28.天国のまどろみ
「はぁ~」
スパでの最高のひとときを終え、客室のふわっふわのソファに腰掛けて、1人幸せな気分に浸る。
案外、悪くない体験だった。
むしろ、またいつか体験できるのならば、ぜひ体験したいと思えるほど素敵すぎる体験だった。
さすが各諸国の権力者や貴族ご用達の最高級ホテルのおもてなしだ。
「ご機嫌だね。なかなかいいところでしょう?」
そんな私の隣に腰掛けて、満足そうに私を見ているのは、この幸せ体験をさせてくれた張本人、ロイだ。
ありがとう、ロイ。
アナタのおかげでここ1週間の疲れが一気に消えていったよ。
「素敵な場所ですね…。平民の私がこんな体験できるなんて夢のようです」
「ふふ、そうだろうね。宮殿で働いてくれたら福利厚生としてステラが好きな時にこれを受けられるようにしてあげるよ」
「…な」
何て素敵すぎる提案なんだ。
と、口から出そうになるが、それを私はぐっと堪える。
そんなことを言えば、この獲物を捕まえようとしている狩人に捕まってしまう。
「な?」
〝な〟だけ言って、何も言わなくなってしまった私を不思議そうに、だが、どこかおかしそうにロイが見つめる。
ロイのあの目は今の状況が楽しくて楽しくて仕方ない、という目だ。
「…な、何と身に余るお言葉でしょうか。ただの平民にそのようなことを言ってくださるとは」
そんなロイに私は困惑しながらも感激している表情を作り、嬉しそうに笑った。
するとロイはふわりと笑い、目を細めた。
「当然だよ。だってステラは僕の大切な友人だからね」
「…はぁ」
天使で慈悲深いロイに思わず、間の抜けた返事をしてしまう。
ここまで上手くやっていたのに、つい取り繕っていた仮面が取れてしまった。
友人だからと平民を特別扱いしていい訳ないじゃないか。
それも帝国の皇太子が。
「…アナタの友人である前に私は平民です。ですから今の待遇だけでも異例であり、当然ではないんです」
間の抜けた返事からすぐに切り替えて、丁寧に事の異常さをロイに説明してみる。
だが、ロイはそんな私をおかしなものでも見るような目で見て、「いやいや。当然だよ。ステラにはそれを受ける資格がある」とにこやかに言っていた。
いやいやはこちらのセリフだ。
どう考えてもおかしいのはそちらだ。
「さぁ、今度は食事にでもしようか。ここの特産は肉でね。特に牛肉がとても美味しいんだよ」
「…そうなんですね」
呆れている私なんてお構いなしに、ロイが話を進めるので、私は何とか笑顔を作る。
ロイの言動には首を傾げざるを得ないが、それでもこれから運ばれてくるであろう肉料理に、私は内心わくわくしていた。
そもそもロイに会うまでは、美味しい昼食を求めて、街の中を彷徨っていたのだ。
お腹が減り過ぎている時に、最高級の肉料理とは最高すぎではないか。
これからこの目の前のテーブルに並べられる、肉料理の数々に、期待を膨らませながらも、私は肉料理が運ばれるのを待った。
この皇太子による素敵なおもてなしはまだまだ始まったばかりみたいだ。
*****
それから私はロイと一緒に最高級の肉料理を楽しんだ後、ふわっふわのソファの上でゆっくりと過ごしていた。
「それでいろいろあったんだけど、結局はピエールが1人で右往左往していてね。最後にはもう力技でピエールが全部解決していたよ」
「あはは。ピエール様すごいですね」
「ああ、彼は本当に優秀な人間だ」
私の隣で面白おかしく話すロイの話に私は笑いながら相槌を打つ。
力技で解決するしかなかったピエールには、心の底から同情する話だったが、それでもあの局面から解決へと導いたピエールに、私は心から感心していた。
さすがロイが選び、そばに置き続ける右腕だ。
「…」
…それにしても眠い。
ロイとの会話がつまらない訳ではない。むしろとても楽しい。
それでもどうしても眠たくなる。
1週間、緊張続きの日々を過ごしていた私にとって、こんなにも穏やかで、のんびりとした時間を過ごせたのは本当に久しぶりだった。
やっと得た休息に緊張の糸が切れたかのようにどうしても力が抜けてしまう。
そんな私にふわふわのソファと昼下がりの暖かさは毒だ。
寝てください、と言っているようなものだろう。
それに最高級のスパを受け、最高級の肉料理を楽しんだ後だ。
眠たくなるに決まっている。
瞼が何度も何度も下がり、視界がゆらゆらと揺らぐ。
…もう限界が近い。
「それでステラは…ステラ?」
「…ふぁい」
「ふぁい…?」
ロイが何故かおかしそうに私を見ている気がする。
だが、眠たすぎてロイの正しい姿を認識できない。
「ふふ、疲れていたもんね」
ふわふわとそんなことを思っていると、ロイの優しい声と一緒に私の視界が急に暗くなった。
ロイが私の目に自身の手を覆い被せたからだ。
「おやすみ、ステラ」
優しいロイの声が遠くから聞こえてくる。
煙のように意識が薄まっていく中、私はどうでもいいことを何故か今ふと思った。
この人、確か仕事でここに来ているって言ってなかったっけ?
*****
ふわふわだ。
全部全部ふわっふわ。
ここは天国かな…。
…ん?
ふわふわ?
「…っ!」
そこまで考えると、私は慌てて体を起こした。
ここはどこ!?
状況を確認する為に、キョロキョロと周りを見渡せば、先ほどまでロイといた高級ホテルの客室と全く同じものたちが目に入る。
一瞬だけ、「よく似た部屋だなぁ」と寝ぼけ眼に思っていたが、よく見るとここは先ほどまでいたあの客室だった。
そしてどうやら私はいつの間にか、あのふわっふわのソファの上から立派なベッドの上へと移動し、さらに布団までご丁寧にかけられて、寝ていたようだった。
どうりで全部が全部ふわっふわな訳だ。
…て、納得している場合ではないぞ。
寝る前の私の最後の記憶では、窓の外の空はまだ全然明るく、夕方にさえなっていなかった。
私がどれほど寝てしまったのかわからないが、あの苦しさに襲われていないことからまだ夜は来ていないのだろう。
時間を何とか把握する為に、今度は窓の外へと視線を向ける。
すると私の視界にもうオレンジ色に染まってしまった空が入ってきた。
太陽が沈み始めている…つまり、夜はもうすぐそこまで来ているのだ。
このままではまずい。
早ければ、あと数十分もしないうちに本来の姿に戻ってしまう。
たった数秒でそう判断した私は慌ててこの部屋から出る為に、ベッドから飛び降りると、ソファに座って本を読んでいたロイと目が合った。
「おはよう、ステラ。そんなに慌ててどうしたんだい?」
「…っ!ロイ!」
ふわりと笑うロイに、私は思わず大きな声を出してしまう。
さらに反射的にロイを呼び捨てにしてしまったので、私は慌てて自身の口を両手で覆った。
「も、申し訳ございません!ロイ様!」
バッ!とその場で勢いよく頭を下げ、すぐに先ほどの無礼すぎる言葉を謝罪する。
そんな私にロイは「顔を上げて、ステラ」と優しく言った。
「何故謝るの?僕はね、今、とても嬉しんだよ」
ルビー色の瞳が何故か本当に嬉しそうに私を見ている。
「君は平民であってもユリウスには砕けた態度を取っているね?僕にはそうしてくれないのに。平民の君にとって皇族も公爵家の者も同じ身分が上の者だろう?それなのにユリウスにだけステラはああだよね」
甘い声に甘い笑顔に甘い瞳。
私を見つめるロイの全部が全部甘い。
何故こんなにもドロドロしたものに見つめられているのかわからず、私は困惑した。
ロイが私を気に入っていることは知っていたが、こんなドロッドロの甘い瞳で私を見るような気に入り方をしていただろうか?
「僕にも同じようにして欲しいってずっと思っていたんだよ。だから今、こうして〝ロイ〟って呼んでくれたことが何よりも嬉しいんだ」
「…はぁ」
ふわりと笑うロイに思わず間の抜けた返事を返してしまう。
皇太子様の考えはよくわからない。
「…ロイ様、今日はありがとうございました」
ロイの考えはよくわからなかったが、私はとりあえずここから離れる為に、今日のお礼を口にする。
「それでは私はこれで」
そして自分の鞄を見つけると、それを手に取り、さっさとこの部屋を後にしようとした。
…したのだが。
「待って」
それはロイの一声によって止められてしまった。