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11.覚悟

「すんごい顔だけど、だいじょうぶなの……?」


 翌朝、夕はなぜかすごい隈を作っていて、笠原からひどく心配されていた。その理由がなにか……は、まあわかるのだけれど、大して気にもせず熟睡してしまった自分が少し申し訳なかった。

 お詫びといってはなんだが、朝っぱらから樒海に美味しい朝餉をねだられたので、腕を振るわせてもらった。


 作ったもの自体は好評だったけれど、夕の表情が晴れることはなかった。

 ただ、向こうからの接触もない。まだ色々と頭の中に様々な考えが渦巻いているようで、当人も整理しきれていないようだ。となれば、下手に話しかけると余計な混乱を与えかねない。

 現在時刻は午前八時。家を出る予定は九時だったので、着替えをするタイミングで樒海に声をかけて話を伺うことにした。


「なにを言ったの、夕に」


 あそこまでひどい顔をしている姿を初めて見た。その理由に樒海が絡んでいるのは、なんとなく察していた。


「うんにゃ、大したことは言ってないよー」

「樒海にとっては、ね」夕にとっては別だろう、と思って樒海を見た。「ま、なにを行ったかはわかる。『俺のことを知りたくて東京まで来てるのに、俺から踏み込まれたら拒絶するってどういうこと?』って感じでしょ」

「なはは、ご明察ぅ」

「あまり夕をいじめないで。俺にも悪いことあったでしょ」

「……いや、二人とも間違ったことはしてないかな。そして、私の対応にも間違ったことはなかった。私はただ『自分の言葉に責任を持つべき』って伝えただけだから」


 そう言われてしまうと、納得するしかできない。

 自分が少し踏み込んで話をした時点で、ぎくしゃくする未来が決まっていた。

 樒海は、夕の中で噴出した不満を封じ込めただけだ。


「俺も、自分の言葉に責任を持つべき?」


 今回なら、収拾をつけるのは自分だったのではないか、と少し思った。

 しかし樒海は首を振る。


「バランサーは二人も要らないよ」

「それもそうか」


 普段は自分が徹している役回りを、今回は樒海が代わってくれるようだった。


「もしかして、最初からそのつもりで着いてきたの?」

「もちのろんよ」

「それはそれは、ありがたいけど申し訳ないというか」

「気にすんなって。先生に媚売っても基本的に私には得しかないんだから」


 そういうものか、と思う。

 樒海は、近くにあった椅子に腰掛けると、周囲の衣装を興味津々と眺め始める。

 特にこれといって変なものはない。来栖音葉が歌手として使っていたときの服が少しと、ついこの間自分が買って運び入れた衣装(とは言っても実際にこの家に運び入れたのは依頼していた業者だが)が若干、といった形。

 そのほかには、いくらか化粧道具が用意されていた。


「気合いが入ってるね」樒海はなんてことはなく言った。

「そう見える?」

「私には」

「それなら、そうなんだろうな」


 樒海には、自分の行動の意図をことごとく見抜かれてきた。その樒海が言うのだから、気合いは入っているのだろう。


「それに、少しわくわくもしている」

「そんな子供っぽい?」

「年相応。いい傾向」

「韻は踏まんでよろし」


 茶化してくる樒海を交わしながら準備を進めていく。準備の時間は十分あったけれど、余裕があると言えるほどでもない。こだわり始めるときりがなくなるから、どこかで納得できる程度のクオリティにはしなきゃならない。


          *


 準備を終えて樒海と一緒に衣装部屋を出たのは、間もなく九時になる頃のことだった。

 部屋から出てリビングに入ってきた自分を見て、二人はぎょっとしていた。

 いや、ほんとうに。

 こんなに驚く二人を見たのは、初めてだと思うほどだった。


「ど、どなた……?」笠原が不安そうに訊いた。「あ、いやその、柏木くんだってのはわかるけど、ほんとに柏木くんなのか疑う気持ちもあるの」


 笠原は一瞬窓の外に目をやった。


「その姿で外に行くつもり?」

「うん」

「それは……以前の柏木くんを知るのに重要なことなの?」

「いや、違うよ」


 否定する。


「これは、あくまで別の用事。ここ数ヶ月考えていたんだ。これから自分がどうあるべきか」


 それは、自らの行動指針に関する話だった。

 自分の恰好を鏡で確認する。

 春先の出来事の際、種明かしの一環として髪を切り整えた。あれから二ヶ月、少しだけ髪が伸びて肩にかかっている。前髪は切り整えてあって、みすぼらしく見えないだろう。


 しかし、顔はお化粧の影響で普段の印象から少し遠ざかっている。

 メンズメイクも韓国系のアイドルの影響で一般化してきたけれど、今自分に施したものは、女性らしさを際立たせるメイクだった。

 そして服装も、全体的には地味な印象の服装でまとめつつ、自然と視線が引き寄せられる清らかさのある恰好。ロングのスカートに白色のブラウス、大きめのジャケットを羽織りつつ、小さめのカバンを斜めがけしている。

 全体的に大人っぽさを出しつつも、若干の幼さを残してみたわけだけれど。


「どう? 似合ってる?」

「お、おま、心まで……?」

「いや、身も心も男の子ですが」


 狼狽する夕にジト目を向ける。


「あくまで自分の武器を有効活用するだけ。ボーイッシュな感じで行くのも悪くないけど、それでも瞬間風速はとんとんで、長期的に見れば今のスタイルには負けちゃう」

「その恰好でなにするつもりなんだよ……」

「いまは内緒」


 そう言って微笑むと、二人は面食らって肩の力が抜けていた。

 どうせ、今日中には明らかになることだ。性急になる必要はないだろう。


 ゆっくりと息を吸って、ゆっくりと息を吐く。

 覚悟のための時間だった。


 少なからずこれまでの生活からこれからの日々はかけ離れたものになる。

 それを言えば数ヶ月前の出来事も生活が壊れるほどの衝撃はあったし、もっと昔だって、ずっと同じような状況が続いたことは、こと自分の人生に於いてはなかった。『波乱万丈』と言い換えてもいいぐらいに。

 普通に生きたいと思うこともあった。

 でも今は、普通に生きられない人間でよかったと思う。

 この苦しさも辛さも、いつかはきっと笑える日が来るという確信を今は持てていた。


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