2.女子のプライドと恋心
図書館帰りの笠原燈子と落ち合ったのは、土曜日の昼頃のことだった。学年一位の学力を誇る彼女は勉強そのものが趣味みたいなもので、予定のない休日は図書館に通っているのだという。小説などを嗜んでいるのなら是非とも話がしたいのだけれど、残念ながら小説はあまり読まないらしい。
場所は、約束通り駅前だった。
榛名が……従妹の来栖榛名がたびたび路上ライブをしている場所だが、この目立ちすぎる時間帯に彼女は現れない。地方ということもあって、たとえ休日の駅前でも人通りはまばら、かつ歩いている人は年配者や主婦といった様相で、若い人の姿がほとんどない。車はひっきりなしに通っているが、盛況とは言えない光景だった。
俺と夕は、二人並んで駅前のベンチに腰掛けていた。夕は片手にアイスクリームを、自分はストラップのついたコンデジを胸から下げていた。七月に入り、日差しが強い。この木陰の下にベンチがあってよかったと思う。
「デートみたい」
来てそうそう、笠原は顔を引き攣らせてそう言った。
「客観的にはそう見えるかもしれないが、俺たちは男だ」
「柏木くんはいいのよ。問題はそれ。柏木くんの美貌に靡きかねない」
俺は彼女の視線に合わせて隣を見る。夕は平然とした表情で視線を受け流す。俺は肩を竦めることしかできなかった。
今日の自分の恰好は、なんの変哲もない普通の服装だ。七分袖のシャツにジーンズ。服装に関して特筆すべき事柄はまったくない。
それよりも、気になるのは。
「おめかし」
「言わないで」
笠原に口を閉ざされた。
夕は気づいているんだろうか。……いや、気づいてはいるんだろうな。
飾り気のない、とは言わないけれど、普段の笠原燈子という女子はよくも悪くも真面目で、挑戦的な服装など見たことがなかった。
その『挑戦的』は、あくまで普段の笠原燈子を基準とした『挑戦的』だ。世間が想像するところの挑戦的な服装、とは異なっているはずだ。そもそも、挑戦という言葉自体が、当事者からの主観と他者からの客観で決まる以上、それを測る正確な物差しというものはこの世に存在していない。というか、この世の大抵のものは正確に測ることなどできないのだが。
とにかく、今日の笠原の服装は、これまでの彼女の印象を考えると、かなり冒険に出た服装だった。
少なくとも、眼鏡をしていない笠原を見ること自体初めてだ。
「……深く言及しないでよ」
夕に聞かれないためにか、近くまで寄ってきて笠原は言った。ふわりと、やさしい香りが鼻腔をくすぐる。主張の強い香りではないけれど、香水もつけている。
深い青系色のワンピースに、明るい色のカーディガン。靴はスニーカーだが、長いスカートの内側に生足が見えている。
ほんのりだが化粧もしていて、彼女の知らない一面というものを見せつけられたような気分だった。
「よう」夕は、普段通りだった。「休日に勉強漬けなんて殊勝だな」
「べつに」
「新発売の味だけど、食べるか?」
「……もらう」
手に持っていたアイスクリームを、夕は笠原のほうに向ける。笠原には、若干の躊躇が見られたけれど溶け始めているそれを見てちいさく溜め息を吐き、アイスに口をつけた。
蚊帳の外に押し出された形になった自分だが、夕のみでなく笠原も一緒に案内すると決めときにはすでに、こうなるとわかりきっていた。
だから、ただ肩を竦めるだけだ。
そのあとしばらく、両手を膝の上に置いて上の空になっていると、ふと肩を叩かれた。
「……柏木くん。ぼーっとしていて、いいの?」
「あまりよくはないけど」腕時計を見る。「割とタイトなスケジュールを組んだからね。でも、まあ邪魔するわけにもいかないし」
「状況的には、昔のことを教えてくれる柏木くんを私たちが邪魔しているような形だけれど」
笠原はふうと息を吐いた。
夕も苦笑いしている。
それを確認して立ち上がる。動き出していい合図と見たがそれは正解だったようだ。夕は近くのコンビニに走っていってアイスのごみを捨てる。家庭ごみの持ち込みはダメだが、これはそのコンビニで買ったものだから大丈夫だろう。
「勝負服なわけ?」
「べつに」そっけない顔して笠原は言う。「これは夕を意識して着てきたわけでは……あまりないもの」
意識がなかった、と笠原は完全に否定しなかった。
「だって、柏木くんの隣を歩くの、女子からすれば結構覚悟がいるものなのよ」
「……なるほど」
即座にその言葉の意味を理解する。してしまう。
「女子よりもかわいくて魅力的な子って、脅威なの。女子としての威厳とか尊厳とか矜持とか、そういったものがむつむつと湧き出てくるわけ」
「詳しく言わんでよろし」
「だめ、言わせてもらう。柏木くんとしてはわざと味気ない服を着ているようだけれど、柏木くんが柏木くんだから意味がないわね。……もっとも、妹の和花さんでも藍沢さんでも隣にいることに覚悟が必要だけど、その二人は女子としてのプライドは負けが決まっている勝負だから。でも……柏木くんは男でしょう?」
「……」
なにも言い返せなくなってしまう。
発言は想像通りだった。
しかし、突き付けられた事実は、なかなかに耳が痛い話だった。
自分が悪いわけじゃないからこそ、このどうしようもない感情が抜けていかない。息を吹き込まれて縛られた風船みたいだ。風船というものはそういう扱いをされて当然だからこそ、どうしようもなくなっている。
「でもね、わかっていてほしいの」
笠原は俺の内心を見透かしたように微笑んで言う。
「それが柏木くんの魅力で、この発言は、私の心の小ささの告白なの。というか、人間そんな心が大きい人ばかりじゃないもの。些細なことで辛くなって、些細なことで強がって、そんなものの積み重ね。わかるでしょ」
「……ああ、うん」
かつての自分を思い出す。
その自分と今の自分を比較して、大して変わったとは思わない。
成長したわけではなく、積みあがっていたものを清算しただけに過ぎない。
だから今、余裕がある。
それだけの話だ。
「これは、私が柏木くんの隣を歩くための戦闘服。けして、久方ぶりに夕と遊べるというだけの理由でおしゃれしてきたわけじゃない。それは、理解して」
こくこくと頷く。
有無を言わさぬ迫力だった。
会話に夢中になっていたらしい。ごみを捨てるついでに飲み物まで買ってきた夕が戻ってきていた。
夕は「なんの話をしていたんだ?」と首を傾げていたけれど、笠原が「そんな時間ないんでしょ」と誤魔化すように言うので、そのアシストを取りこぼさないように受け取った。




