない。
セスの次の動きを注意深く観察し、少しでも反撃のチャンスを逃さまいと集中していると、セスは私の傍までやって来てそっと私の頬に触れた。
「そんなに怖がらないで。俺はアナタの味方なのですから」
セスの細く白い指が私の頬を優しく撫でる。
壊れ物を扱うように慎重に慎重に触れるその指からは何故か敵意は感じられなかった。
おかしい。
セスは私を殺すはずなのに一向に私を殺そうとはしない。
反撃の隙を伺う私の頬をずっと撫で回している。
…ちょっと触りすぎな気がする。
私が嫌がらないことをいいことに好き勝手やっているぞ、セスは。
「…セスは本当に私の味方なの?」
私の頬を撫で続けるセスの手を止めて、懐疑的な視線をセスに向ける。
するとセスはその女性にも見える中性的な顔でふわりと笑った。
「当然です。俺はアナタの執事なのですよ?ここもルードヴィング伯爵家ではなく、俺の屋敷です」
「え」
セスの言葉に私は驚きで目を見開く。
ここはセスの屋敷なの?
セスの言っていることが正しければ状況が変わってくる。
セスが私を捕え連れてきた場所が、ルードヴィング伯爵家ではなく、セスの屋敷だったとしたら。
その理由はきっと…。
「…私を匿う為にここへ連れてきたの?」
「ええ」
おずおずとセスを見れば、セスは変わらず嬉しそうに笑う。
やっとわかってもらえた、とそんな表情をしている。
「俺はずっとアナタを殺すように言われたその日から俺のたった1人の主人であり、お嬢様であるステラ様を守る方法を探していました。だからこの屋敷も用意し、来る日に向け、準備をしていたのです」
「…」
仄暗い笑みを浮かべ、光の一切ない空色の瞳が私をまっすぐ見据える。
セスの話はにわかに信じ難いが、だが、今はこの話をとりあえず聞き入れるしかない。
「ここに居ればアナタの命が脅かされることはありません。俺のお嬢様は俺がこの手で今度こそ必ず守ってみせます。ですからどうかずっとここで囚われていてください。大丈夫。アナタの心の準備もできるように両足の骨も折っておきました」
「え…」
何とかセスの話を聞いていた私だったが、両足の話をされて思わず表情をこわばらせる。
私の両足に感覚がないことは目覚めてから今までずっと違和感を覚えていたが、それがまさか私を守ると言った張本人の手によって折られていたとは。
それに心の準備とは何だ。その為に両足の骨を折るとはどういうことだ。
今の状況に戸惑う私にセスが「ご安心してください。万が一、アナタが痛みに苦しむことのないよう、足の感覚を失う魔法薬を使っております」と笑顔でご丁寧に説明する。
だがそうではない。
私はそんなことを聞きたいのではない。
何故、私の両足を折る必要があったのか聞きたいのだ。
「…私は自分の身くらい自分で守れるよ。だからセスに匿われる必要は…」
「その足でどのように自分の身を守るのですか?」
「足はセスが折ったんでしょう?今は無理でも足さえ治れば…」
「では治るたびに折りましょう。そうすればアナタはどこへにも行けれません」
私が何かを言うたびにそれをセスがバッサリと否定し、おかしなことを言う。
そしてふふ、と嬉しそうに笑うセスのその目は全く笑っていなかった。
あんなにも美しい青空のような空色の瞳がまるで曇り空のように曇っている。
狂っている。
普通ではない。
「大丈夫。何度も何度も折っていればアナタも理解するはずです。ここが一番安全でアナタにとっての楽園なのだと」
そんな訳ないではないか、と今すぐにでも言いたかったが、私はその言葉を何とか飲み込んだ。
今、それを言うことはセスを刺激すると思ったからだ。
私の知っているセスはこんな人ではなかった。
いつも冷静沈着で落ち着きのある正しい人だった。
そんなセスが何故こんなにも歪み、狂ってしまったのか。
訳こそわからなかったが、そこで思考停止する訳にはいかず、私は次の言葉を口にした。
「…セスは私の味方だって誓える?」
「もちろんです。魔法を使い、命をかけた契約をしても構いません。アナタを絶対に害さない、と」
…人の足を折っているくせに何を自信満々に言っているんだ。
当然だ、と言いたげにこちらを見るセスに呆れて、思わず顔をしかめる。
全く信用ならない言葉だが、セスの中では私の両足を折ることは、私を守るための行為であって決して害しているつもりはないのだろう。
何と恐ろしい感覚なのだ。
だが、それでもセスは私の味方だと誓ってくれた。
味方としての方向性はおかしいが、それを修正すればきっと私の大きな力になってくれる…かもしれない。
「…セス、アナタが私を想って私を匿っていることはわかったよ。だからどうか私の味方として私の話を聞いて欲しい。私は自分の身を守る為に帝国外に逃げて、帝国外で生活しようと思っているの。だからセスが私の味方だというのならそれを手伝って欲しい」
どうか私の願いを聞いて欲しい、今の状況は私にとって全然プラスではないと気づいて欲しい、と祈りながらもセスを見る。
するとセスはその空色の美しい瞳をスッと細めた。
あ。
それを見て私は本能的に自分が間違えてしまったのだと気がついた。
だが、気づいたとしても間違えた後ではもう遅い。
「ご冗談を。アナタが俺から離れて1人で生きる為の手伝いをしろだなんて。俺はアナタから離れて生きていけれないというのに」
息を呑むほど恐ろしく、美しい。
そんな彼が仄暗い瞳で私をまっすぐと見据えている。
その表情には先ほどまで浮かべていた笑顔さえもなく、無表情だ。
だが、その仄暗い瞳には様々な感情があり、私を戸惑わせた。
愛、執着、寂しさ、怒り。
様々な感情が渦巻く瞳が私を捉えて離さない。
ドロドロとした甘い視線が私に降り注ぐ。
「…セス、アナタは私がいなくても生きていける。現に今までだって…」
受け止めきれないセスからの感情に気まずくなり、セスから視線を逸らす。
「それはアナタを捕え、共にこの楽園で朽ち果てるその日を思っていたからです。だから俺は生きてこられた」
だか、それをセスは許さず、右手で私の顎を持つと無理矢理自分の方へと向かせた。
「よく見て。これがアナタを心から慕い、愛する者の瞳です。アナタを守れるのは俺だけだ」
「…」
私をじっと覗くセスに私は言葉を失う。
どうしてこうなってしまった。
私はセスのことを幼馴染のような存在で、共にルードヴィング伯爵家で切磋琢磨してきた同志だと思っていた。
だか、私をまっすぐ見つめるドロドロとしたセスの瞳にはどう考えても私と同じ感情はない。
何をどう間違えてセスはこんなにも歪んでしまったのか。
今の状況に唖然としていると、セスはそんな私なんてお構いなしにまた笑顔を浮かべた。
「大丈夫ですよ、ステラ様。アナタはここにただいるだけでいいのです」