81.エピローグ(1)
大きな変化のあった一ヶ月だった。
大きな変化を周囲にもたらした側である自分がそれを言うのは可笑しな話だけれど、とにかく変化がたくさんあった。
それは、ある種の終わりであり、ひとつの始まりだ。
自分は薄氷を叩き割って、橋を作るための材料を用意した。深く長い川幅ではあるけれど、みんなで協力すれば丈夫な橋を作って川を渡ることは容易だろう。
ひとまずはそれを信じて、今を生きている。
*
ひなぎが東京に帰る日取りは少しだけ遅れることになった。
今回の一件は相当に騒がれた。和花やひなぎの想定をはるかに超えていたし、何より、明らかになった情報を各自が整理する時間も必要だった。
俺自身、再び学校に行くのが億劫だった。
変に気を遣われるのも嫌だったし、嫌われたり距離を取られたりしたらどうしようという気持ちもあった。
普段通りに、これまでと同じようにいかないことは理解している。
理解しているからこそ、気が重たく、腰が上がらない。
意外なことに、この件に一石を投じてくれたのがひなぎだった。
それはかなり強引な方法だった。解決の一助にはなったけれど、果たしてそれが正解だったかはわからない。わからないけれど、なんとかはなった。
「……ねぇこれ」
歩くこともできないほど多くの生徒たちに囲まれながら、わざと疲れたような顔を見せる。これでほんとうによかったのか、とひなぎに確認したかった。
「自分の人気を過小評価してたみたい……」
ひなぎは途方に暮れていた。
ひなぎがとった手段というのは、俺たちの通う高校に身分を隠さず突入することだった。
今、あらゆる意味で話題になっている彼女だが、好感度が落ちているわけでもなく、人気は揺るがない。それどころか生配信以降さらに高まっているのではないだろうか。
それまでの風が吹けば折れてしまう草花のような草花の儚さから、友人思いの心あたたかな人物へと印象が変わっている。幻想は崩れ落ち、いい意味で生身の人間らしい評価に落ち着いたのだ。
騒動があった先日の出来事を鑑み、忌避するような生徒たちはここにはいなかった。
だから少々強引な手段だとしても、自分の……柏木飾の気持ちを楽にするために有効だと判断したのだろう。その目論見自体は成功したけれど、彼女自身は藍沢ひなぎという存在がどれほど影響をもたらすのか計算しきれなかったみたいだった。
でも、やってしまったことには、自分で収拾をつけなければならない。
どうにか人混みをかき分けて職員室まで辿り着くと、生徒たちほどではないにせよ混乱している先生たちに頭を下げた。
──騒ぎを起こしてすみませんでした。
──言い訳ですが、飾くんが学校に行くのに気が重かったみたいで。
──ああでも、本当は私が来ているのがバレたらどうなるかも興味あって。
──だから私が。
そこまで言ったところで、事情を理解していたらしい校長が止めた。
「なにも詫びる必要はないよ。悪意あるなしに関わらず、子供が悪いことをしたなら大人は注意しなきゃならない。でも、今回に限れば、柏木くんの事情に関して我々はなにも手を貸してあげられないからね。……いや、少し違うな。手を貸してあげようにも、我々が無力なんだ」
いくら先生たちが俺へ向けられる視線を改善するために奔走しても、多勢に無勢だ。それに、下手に『気をつけて』と言い続ければ、逆効果になりかねない。
だから彼らにできることは深く関与していた人物にきつく注意をすることぐらいで、全体に対してはほとぼりが冷めるまで静観することぐらいだった。
「騒ぎになるのはよくない。授業にも影響が出る。授業をすることで給料を貰っている以上看過すべきじゃない。ただ、どうだろう。君たちも相当大変な思いをしただろうけど、ほとんど事情を知らない生徒たちだって、心に鈍く重たい痛みが走ったはずだ」
考えてみれば当然のことだ。
誰もが自分の行動に自覚的なわけではない。無自覚だった自身の行動を省みさせる出来事は、精神的に辛い。
「心が成熟している子ばかりじゃないからね。この多感な時期だからこそ、悪い思い出で終わってほしくなかった。だからむしろ感謝したいくらいだよ。今をときめく人気者に直接会えるなんて、金には代えられない貴重な経験だ」
そう言って校長は一度周囲を見る。
それは生徒たちに限った話ではなく、生徒たちを教え導く先生たちだって同じことだ。自身の無力さも、無自覚な行動に対する罪悪感もあっただろう。それと同様に、ひなぎに会えてうれしいという気持ちだって。
校長は柔和な笑みを浮かべる。
「それでも気が収まらないって言うのなら、みんなの前で歌を披露してあげて。誰かがあなたの憧れであるように、あなたもまたみんなから憧れられる存在だってこと、自信をもっていいんだ」
その言葉に、ひなぎははっとしていた。




