5 異世界召喚2
これは禍々しい回想だ。
燃える倉庫。破壊された道路。そして広がる乾燥した死の大地……。
「ごめんなさい」
ルシアは泣いていた。
「ただ、謝りたかった」
ルシアの見せた初めての弱さだった。
責任を取ったのだと思った。そしてこの場に残ることで贖罪しようと。
「いいよ。この戦争自体が間違ってた」
「でも、私はあなたに自由を約束したのに」
「じゃあここで自由にさせてもらう」
朝霧は空っぽのザックを拾うと歩き始めた。
目指すは西だ。
「西に行くの?」
「地図を見たことがある。直線距離では西のテアリスって街が一番近い」
「でも、水もないのよ」
「俺は君を許した。だから自由にすればいい」
朝霧は西に向かって歩き始めた。
しばらく迷っていたルシアは、朝霧の背中を追いかける……。
*
「私が覚えているのは、西の見張り台であなたがエールの樽を見つけて一緒に飲んだこと。どうしてあそこにあったかわからないけど、あのエールはおいしかった。人生で一番おいしいエールだった」
ルシアは遠い目をしながら話を続ける。
「それから待っていたのは過酷な砂漠越え。私は二日後に意識を失った」
脱水症状でルシアは倒れたのだ。
「そして次に記憶を取り戻したのはテアリスの街の診療所。話を聞いたら、男の人が私を運んだと」
テアリスはここから南にある街だ。
「……ねえ、それはあなたよね」
「肯定したら、医療費を請求される?」
「私の治療費は払ったわ。そして運んでくれた人間はあなただと確信した。だって、こうして生きているからね。でも、残った疑問は運んだ方法。水もないのにどうやって? 西の見張り台からテアリスまで、徒歩で一週間以上はかかるはず」
「それは尋問?」
ルシアは視線を逸らした。
「少しだけ記憶があるの。誰かが口移しで水を飲ませてくれたのを」
「その責任を取れって?」
「いいえ、だったら伝えたかった。ありがとうって」
ルシアの緋色の目が合った。
「お礼の言葉は受け取っておく」
そう言うと、ルシアは視線を逸らしながら指で自分の唇に触れた。
少しドキリとする仕草だった。
しばらく沈黙し、朝霧は口を開いた。
「俺から聞いていいか?」
「ええ」
「他の取り残された人間はどうなった?」
「ほとんどが死んだわ」
ルシアははっきりと言った。
「テアリスのギルドに情報が入った。傭兵の大半は戦争で死んだことになったと」
胸の痛む事実だった。
短い間でも戦った仲間。彼らは戦いではなく渇きで死んだ。
あの砂の迷宮に埋もれたのだ。
「そしてダークエルフの森は燃えた。きっと回復するのに百年以上はかかる」
戦争は終わったのだ。
「あの戦争の目的は何だったんだ?」
「憂いをなくすこと」
ルシアは言った。
「そしてラックストーンの回収」
ラックストーン。
この世界には三つの石がある。王国のソフィア教会にある女神の雫。そして魔王が所持するといわれるオリハルコン。最後にダークエルフが持つラックストーン。
ラックストーンが回収され、戦争の目的は果たされたのだ。
「国の密命を受けていた工兵部隊が回収し、その後森を焼いたの」
「三つの石に意味はあるのか?」
「わからない。聖書にのっているだけの存在だと思っていた。でも存在したのね」
「国は三つの石をそろえようと?」
「わからない。だとしたら魔王攻略が必要だけど、やるならば傭兵部隊を切り捨てなかった。王国の兵も多く死んだし、私の所属する遊撃隊も半壊した」
「これから、どうするんだルシアは?」
「私が仕えているのはリヴィア様。その諜報隊だった」
あの冷たい悪魔だ。
「とにかくリヴィア様の元に戻らねばならない。そして新たな命を受けるか、騎士をやめるか……」
ルシアは深い傷を負っている。
突き刺さった針は抜けることはないだろう。
「どうぞ」
ルシアにハンカチを渡したのはベスだった。
ルシアは涙を流していた。
「ありがとう」
ルシアは自然にお礼を言った。
「この子は、わけがあって俺が保護している」
「そう」
ルシアは深く尋ねなかった。
あの戦争に関わっているとだけ察している。
「あの戦争でさ、エルフの立場とかは悪くなったりするか?」
「それはないと思う」
ダークエルフ。その存在は歴史ごと消えたのだ。
「……そんなこと、させない」
ルシアはベスにハンカチを返し、そう呟いた。
「それで、どうする?」
ルシアの問いに首をかしげる。
「私と王都に行く? 王国の騎士団に推薦することだってできる」
「断るよ」
「あなたは特別よ。ギフトはなくても能力は素晴らしい」
「どういうこと?」
「魔力を使い戦えるようになった。それは最初から与えられた召喚者には不可能なこと」
「そんなに特別なこと?」
「ええ、それはエルフにでも特訓してもらわないとできないことだから」
……そんな特別なことだったのか。
「じゃあなんで無能扱いされた?」
「しょせん個人での強さだから。召喚者はもっと求められる」
この世界で得た力はやはり自分を守れるぐらいのものだ。
「そのうえであなたを騎士団に推薦するわ」
「俺が入りたいって言うと思うか?」
「……そうよね、ごめんなさい」
「いや、謝る必要はないよ」
自分もルシアを誤解していた。
彼女は無能だった朝霧の長所を見出そうと特訓させ、さらにはあの状況で残ってくれた。
自分だけ逃げることなく死の砂漠に残った。
誇り高い騎士なのだ。
「私はあなたに助けられた。だからお礼がしたい。でも、どうすればいいのかわからない。私はずっと剣ばかり振るっていて、あなたの望みが何なのかもわからない。たとえば復讐だとしたら、きっと私はあなたの剣に……」
「ルシア、違う」
朝霧は首を振った。
「俺はさ、この世界に来てやりたいことが出来たんだ。だからそんなこと気にしなくていい」
もうこりごりだった。正しいと思っていた戦争も間違っていた。
いや間違っていたのかすらわからない。それほどに闇は深く複雑だ。
だからもう関わりたくない。
「初めてこの世界に来て、深い樹海を見たとき思ったんだ」
朝霧はルシアに言う。
「この世界はとても美しい」
ルシアが顔をあげてくれた。
「だから旅をしたいと思った。ゆっくりと自由に。俺の世界の言葉ではそれをスローライフって言うんだけど」
「スローライフ」
ルシアはその言葉を反芻した。
「この世界に来てもらった力がある。もうそれは自由に使いたい。国とかのためじゃなく、ただ自由に……」
「いいかもね、スローライフ」
そしてルシアは微笑んだ。