4.樒海
東京に行くことになると知った二人の動揺具合は少し面白かった。親になにも言ってない、だの、着替えがない、だの、お金がない、だの。必要な経費はすべて自分が捻出するため問題ない、と伝えると「そういう問題じゃない!」と口を揃えて言われてしまった。
「私も夕も、東京に行ったのなんて中学の修学旅行のときだけ。それなのに、急に東京に行くって言われても」
「ただで東京連れてってもらって、案内までしてもらえるんだから、ありがたく思えばいいのに」
「出たよ、飾の世間擦れしてるところ。急に東京行けるってなって気分が上がるほど単純ではないし、お金を出してもらうことに申し訳なく思うほど俺らは庶民なんだ」
夕のその言葉に、そういう考えもあるのかと思った。
そこそこのお金さえあれば、地方に住んでいても東京という場所への心理的距離は遠くない。むしろ、そこへ向かうための交通手段が豊富な分、下手な地方よりも行きやすい気持ちの方が高いのではないだろうか。
と、自分は思っていたけれど、思えば学生諸氏は自分でお金を稼いでいる人の方が珍しい。一番のハードルである金銭問題を容易にクリアできない以上、東京へ行くことに対し気持ちがついていかないというのは当然だった。
「……」
「なにその、カルチャーショック受けたような表情は。飾の方が少数派側だからな」
「わかってはいたけど、自分ってズレた側の人間だったのか」
「柏木くんはもっと強く自覚すべきよ」
笠原にも言われ、肩を落とす。
それもまあ、落ち込んでいるように演技しているだけなので、自分が変わり者なのは指摘されるまでもなく事実だった。
駅まで戻ってきて、一度その建物を写真で撮った。
思い出を残すことは好きだった。
形のないものを、写真として、あるいはデータとしてでも、見返せるような形に変えること。それ自体に価値がある行為だと思っている。
人は忘れたくても忘れていく生き物だけれど、頭の中から完全に忘却されてしまうものはそこまで多くないのではないかと思う。だから、忘れたものを思い出す取っ掛かりとして、些細なことでも記録していたかった。
改札を抜け、駅のプラットホームへ。
「浮花川から直で東京には行けない。だから、一旦北上して新幹線のある駅に向かう。諸事情あって……ぶっちゃけると、自分が車に乗りたくないから電車や新幹線での移動になるわけだけど」
「俺らに拒否権があるのか?」
「ない」
「だよな」
夕は肩を竦める。
「そういうわけで、東京に着くまで、乗り換えの兼ね合いもあるけど四、五時間かかると思ってもらっていい」
「……ま、そんなもんだろうな」
夕は呆れたように笑う。
東京に行くことを承諾したとして、移動時間は短縮のしようがない。否応なく社会の波に乗らなくてはならない事由のひとつと言える。
暇つぶしの手段は……まあ、現代に生きている若者としては、スマホ一台あれば余裕でなんとかなるだろう。
短い時間とは言わない。
けれど、電子書籍が二、三冊でもあればこの時間は余裕で潰せてしまうものだし、ネットサーフィン、SNSのそれらでも意外と時間は食う。
わざわざ、修学旅行の生徒たちらしく、トランプに興じたりなどはする必要がない。
「……とかなんとか考えつつも、トランプは用意しているでしょ?」
と、笠原は鋭い考えを向けてくる。
事実だった。
紛れもなく。
なんなら、トランプだけでなく、複数人で遊べそうなボードゲームは鞄のなかに詰め込んでいた。心を読まれてしまっていたことはもはや驚くべきことではなくない。
だがしかし。
「これは今晩の楽しみであって、移動時にしようと思っていたことじゃ」
「ないのね」
「うん」
頷くと、笠原は満足したかのように柔和な表情を見せる。
時間を潰すのは得意だった。
もちろんそれが周囲にとって当然のことではなく、自分の基準を他者に押しつけるつもりはない。
ただ。
「私は勉強するし」
「俺も窓際なら全然」
と、そんな言葉を二人からかけられてしまう。
気を遣われているようではない。
これは二人の本心であり、事実だろう。
「なんというか、せっかくの遠出なのに遊び気分が足りないな、と」
「そんな気分にならないのは、飾のせいだけどな」
「そうでした」
そんな、取り留めのない話を重ねて、空気を戻していく。
どうしても三年前の話はシリアスな空気感が生まれてしまう。極力気負いしないように明るい口調では話すけれど、中身が中身だからこればかりはどうしようもない。
やがて、電車が来る。
一番近い新幹線の駅を経由するので、一旦北上する形だ。
中は片手で数えられるほどしか乗客がおらず、ロング席に三人並んで座れた。目的の駅まで三〇分ほどは、ゆったりとしていられるだろう。
と、思っていたのだけれど。
途中の駅で思わぬ事態になった。
「あれ、先生?」
停車中だった。
駅の様子をぼんやり眺めていたとき、健康的な風貌の少女に話しかけられた。
身長は立ったときの自分とあまり差がない程度で、女子の平均身長より高め。焦げ茶色のショートヘア。服装は部活帰りらしく、半袖のランニングウェアからほんのりと日焼けした肌が見えた。
彼女の雰囲気には覚えがあった。あったけれど、こんなだったかなと首を傾げる自分もいる。
「……樒海?」
「あら、よくおわかりで。最後に会ったときと雰囲気変わったと思うんだけど」
「雰囲気は変わらない」
「え、うれしい」
「印象は一八〇度変わったけれど」
頭の中に思い浮かんだ名前が間違いでなかったことがわかり、ほっと胸を撫で下ろす。
彼女と、新島樒海と最後に会ってからどれくらい経っただろう。
過去を振り返るように目を閉じていると、隣から肩を叩かれた。
「どなた?」
笠原がじっと見つめていた。夕も同じことを考えていたらしく頷いている。
「んと……茜とは違うベクトルで幼馴染み、かな」
少し言葉を選ぶ。
特に不仲というわけではない。直接会うこと自体は随分ひさしぶりだが、メッセージでのやりとりは途絶えることなく続いていた。だから、地元に残っていた人と違って立ち位置がかなり特殊なのだ。
ちらと、活発そうな見た目の少女を見る。
彼女も一緒に電車乗り込んできた部活仲間らしき女の子たちと話をしている。おそらく自分との関係を説明しているのではないだろうか。
「シキミ……って、どう書くんだ?」
「植物の樒に、海」
「ああ」
「燈子さん? 質問者ほっといてひとりで理解しないでくれる?」
樒の漢字が難しいこともあってすぐに理解できなかった夕は、笠原から詳しく漢字を教えてもらっていた。
そこで会話を終えたらしい樒海が戻ってくる。
「友達と遊びに行くところ、ごめんね」
「遊びに行くってほど、軽い気持ちじゃいられないけどね?」
「ん?」
軽く事情を説明する。
二人は、高校生になってからの友人であること。
これから東京に行って、三年前に起こったことを追憶すること。
ひっそりと、二人を東京に連れていく真意も伝える。
「ほへぇ、頭いいねぇ」
「……」
そういう返しをされるとは思っておらず、きょとんと樒海を見つめてしまう。
「普通そんな複雑なこと、みんな考えてないよ。昔っから変わんないなぁ」
「ある意味穿ったような見方ができるからこそ、唯一樒海は俺の素性を気づいたんだろうけどね」
新島樒海が、個性的な自分の友人たちの中でも特別な立ち位置の存在であることは揺るぎのない事実だった。




