20.危機 sideユリウス
sideユリウス
ステラをもう1人で宮殿に向かわせる…いや、1人で行動させる訳にはいかない。
俺は宮殿内の騎士団鍛錬場で1人、剣を振るいながら、数日前の出来事を思い出し、改めてそう思っていた。
3日間、ステラがいないというだけで、俺は何か大切なものを失ってしまったかのような喪失感を感じていた。
そしてようやく3日という長い時間が過ぎ、ステラの宮殿滞在最終日。
一刻も早くステラに会う為に迎えに行けば、あれだ。
ステラは何故か頭からつま先まで全身がびしょ濡れになっていた。
誰かに故意にやられてしまったのだ。
その誰かとはおそらくその場にいたリタ嬢なのだろう。
ステラのあんな姿を見せられたあの時の感情が今でも忘れられない。
腹わたが煮えくり返るとはまさにこのことなのだとあの時初めて知った。
もしあの時、自分の腰に剣があったのなら、きっとそれを抜いてその原因であるリタ嬢に俺は剣先を向けていたことだろう。
もうステラをあんな目には遭わせない。
その為なら皇族に背いたって構わない。
だから数日後、ステラ宛に届いたロイ殿下からの手紙も内容をざっと確認した後、俺はさっさと処分した。
ロイ殿下からの手紙の内容は、先日起きたことへの謝罪から始まり、宮殿でのステラとの想い出が綴られ、最後には宮殿へいつでも来られるように許可が降りたのでまた遊びに来るように、というものだった。
謝罪こそステラが見るべきものだったので直接俺が口頭で伝えたが、あとのことは特に必要ないと思い、伝えてすらいない。
「おう、ユリウス。今日はやけに殺気立っているな」
どうしても腹が立ち、剣を振るう手に力を込めていると、そんな俺におかしそうに燃えるような真っ赤な短髪が特徴的なハリー・クラーク隊長が話しかけてきた。
クラーク隊長は現クラーク伯爵の弟であり、帝国騎士団の第二部隊、隊長だ。
父と同世代のクラーク隊長には俺と同世代の娘がいるらしく、俺がここへ所属してからというものいつもクラーク隊長は俺のことを自身の子どものように気にかけていた。
「何かあったのか?」
「いえ」
「そうかそうか」
黒色の瞳を細めてにっこりと笑うクラーク隊長に淡々と必要最低限の言葉を返せば、クラーク隊長は慣れた様子で豪快に笑い、ただ頷く。
「ところでユリウス。この前の話なんだが…」
そしてそのままの流れでクラーク隊長は〝あの〟話をしようとし始めた。
「…」
「おいおい。そんな顔で見るな。まだ何も言っていないだろう?」
そんなクラーク隊長に俺はもううんざりだと抗議の視線を送る。
するとクラーク隊長はその大きな肩をおかしそうに落とした。
〝あの〟話をされるのは今週だけでもう5回目だ。
クラーク隊長に会うたびに〝あの〟話をされているのでもう話を聞くだけでも嫌になる。
「俺の娘、アリスがやっぱりお前と会いたいみたいでな?ほら同じ学院の生徒でもあるし接点もあるだろ?お前のことをいたく気に入っていてなぁ」
「…」
「どうだ?まずはゆっくりアリスと一緒にお茶でもしてみないか?」
「…」
「話してみなければ何もわからないだろう?俺はきっとユリウスもアリスを気にいると思うんだがな?」
今日もいつもの如く太陽のような明るさでクラーク隊長が自身の娘のアピールをする。
俺はそんなクラーク隊長のいつもの話をただただ黙って聞き続けた。
「…クラーク隊長」
クラーク隊長が話し合えたタイミングを見計らって俺は口を開く。
「俺はアナタの娘さんのことを全く知りません。興味もありません。ですから会いません」
そしていつものようにそう冷たく言い放ち、クラーク隊長をまっすぐ見据えた。
興味も関心もない相手に時間を割く暇などない。
ただでさえいろいろと忙しいのだ。そんな時間があるのならステラに会いに行く。
「そこを何とかお願いできないか?一度会えば考えが変わるかもしれないだろ?」
「変わりません。クラーク隊長も俺の性格はよく知っているでしょう」
「…んー。あー。まあ、そうだよなぁ」
今日も何とか俺を説得しようとするクラーク隊長だが、俺はそれをキッパリと断る。
そんな俺の様子を見てクラーク隊長は少し考える素振りを見せた後、「…わかった。お前に無理強いはしない」と諦めたように笑った。
やっと今日も諦めてくれたか。
*****
そう思っていたのがつい数時間前である。
午前の騎士団勤務を終えた後、「今夜大事な話があるから我が家に来てくれないか」とクラーク隊長に言われたので、学院から帰宅後、俺はすぐにクラーク邸へと向かった。
そしてクラーク邸の者に案内された部屋には何故かあのクラーク隊長の娘がいた。
「ユリウス様…本日は我が家にお越しいただきありがとうございます」
見たことのない女性が、部屋に入ってきた俺に、ソファから立ち上がり、礼儀正しく一礼する。
全く知らない女性だったが、クラーク隊長と同じ燃えるような真っ赤な癖のある長い髪を見て、この女性がクラーク隊長の娘だということは何となく把握した。
髪以外あまり特徴のないクラーク隊長の娘が黒色の瞳を細めて嬉しそうに笑っている。
俺はクラーク隊長から大事な話があるからとここへ来たのだが、どうして娘の方がここにいるのだろうか。
「…俺はクラーク隊長から話があると聞いてここへ来た。クラーク隊長はどちらに?」
微笑む娘のどこかまとわりつくような嫌な視線を受けながらも、俺は冷たく淡々と今の状況を確認する。
すると娘はおかしそうにクスクスと笑い始めた。
「…父は今、手が離せない案件に対応しております。ですので父が来るまでは私がユリウス様のお相手をいたしますわ」
何がそんなに面白いのか。
娘は怪訝そうにしている俺なんて気にも留めずに、本当に楽しそうに笑い、その笑みをさらに深める。
そして俺を上から下まで舐め回すように見ると「お座りください、ユリウス様」と俺をソファへ座るように促した。
だが、俺はソファの方へは行かなかった。
「わかった。ならばクラーク隊長の都合がいい時にまた伺おう」
娘に冷たくそう言い放ち、俺はこの部屋から出ようと、ドアノブに手をかける。
今日はまだ朝にほんの少ししかステラに会えていない。
一分一秒でも早く帰り、ステラに会いたい。
「待ってくださいな」
すると早く帰りたい俺を娘はねっとりとした声で止めた。
「そんなに早く帰ろうとしなくてもよろしいでしょう?せっかくお会いできたのに」
クスクスと笑いながらそう言って娘がゆっくりとこちらに近づく気配がする。
気味が悪い。
どこか普通ではない娘に俺はそう感じた。
「失礼する」
娘の制止など無視して俺はさっさとドアノブを回す。
…が、その手に力が入らない。
「…」
この感覚は…。
既視感のある感覚にすぐに後ろを振り向けば、蓋の開いた小瓶を持って微笑む娘の姿が目に入った。
蓋の開いた小瓶からはもくもくと薄い黄色の煙が上がっている。
あの小瓶の中身はおそらく相手から自由や意識を奪う類の魔法薬だろう。
「…お、おま、え」
娘に何か言おうと口を開くが、魔法薬が効き始めたようで、上手く喋ることができず、俺はその場に膝をつく。
「ふふふ。天才騎士様でも魔法薬には敵わないのですね」
そしてそんな俺に娘は嬉しそうにゆっくりと近づいてきた。
「大丈夫。ユリウス様のことはこれから一生私が面倒を見て差し上げますわ。ユリウス様はお強いですからまずはずっと痺れて思うように動けない魔法薬を使いましょうね?それでもきっと足りないでしょうから足首には鎖をつけましょう」
頬を薄桃に染め、恍惚とした表情で娘が俺を見つめて俺の頬に触れる。
「ああ、やっとこの手でユリウス様に触れられる。何と素敵なことなのでしょう。これからはずっとずぅと一緒ですよ?ユリウス様?」
俺にはもう反撃する力もない。
楽しそうに笑い続けるこの娘に俺は何もできない。
そのことが歯痒くて歯痒くて仕方がない。
ああ、クソ。やられた。
「うふふっ、あはははっ」
うっすらと意識がかすんでいく中、意識を手放す最後の時まで、ずっと楽しそうに笑う娘の声が俺の頭の中で響き続けた。