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1.始まりと終わりの夜




三日月が浮かぶ夜空の下。


宮殿の立派な中庭を走り続ける私にとって頼れる光はその欠けている月と宮殿の窓からほんの僅かに漏れ出す光のみ。

だが今の私にとってこの暗闇は好都合だった。


誰にも見つかることなく、私はこの宮殿外に逃げなければならない。

そうしなければ私の命はない。


ほんの数時間前までこの宮殿内で誰よりも輝きを放っていた存在だったというのに何がどうなって命を狙われてしまっているのだろうか。


いや、考えなくても答えはわかっている。


私はルードヴィング伯爵に裏切られた。

だから私は今命を狙われているのだ。




「…っ」




左脇腹の傷が疼き、一度その場に立ち止まる。

先程暗殺者に短剣で刺された傷だ。


逃げることを最優先にしていた為、傷の手当てなんてもちろんしていない。

傷口からゆっくりと血が流れ出ている。


止血しなければ。


この大きな中庭について私は知り尽くしていた。

なので少しだけキョロキョロして見つかりづらそうな木の影を見つけるとそこに身を隠した。




「…はぁ、はぁ」




木の幹にぐったりと体重を預けながら、自分が着ている上等な絹の寝巻きのワンピースの裾をビリっと破る。


何とかそれで傷口を抑え止血を試みるが、すぐにじわりと血が滲み、上等な布はあっという間に血で染め上げられた。


血を出しすぎたかもしれない。


何故、私は今ルードヴィング伯爵に裏切られ、命を狙われているのか。


朦朧としてきた意識の中で私は走馬灯のように先ほどまでのことについて思い浮かべ始めた。





*****




遡ること、数時間前。

今日の主役であった私、ステラ(19)は宮殿内に用意された部屋で婚約式へ向けての準備を進めていた。




「リタ様、大変お美しゅうございます」


「さすがですわ。磨けば磨くほど輝く、リタ様以上に美しい方はこの世には存在しないでしょう」


「まさに我がミラディア帝国の美の女神ですわね」




大きな鏡に映された〝リタ〟を大絶賛する周りのメイドに私は形の良い唇をフッと緩める。


ただ機嫌良く笑っただけでも美しく魅力的なのだからメイドたちの〝リタ〟に対する大絶賛はあながち間違っていない。


鏡に映る美女の名前はリタ・ルードヴィング(18)。

メイドたちが言うようにとんでもない美女でスタイルも抜群だ。

アメジスト色の猫目からは意志の強さを感じ、腰まである絹のように細いシルバーのふわふわの髪からは常に甘い花のような香りを漂わせている。


このミラディア帝国内で〝リタ〟より美しい女性はなかなかいないだろう。


だから〝リタ〟はミラディア帝国の美の女神、なんて少々小っ恥ずかしい名前を付けられているのだ。




「私が美しいのは当然のことですわ。気分がいいからずぅと私がこの部屋からいなくなるその時まで私のことを称え続けなさい」




私は気分のいいフリをしてふふ、と笑い、私を一斉に褒め称えていたメイドたちを一瞥した。

するとメイドたちは一瞬だけ戸惑いの色を見せたが、それはほんの一瞬ですぐに私に悟られないようににっこりと笑った。




「何と光栄なことなのでしょうか。ぜひ、称えさせてくださいませ」




そこからメイドたちは代わる代わる私のことを褒め称え続けた。


なんて無茶なことをさせるのだろうか。


だが、これが私が代役を務めている〝リタ・ルードヴィング〟なのだから仕方ない。


実は私が〝リタ〟ではないと悟られない為にも私は完璧な〝リタ〟であり続けなければならない。


私は魔法薬でリタになっているただの平民だ。

それも孤児院出身の。

かれこれ私はリタの代役をもう8年も続けている。


8年前、孤児院で生活をしていた私をルードヴィング伯爵が引き取った。


そして私と伯爵はある契約をした。


それは私がリタの代役を務める代わりに私の生活を伯爵が保証するというものだった。


リタ・ルードヴィングはとても美しかったが、自己中心的であり、あまりにも気まぐれだった為、勉学を疎かにしていた。


貴族は12歳~18歳まで学院に通い、勉学に励む。

もちろん平民も同じように勉学に励むが、平民が通うのは学院ではなく学校だ。


リタ・ルードヴィングの代わりに勉学に励み、優秀な成績を残すように私は言われていた。

だがこれはおまけのようなものに過ぎない。


私がリタ・ルードヴィングになって一番に求められたものはこのミラディア帝国の皇太子であるロイ・ミラディアの婚約者の座を得ることだった。


ロイの婚約者の座を得た時、私と伯爵との契約は終了し、私は一生分の生活を伯爵から保証される約束だ。


だから私は8年間、死に物狂いで頑張った。

ルードヴィング伯爵家内でも学院内でも社交界でもどこででも、私は完璧なリタになりきり、文武両道は当たり前、常に成績はトップクラスで非の打ち所のない完璧なご令嬢を務めてきた。


美の女神と言わしめるほどの美貌と、圧倒的な学院内での成績。

性格の悪さ以外、リタ・ルードヴィングは完璧だった。


ただ性格は本当に非常に悪い為〝悪女〟と裏では呼ばれているがそこは知らない。

そこまでのフォローは求められていないので無視である。


ただの孤児だったが努力と環境は私を裏切らず、今の私がある。




「リタ様は本当にお美しく…」


「あら?それは先ほども聞いたわ。まさか同じことを私に言うつもり?」


「いえ!とんでもございません!」


「じゃあ早く続きを言いなさい」




とうとうリタへの褒め言葉が尽きたメイドの言葉にすぐさま反応し、冷たい笑顔でメイドを見つめる。


いくら絶世の美女と言われても言葉が尽きない訳なんてないのに何と哀れなことか。


リタを満足させられなければこのメイドはクビだろう。




「リタ、準備はできたかい?」




哀れに思いながらメイドの次の言葉を待っているとこの部屋に颯爽と皇太子ロイが現れた。




「ロイ様!」




先程の冷たい空気はどこへやら。

私は心底嬉しそうに笑い、ロイの方へと視線を向ける。


こちらに向かってやってくる美青年こそがロイ・ミラディア(20)だ。


ブロンドの少し長めのサラサラの髪から覗く顔は大変整っており、まるで天使のように美しく、儚い印象だ。

こちらを優しく見つめるルビー色の瞳こそ、皇族である証で、皇族は皆、ロイのように美しいルビー色の瞳をしていた。


リタはロイに恋をしていた。




「僕のリタ、とても美しいね」


「…ありがとうございます」




私の髪を手に取り、優しくキスを落としたロイを見て私は頬を赤く染める。


ロイは優しく、そして甘い。

女性なら誰もが憧れる王子様のような男だ。


いや実際皇子さまなんだけど。


先程の冷たい空気からロイにより明るい…いや甘酸っぱい空気に変わったことにより、メイドたちが安堵したような表情を浮かべている。


よかったね、メイドさん。

リタはアナタたちなんて忘れてロイ様に夢中ですよー。




「さて準備もできたようだし、一緒に婚約式の会場へ行こうか。僕の愛しの婚約者様」


「はい、ロイ様」




ふわりと甘い笑みを浮かべるロイに手を引かれ私は花のように愛らしく笑い歩き始めた。




*****




ロイと2人で皇帝の謁見の間へ向かう。

そこで本日皇帝陛下の元、私とロイの婚約式を行うのだ。


そう、私は今日、やっと正式にロイの婚約者となる。


つまりこのとんでも悪女リタの代役を終えて一生の生活を保障される楽しい生活を手に入れることに成功したのだ!




「なんだか嬉しそうだね、リタ。やっぱり僕の婚約者になれたことが嬉しいんだね」


「そうです、その通りです!」


「…違う意味なんだろうね」




優しく私に微笑むロイに嬉しそうに笑えば、ロイはどこか面白そうに瞳を細めた。




「君は僕なんて愛していない。どうして僕を愛しているフリをするのかな?」


「愛している時だってあるでしょう?」


「そうだね、まるで人が変わったみたいに僕に愛を囁く君は確かにいるね」




相変わらず鋭いロイの指摘に私は心の中で冷や汗をかく。

もちろん表面上はにこやかだ。


ロイは私がロイを愛していないことに気づいていた。

しかし本物のリタはロイを愛している為、ロイにとってはおかしな状況なのだ。


状況によって代役の私と本物のリタと代わる代わるロイの前に現れる。

2人とも同じだけどどこか違う。

その違うどこかをロイは一つ見つけてしまっていた。


自分を愛しているか愛していないか、だ。


ロイはまさか違う人物とまでは思っていないようだが、どこか変わってしまうリタを面白がり、興味を持っていた。




「やっぱり君は面白いね。これから楽しくなりそうだよ」


「それはよかったですわ」




8年間、私はあらゆる手を使ってロイと婚約しようとした。

そして気がついた。


この男は完璧であるが故に、変化や異端を好み、普通ではないもの、自分にはないのもを常に求めている、と。

だから私は普通ではない令嬢を演じた。


あんなに人前では好き好きオーラを出していたのにロイの前では出さないようにしたり、剣術を磨いて誰よりも強くなってみたり。


ロイには理解できない謎の存在になってやろうと決めた。


そしてついに婚約者としての座を得たのだ。

ちょっと特殊な形になってしまったけど。




「リタ、婚約条件の再確認をしよう。僕は君に僕を退屈させない最高の隠れ蓑になって欲しい、君は僕に公共の場で最低限婚約者として振る舞って欲しい、だったね」


「そうですわ」




何ということでしょう。

私たちの婚約は条件付きの婚約だったのです。


別にロイはリタを愛して婚約した訳ではなく、面白いリタを側に置き、ついでに他の婚約話や女性から自身を隠すための道具にしてしまったのだ。


腹黒皇太子には脱帽だ。

これは一筋縄ではいかない。


だが、伯爵との契約内容は〝皇太子の婚約者の座を得ること〟だ。これは変な形ではあるが達成できているので文句は言わせない。




「これからよろしくね、リタ」


「こちらこそ」




優しい笑みのはずなのにどこか意地の悪さを感じさせるロイに私は自身の猫目を細めてにっこりと笑った。





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