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79.朝焼け

 海沿いの旅館の前で車は止まった。

 車を出る。

 潮風が鼻腔をくすぐる。

 東の空が白みだしていた。思えば、こんな時間に屋外にいたのは初めてかもしれない。


 和花ちゃんは車から降りると逸ったように視線を右往左往させる。さすがに近くに飾くんの姿はない。この旅館の中、だろうか。

 旅館の中を覗き込もうとすると、和花ちゃんに手を掴まれた。「……たぶん、ここには」そう言って、和花ちゃんは私の手を引く。


 不安を感じさせるように、手は冷たかった。

 おそらく私の手も冷たいのだろう。手を繋いで支え合っているというのに震えてしまう。


 呼吸が浅かった。

 それでも歩く。

 足を踏み出すたびに、浜辺から風で飛んできたらしい砂が足の裏でこすれる。滑って転んでしまいそうだった。


 目的地は歩き出したときから決まっていたようだ。そこに行くべきか迷いがあって、歩む速さはゆっくりだったけれど、それでも後ろを振り返ることはなかった。

 旅館の脇をすり抜け、ゆるやかな坂道を上る。道の傍にはお寺と墓地があって、立ち並ぶ墓石が私たちを見つめているようだった。気が引き締まったようで、自然と背筋が伸びる。


 ふと、和花ちゃんが足を止めた。

 彼女の視線の先には、ひとつのお墓が。色とりどりの花がたむけられている。まったく萎れていない。つい最近、供えられたものだろうか。


「……もう、心配しなくたっていいって。だいじょうぶだから」


 和花ちゃんがなにか呟いた。驚いて、つい彼女を凝視してしまう。


「気にしないで。……行くよ」


 和花ちゃんは緩みかけていた手の力を強め私を引っ張る。

 それで、察した。

 察することしかできなかった。

 和花ちゃんにかけられる言葉は、私には見つけられなかった。


 俯きそうになって、でも顔を見上げた。

 その視線の先に、二人はいた。


 どうやら二人は、今の今まで一緒にいたらしい。素直に、嫉妬した。こんな追い詰められた状況になっても、こんな罪深い感情を抱けるなんてすごいな、と他人事みたいに感心する。

 そこは小高い丘になっていた。墓地が途切れ、海と近くの街並みを見下ろせる、広くはない草っ原がそこにはあった。


 茜は太陽がかすかに見え始めた太陽を、ぼんやりとした目で見つめている。

 その茜を隣に、飾くんは海側から吹き付ける風に髪を押さえながら、坂を上ってくる私たちを見下ろしていた。


 はっと息を飲む音がした。

 私ではない。隣から。

 掴まれていた手が解放された。

 駆け出す背中を見た。

 ほんとうは、私がそれでありたかった。


 言葉はなかった。

 妹が兄に抱きつき、兄がやさしくそれを抱きとめた。

 ひと言で言い表すならそれだけだ。


 ただ、その景色があまりにも絵になった。

 もう朝と言っていい頃合いだった。東から差し込む陽の光が二人の顔を照らしている。背後に見える広大な海も、緑映える背丈の低い草も、兄妹を傍目で見守る幼馴染みも。呆れるほどに綺麗な構図で、もし私がフォトグラファーなら、きっとこの景色を写真に収めていたはずだ。


 そこに混じろうとする勇気は、私にはなかった。

 強烈な安堵と同時に、涙がこぼれてくる。

 でも、顔は笑っていただろう。

 それが、今回の私の終着点。

 これで、よかったんだと強く思う。


 指の背で涙を拭いながら、飾くんにとびきりの笑顔を向けてやった。

 すると、飾くんは少し驚いたように目を瞠って、そして柔和な笑みを見せる。そして、かすかに唇を動かした。音にはならなかった。それでも、飾くんが私に伝えようとしていた言葉はすぐにわかった。


『お疲れさま。よく頑張ったね』


 それは、きっと飾くんがこれまで一番言われたかった言葉だと、すぐに察する。だから、私も同じように返す。

 なにを言ったかは、ここでは明かさない。

 でも、似たようなことはすでに一度飾くんに伝えている。


 終わりと始まりは繋がっているのだ。

 だから、ひとつの物事が終わりを告げることを悲観しすぎる必要なんてない。きっと誰かが死んでしまっても、生きている人たちはその人の死から勝手になにかを受け取って前へと進んでいく。


 そういう風に世界はできているのだと、私は信じている。


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