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69.答え合わせ(1)

 ゆっくり歩いていると、いつの間にか海のそばまで来ていた。

 会話の種は尽きないけれど、星空と夜の海の景色が綺麗で自然と会話が途切れた。


 砂浜に押し寄せる波の音が、心の澱みをさらっていく。

 胸の中が、綺麗な景色を見たことでいっぱいになった。

 砂浜に降り、波を被らないぎりぎりのところを歩く。視線の先には波止場があって、その向こう側には小さな漁港があったはずだ。そこまで行こう、と心の中で決める。


「……なんか不思議。一か月前はこんな関係になるなんて思ってなかった」


 関係になる、という表現につい頷いてしまう。

 元の関係に戻ったわけではない。

 昔の関係と比べれば、まだやり取りはぎこちない。


 でもそれは、悪いことではないはずだ。

 今はこの手探りの関係も、そのくすぐったさも、なんだか心地よい。

 昔が悪かったというわけではないけれど、今の関係の方が俺たちは対等でいられている気がする。


「疎遠になってよかったわけではないけれど、自分と飾のことを見つめなおすきっかけになったのは間違いないから」


 そう言う茜が少し眩しかった。


「ずっと自分のことで精いっぱいだった俺とは大違いだ」

「それはっ」茜が一瞬前のめりになって言いかけたが、途中で踏みとどまる。「飾がたくさんのものを背負ってて、あたしがなにも背負ってなかっただけの違いだから」

「まぁね」


 肩を竦める。

 子供の責任のほとんどは親が背負うのだ。全部なにもかも責任を取ってくれるわけでもないが、生きるために必要なことはほぼすべて親が代わりに行っている。

 だから、子供が心身の成長に注力できる。


 その両親がそうそうにいなくなるとどうなるだろう。

 親戚に引き取られるか、施設に入れられるか、ぎりぎり働ける年齢ならそのまま働いてしまうか。


 なにはともあれ、金がなきゃ生きるのすらままならない。

 そういう面で見れば、子供のうちに両親を失くした子供の中では恵まれた立場ではあっただろう。一生困らないぐらいの資産は残っていた。


 その代わりに有名人の子として、天才の子としての立ち居振る舞いを求められてしまう。親が死ぬと、代わりに子供へ期待が向かう。本人がいなくなった代わりを、その子供に求めるのだ。

 そうする気持ちはわからないでもないが、親を失くした子供に対する仕打ちではないだろう。


「だから秘密にするしかなかった。秘密にしなければ、母親の死と向き合う時間すら和花は得られなかった。才能ある者の死は金になるネタだけれど、ゆえに当事者の感情は蔑ろにされるんだ」


 ――だからよくあるだろ『葬儀は近親者のみで執り行いました』って。


 そう言うと、茜は黙り込む。何か引っかかったようで、足元を見つめながら考え込んでしまう。砂浜を歩くさりさりとした足音が、波の音に混じり合って消えていく。

 波止場のそばまで辿り着いて、そこで茜がなにかに気づいた。


「……ああ、そうか。音葉さんのときは、交通事故があってすぐニュースになったから、亡くなったことそれ自体を隠すことができなかったんだ」

「うん、そう」

「なんというか、その……」


 茜はすごく言いづらそうにしている。

 その気持ちはわかる。


 両親が有名人であるがゆえに、こうもままならない。

 茜は俺の感情も知っている。

 俺はもっと『普通に生きたかった』のだ。

 天才らしく自然と活躍してしまう和花と対照的に、自分は内向的で、あまり目立つのが好きではなかった。だから、いくら父親が世界的な天才でも親の威光を振りかざそうとはしなかった。人間の性質としては、母親とよく似ている。


 でも、その母親が交通事故に遭い、無理やり行動せざるを得ない環境に追い込まれた。

 望んでもいないのに。

 でも、これは自分がやらなきゃならないことだった。


「親戚を頼る道は、正直なかったよ。父方は律さんが特別ってだけで律さん以外の親戚はほとんど絶縁状態。母方の親戚も、母さんがいなくなってからようやくわだかまりがとけたんだ。事故が起きて間もない頃は、全然頼れる状況じゃなかった」


 唯さんもまだ大学生だったから東京だったし、律さんもそのときは仕事から手が離せない状況だった。

 親戚以外の大人も頼れる人がいないわけではなかったけれど、家族のことをどうにかできるのは、自分しかいなかったのだ。


 母の事故直後、三年前のことを思い出しながら、砂浜から出る階段を上る。

 俺たち兄妹と母親の関係を知る業界関係者は多くない。まずは、その人たちを説得……うん、説得をして黙り込ませた。


 父親の親戚は、父の配偶者が来栖音葉であることを知らなかったし、母の親戚もそれを知っている人は多くなかった。自分が、母の親戚と直接会ったのはそのときだったけれど、祖母――つまるところの、母さんの母親がそこでひどく狼狽していたのは今も記憶に残っている。

 名家であるがゆえに、歌手になろうとした母さんは祖母と衝突してそのまま喧嘩別れしたと聞いていたけれど、祖母の行動も子の将来を思っての行動だったということだろう。


 自分たち兄妹と来栖音葉の関係性を明かさないという約束を交わして、浮花川へ帰る途中に泣いた。親から子が大切にされていることを間接的に知ることは、心に直接響くのだ。

 だから、俺が正しいことをやっているのか、少しわからなくなった。


「一番苦労したのは、両親と親しかった人に頭を下げに行くことだったけどね。誰に俺たち家族の関係をどこまで明かしているかわからなかったから」


 茜の両親は、俺たち家族の素性を知っていた。二人とも父親とすごく親しかったということは、母から聞かされていたのだ。だから茜の両親を訪ねることは、あまり心の負担にはならなかった。


 でも、予想を間違えて、真実を明かしてしまった人も少なからずいた。

 そのうちの一件が、春日の家だった。

 別に春日の親が春日に正しい情報を伝えたことが、悪気があっての行為ではないことはわかる。『気を遣ってあげなさい』と子供に伝えることを、正しいことじゃないと言うつもりはない。

 俺は、人の善性をある程度信用していた。


 でも、それ以上に。

 精神的に追い詰められたときに人が理にかなわない行動を起こすことも、重々に理解していた。

 だから、今回春日が起こす行動も容易に読めた。


「春日が俺たち兄妹の秘密を漏らすのは、想定内だったよ。……最悪の想定ではあったけどね」

「そ、それなら」

「うん。平気そうに見えるのは、すでに覚悟を済ませていたからだよ」


 大切なものを失う覚悟だ。

 秘密が秘密でなくなり、俺たち兄妹が来栖音葉の子供として認められる覚悟。

 或いは、それらが知られたときに起こるであろう騒ぎに巻き込まれる覚悟。


「いつかは言わなきゃと思っていたことだったんだ。自分からね。でも、その勇気は出なかった。言って、みんなを傷つけるのはわかっていたからだ。ひ、」


 ひなぎなんて、と言いかけて踏みとどまる。

 不当に誰かの評価を下げる行為はしてはならないと思った。

 でも、茜は「言って」と言わんばかりに俺の瞳をじっと見つめていた。

 その芯の通った目に、押し負けた。


「……ひなぎなんて、昨日真実を知ったときに『もっと早く言ってくれれば』って」


 直接言ったわけではない。俺が読唇できる人間でなかったら、気づくことなぞできなかったはずだ。


「言っておくけど、それは『もっと早く言ってくれれば、無自覚に俺や和花を傷つけなくて済んだのに』って自分を責めるような表情だったよ。でも、それでも」


 自分が結局直接言う勇気が出なかったことを、責められたような気がした。

 もちろん、そういう風に感じるとわかっていたからひなぎは直接それを音にはしなかった。音がなくとも唇の動きだけでわかる自分が、ひなぎの想定外だっただけだ。


「失」と「亡」の違いは誤字じゃないです。

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