9.正体
ひなぎは会話の合間にシフォンケーキを美味しそうに頬張っていた。こうやって美味しそうに食べてもらえると、冥利に尽きるものだった。
そこでふと、視線を感じた。
じとー、と茜が俺を見つめていた。そういえば、茜の顔をしっかりと見たのは随分ひさしぶりだったような気がする。三年前と比べて少し顔立ちは大人びた。背も少し伸びたかもしれない。社交性が高く誰とでも分け隔てなく接するのは昔から変わりないけれど、今はどうしてだろう、溌剌としていた昔とは違って燃えるロウソクの火のようにどこか不安定でゆらゆらとしている。
何か言いたいことがありそうだった。
ひなぎに断りを入れ、一度離れる。
「どういう関係?」
「東京から来てる妹の友達」
いつかどこかで訊かれる質問だと思っていたから、返答は澱みなく出てきた。
「元々今日は浮花川の案内する予定だったんだけど昨日の反動で妹が起きれなくって。だから、バイト先で匿ってる」
「……随分親しそうだけど、飾とも。飾って、そんなすぐに誰かと打ち解けないから意外」
「そう?」
そうだろうか。
言われて過去の自分を振り返ってみると、たしかに言われたとおりだった。誰とも一本線を引いて関わっていた。そもそもあまり自分の世界に他人を寄せつけたくないのだ。だから友だちは多くなかったし、茜と疎遠になって、他人との関わりが極端に減ってもまったく問題なかった。
ならばどうしてひなぎとすぐに打ち解けられたのか(もっともそれは、昨日ではなく三年前の話だが)、要因はいくつかあるように思えた。
おそらく一番は、来栖音葉の死に落ち込んでいたひなぎが、他人事とは思えなかったから。
「なに話してるの? 私も混ぜてちょうだいよ」
「……お前の話だけど」
「え、そうなの」
嘘は吐いていない。先ほどまで二人が話していたのは藍沢ひなぎのことだったし、今も俺とひなぎの関係性を訊かれていた。
ひなぎが茜と笠原の顔を観察する。その最中に、ひなぎがひなぎだと二人に気づかれた様子はなかった。
「飾くんって友達いるんだ」
「ちょっと待って、そういう印象だったの?」
茜はともかく笠原のことを友達に含めていいのかはわからないが、友達が少ないと思われていたのは心外だった。事実だが、たった一度会っただけでそう思われるなんて。
「だって飾くんって、誰彼構わず心を開くような人じゃないと思ってたから。もしかして、それって私の想像で、本来は社交的だったりする?」
「……だいたいは合ってるけどさ」
「だよね。飾くんって、猫みたいだなって思ってたんだぁ」
人前にいる自覚がないのか、ほんとうにうれしそうにひなぎは顔を緩めていた。自分が、今をときめく歌姫だという自覚があるのだろうか。妹の、和花のプロデュースによって立たせられたその地位だけれど、いつまでの仮初の歌姫ではいられない。常々、プロである意識をもつべきである……とは言わないけどね。
顔の端正さだけで言えば和花や榛名の引けを取らない存在で、そこに白髪という強烈な個性が混ざれば他の追随を許すことはほとんどない。そんな少女があどけない表情を無自覚に振りまいているだけで、なんというか、結構男としての忍耐力を試されている。
その表情に、茜や笠原も見惚れていたらしい。
でもどうだろう、こいつがさっき自分たちが話をしていた藍沢ひなぎだと、二人は気づいているだろうか。
「マスター、なにかメモ用紙とかってある?」
「……マスター代理ぐらいにしとけ」
一応店主は唯さんなので、彼女の顔を立てておく。注文を書く伝票を、胸ポケットに入れていたボールペンと一緒に渡す。
ひなぎはそれを受け取ると、ひとつ頷いてさらさらと自らの名前を伝票にしたためた。
『藍沢ひなぎ』
綺麗な字だった。
書き終えるとカウンターの上を滑らせて、二人の目の前に移動させる。
二人はひなぎのやり方に疑問を抱いていたようだったけれど、紙に書かれた名前を見て目を真ん丸にしていた。紙とひなぎの顔を見比べて、彼女が本当に藍沢ひなぎだとわかったらしい。逆に、今まで藍沢ひなぎだと気づいていなかったとも言えるが。
「ごめんね、こういう形で」
驚きのあまり言葉の出ない二人に、ひなぎは苦笑いしていた。
「……こいつ、中学校時代はほかの人と関わらないようにしていたみたいだし、高校も通信だから友達少ないんだよ。だから、できれば仲良くしてもらえると助かるんだけど」
「飾くんは私の保護者なの?」
「一応預かっている身だから」
ひなぎのマネージャーにも確認は取ったし、彼女の両親にもひなぎがうちにいることは伝えている。大人のいない家に泊めているのだから、当然の対応のはずだ。
しばらく現実を受け入れられない様子で二人は固まっていたけれど、最初に冷静になった笠原が目を白黒させていた茜の肩をたたく。はっとしたような表情で茜は笠原の顔を見た。笠原は『茜の好きなようにしなさい』と言わんばかりに頷いている。
茜は頬を膨らませて、しかしひなぎと仲良くなること自体が嫌なわけではなかったらしい。「桃川茜です。えっと、飾の友達で、親が近くの洋菓子店でいろいろ売ってるから、良ければ食べに来てね」と言葉を選びつつ自己紹介をした。次いで笠原も自己紹介を済ませる。
ひなぎは心底うれしそうな表情で鞄からスマホを取り出すと、そのままの流れでラインを交換している。ひなぎのアカウントは名字のひと文字目だけを取った『藍』という名前で、プロフィール画像も先日買って今練習しているフェンダーのテレキャスター。正体を気づかれにくくする工夫だというが、実際気づかれにくくなっているのかはわからないらしい。そもそも友達が増える機会が少ないから当然かもしれない。
茜も笠原も、現実感が湧かないようだった。
舞い上がったり興奮したりするのが、もっともな反応じゃないかと思っていたから俺としては拍子抜けだった。ひなぎからすれば、変にもてはやされるよりはいいかもしれない。
「……改めて訊かせて。どういう関係?」
「どういう関係と言われましても」
妹の友人で、妹の相棒だが、実際はひなぎと妹が知り合う以前にすでに知り合っていた少女。ただ俺からすれば友人と呼べるのか、未だわからない。ひなぎからすれば俺は恩人と呼べるのだろうが、なら手を差し伸べた側である自分は彼女のことをどう呼べばよいのだろうか。
「わからないとしか」
結局、正直に答えるしかなかった。
「わからないって……。ま、飾らしいけど」
「俺らしい?」
「ほら、いろいろと複雑に考えて堂々巡りになっている感じがね。もっとシンプルに考えればいいの。ある意味頭がいい証拠だと思うけど」
そう言うと興味を失ったみたいに、茜はひなぎに話しかける。そこに、自分の好きな歌手と直接話しているという印象は受けず、ただ同い年の友達と関わるみたいだった。
茜と俺が仲良くできていたのは、茜が相手の身分をさっぱりと割り切って特別扱いせずに関わることができるからだと思う。だから咄嗟にひなぎと引き合わせたのだけれど、間違いではなかっただろう。笠原も、かちこちと緊張しているけれど茜の関わり方に合わせている。
ほっと胸をなでおろす。
そのあとしばらく女子三人で話し合って、日が傾き始めたころに茜たちは帰っていった。その背中をひなぎは名残惜しそうに眺めていたけれど、店の中から姿が見えなくなってから俺に視線を移す。
「いい人そうでよかったよ」
「……正体をばらしちゃってよかったの?」
「飾くんの友達なら、もーまんたいでしょ」
「そこまで全幅の信頼を置かれても責任取れないんだけど」
むしろ、俺の知り合いだから問題ないと思うひなぎのほうが心配だった。万が一俺がひなぎを騙すようなやつだったらどうするんだよ、まったく。




