27.不満と思惑
「フランドルに…いや、ユリウスに何か不満があったからこそ、こんなところまで逃げてきたんだよね?」
建物と建物の間から差し込む太陽の光は、まるで雲と雲の切れ間から漏れ出る光のようで、それを受けているロイはいつにも増して天使のようで何よりも美しい。
そんな神の使いにしか見えないロイが窺うようにこちらを見つめる。
「君のような子どもが大人を頼らず1人で生きていくのはいろいろと大変だろう?だから僕が君を保護するのはどうかな?フランドル公爵邸ではなく、宮殿にずっと住めばいいよ。君が逃げたくなるようなことは絶対にしないし、贅沢も約束したっていい」
そしてロイはそこまで言うとルビーの瞳を細め、その笑みを深めた。
きっと私と同じ状況の者なら、誰もが受けたいと思ってしまう素敵すぎる提案だろう。
何も持たない平民が宮殿にずっと住まうことができ、贅沢をする権利まで与えられるなんて。
だが、まるで獲物を罠に誘き寄せようとしている狩人のようなロイの雰囲気に、私は本能的にそんなロイを警戒した。
私を宮殿に住まわせたいロイにとって、私が逃走していることも、お気に入りを手に入れる手段が一つ増え、むしろそれはそれで好都合とさえ思っていそうだ。
このままではロイに保護され、その後、宮殿に住む羽目になってしまう。
そうなればもう死亡ルートまで一直線だ。
私が死なない為にも今、目の前にいる皇太子からの提案をきちんとお断りし、隙を見てここから逃げなければならない。
「…ごめんなさい。プチ旅行は嘘なんです。実はちょっとしたトラブルがあってユリウスに事情を話す間もなく、フランドルを出たんです…」
私はそう言うとシュンっとした表情と雰囲気を作った。
きっとロイなら私がきちんと言わなかった、
『決してアナタが思っている〝不満〟があってフランドル公爵邸を出た訳ではないんですよ』
という、意味まで読み取ってくれるはずだ。
それに私はオブラートに包んでいるだけで嘘もついていない。これならロイも私の話を信じ、かつ、私を宮殿へと連れて行こうとはしないだろう。
悲しげな雰囲気の私をロイが探るようにじっと見つめる。
真偽を確かめようとするその視線に晒されること数十秒、ロイのその瞳からやっと疑念が消えた。
「そう…。それは大変だったね。そのトラブルって何が起きたのかな?僕でよければ力になるよ?」
「いえ、私の問題なので皇太子であるロイ様のお手を煩わせる訳にはいきません」
「ふふ。君って本当に面白いね。平民の子どもってみんなそんなふうにお堅い喋り方ができるの?学校でそう習うのかな?」
「…」
しまった。
ついリタ代役時の調子で喋ってしまった私をロイがおかしそうに見つめている。
平民の子どもがこんな喋り方をするはずがないし、そもそもこんな喋り方があるなんて勉強しない限り知らないはずだ。
ロイは私が他の子どもと違うとわかっていてあんなことを言っているのだ。
私を見つめるルビー色の瞳を見ろ。
ものすごく意地悪な瞳をしている。
「公爵邸で貴族の礼儀作法は習っておりますから。平民ですが少しくらいなら〝お堅い喋り方〟もできます」
だが、ここで焦る私ではない。
リタ代役時にいろいろな場面を切り抜けてきたのだ。
私は笑顔をすぐに作り、にっこりとロイに笑ってみせた。
そんな私を見てロイは「そうだね。勉強熱心な君ならすぐに貴族の礼儀作法も身につくよね」と納得したように頷いていた。
…本当に納得しているのかは正直わからないところだが。
「さて、君の難しい事情はわかった。それでも君の安否くらいはユリウスに伝えてもいいかな?ユリウスがとても心配していてね。ここ1週間、騎士団の仕事も学院も休んで君を探しているんだけど、目に見えて弱っているんだよ、ユリウス」
「…」
ロイが窺うように私を見つめる。
ユリウスが必死に私を探していることは知っていたが、いざ、ユリウスの様子を知っている人から直接ユリウスが弱っていると聞いてしまうと心が苦しくなる。
もう2度と弱っているユリウスなんて見たくなかったが、今度は私が原因でユリウスが弱っているなんて。
「…わかりました。ユリウスに私の安否を伝えてあげてください。でも…」
私はそこまで言って一旦言葉を区切った。
ロイに念を押す為だ。
「私がここへいることまではユリウスに伝えないでください。私はまだ帰れないので…」
「わかったよ。君が望むならそうしよう」
今度は私の方がロイへと窺うような視線を向ける。
するとロイはいつもの天使のような笑顔でそれをあっさりと了承してくれた。
よかった。これでユリウスに見つかって強制連行も免れる。
後はこの皇太子の前から姿を消すだけだ。
「ユリウスには君の居場所は教えない。その代わり、ステラには僕に今日1日付き合ってもらうよ」
どうやってロイの前から姿を消そうか思案しているとロイはそう言って私をある場所へと連れて行った。
*****
「ステラ様。全て私共にお任せください。さぁ、ゆっくり休んで」
「い、いえいえ。このくらい自分でできますから」
「そう言わずに。ぜひとも我々を頼ってくださいませ。ロイ殿下からも手厚くもてなすように言いつけられておりますので」
バスタブいっぱいに泡とお湯が入ったお風呂に入れられ、私は今、丁寧に数人の女性のメイドたちに洗われている。
そんなメイドたちに私は先ほどから、自分でできるから、とやんわりとお世話のお断りを入れ続けているのだが、メイドたちはそれを軽く受け流し、私の世話を焼き続けていた。
ここはこの街一高級なホテルの客室にあるお風呂場だ。
ロイが私を連れてきたある場所とは、皇族や貴族、はたまた各諸国の権力者等しか利用できない超高級ホテルだった。
何故、私が今、こんな場所でメイドたちに洗われているのか。
それはロイによるある一言が始まりだった。
「ここまで来るのにとても苦労したんだね。今日は1日一緒に僕とホテルで休もう。まずはスパでリラックスしておいで」
と、天使のような美しい笑みを浮かべてそう言ったロイにより、私は今、ここにいる。
スパでリラックスさせてもらえるのは大変有り難いが、まさか全てをお世話されるとは思いもしなかった。
あくまで平民の子どもなのに手厚すぎる。
ロイの命令だから叶った贅沢だ。
「あの…。本当に後は自分でやりますから」
不本意だが、一通り洗われてしまった私に残されたここでの工程はバスタブから出て、この泡を洗い流すことだけだ。
さすがにそれは私自身でやろうとおずおずとメイドたちを見たが、メイドたちはそんな私にふわりと笑った。
あ、これ、多分ダメなやつだ。
メアリーが私の主張を否定して、私のお世話をする時の笑顔によく似ている。
「この後はマッサージもございますからね。心身ともにリラックスできる香を焚いております。きっとさらに疲れが取れることでしょう」
「…あ、はい」
メイドの丁寧な説明に私は苦笑いを浮かべる。そもそも聞く耳さえも持ってもらえなかった。
その後、私はメイドたちにされるがまま、服まで着せられて、マッサージ専用の部屋へと案内され、ふわふわベッドの上で極上のマッサージを受けたのだった。