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68.特別で

「……なんで飾の方が動揺してるの。普通逆でしょ、あたしが悲鳴あげたいくらいだったよ」


 茜が慌てて浴室を出ていったあと、どうにか冷静になった自分は自らの醜態を思い出さないようにしながら浴衣に着替えた。手櫛で整えながら入念に髪を乾かし、何事もなかったかのように脱衣所から出たところ、早々に記憶の蓋をこじ開けられた。

 一気に頬が熱くなる。


「こういうの、慣れてないから」

「ま、飾はそうでしょうね。修学旅行とかでも、個別で風呂に入ってたって」

「……どこから漏れたんだよ、その話」


 自分から言いふらすようなことじゃない。大浴場に俺がいないと気づいた当時のクラスメイトの誰かが言いふらしたのだろう。


「べつにいいけどさ。みんな好きだよね、他人の噂話」


 噂話なんて聞いていい気分にならないやつも多いというのに、人々はこぞって噂をしたがる。流される側からしたらたまったもんじゃない。

 それを有名税だ、という輩がいるなら一度同じ目に遭わせたくなる。


「茶化されるのは嫌い。裸を見て変な反応されるのも嫌い。こっちも男だっていうのに、まるで自分とは性別が違う生き物を見ているような目つきを向けられると死にたくなる」

「……ああ、ごめん。あたしの反応も嫌だった?」

「そういうわけじゃないけど」


 他人に見られるのと友達に見られるのとでは話が違うから、そうシンプルに話せることではない。

 茜に裸を見られるのが嫌だったわけではなく、ただただ恥ずかしかっただけだ、今回は。


「どうだった? 女子にしか見えなかったでしょ」

「ま、まじまじとは見てないからっ」


 茜の頬は、まだほんのり赤かった。思い出しているのかもしれない、と思うと少しにやついてしまう。

 あまりに初心な反応だ。

 自分の反応の仕方とは、少し違う。


 ただ、こうやってほじくり返していると痛いしっぺ返しをくらいそうだから、このぐらいで終わらせる。敷いた布団のうえにぺたりと座っていた茜からは少し遠いパソコンの前に、今日も陣取る。

 曲に関しては、これまでできていたところにピアノを付け足すだけだ。そこまで時間のかかる作業ではない。


 問題は、追加になったピアノ部分の映像をどうするか、だった。

 大急ぎでやれば、予定の時間までに元の映像と同じように追加部分の映像は作れるかもしれない。ただ、クオリティーの保証ができない。どれだけ気合を入れようとも、時間というものは有限で、与えられた時間でできるものしか作ることはできない。


 ならいっそ、映像は付け足さずに静止画を描くか。

 時間に余裕があれば、少し動きをつけることもできるだろう。

 ……果たしてそれが、元々作っていたもののクオリティーと同等になるかは疑問だが。


「昨日からその画面開いてたけど」後ろからやってきた茜がパソコンのディスプレイを覗き込む。「行き詰ってるの?」


 画面に動きがないからか、そう考えたらしかった。

 行き詰っている。

 そうかもしれない。

 でも、創作においてはこれが日常茶飯事で、むしろ今回は悩めるだけの選択肢がある。

 だから悩んでいるだけであって、頭の中が空っぽで何も思い浮かばない状況には陥っていない。

 まあ、こういう感覚も長い間創作と向き合っていなければわからない感覚だろう。


「大丈夫だよ。和花ほど真剣にこういうのと向き合ってきたわけじゃないけど、慣れてはいるんだ」


 慣れているし、今はどちらかというとたくさんの選択肢があって悩ましいこの状況が楽しくもあった。

 家族の秘密を明かされ、世間を騒がせているなかでこんな感情を抱いているのは変だと思う。


 でも、きっと和花がなんとかしてくれる。

 ひなぎも近くにいるから、事態の解決は問題なくできるはずだ。

 そう信じているから、楽観的で過ごせるのかもしれない。

 あるいは肩の荷が下り、その反動で地に足ついていない感覚になっているか。


「ちょっと外歩いてこようよ。昼のうちに雨も止んでたし、もしかすると星も見えるかも」


 立ち上がる。

 時間は有限だが、気分転換は大事だ。

 茜は一瞬きょとんとしたけれど、すぐに俺の言葉を理解すると笑顔を浮かべて頷いた。

 夜風で身体を冷やさないように半纏を羽織ると、ゆっくりとした足取りで部屋を出た。


 あずさと律さんは、ロビーで談笑していた。時刻は夜の十時を回っているけれど、まだもうしばらくここに留まっていそうな感じがした。


「お、デートか?」左手にウイスキーの入ったグラスを持った律さんが茶化すように言う。

「きっと逢引ですよ。見なかったことにした方が」あずさがそう言うと、律さんがにやりと笑って頷いた。


 茜が「違うからっ」と慌てて否定するけれど……どうだろう。

 デートかどうか以前に、俺たちは同じ部屋で寝泊まりしているのだけれど。


「お酒もほどほどにしてくださいね」


 そう言って先んじて歩き始めると、茜が後ろ髪引かれながらも二人から離れる。

 自動ドアを抜け外に出ると、冷たい風が首筋を撫でた。軽く身震い。茜を見ると、彼女もまた似たような反応をしていた。


「……まだ寒いね」

「夜風はね」


 でも、風呂から上がってそう時間が経っていないからか、気持ちがよかった。


「あのさ、もうちょっとちゃんと否定したら? 誤解されちゃうよ」

「誰に?」


 そう訊くと、茜は黙り込んだ。

 いじわるしてみたくなって、さらに「二人に? それとも茜に?」と質問を重ねる。


「……むぅ」

「拗ねないでよ。ごめんごめん」


 茜は頬を膨らませてわかりやすく拗ねていた。仮にその質問に『あたしが』なんて答えられていたら、返答に窮するのは自分だった。余計なことは言うべきじゃないと省みる。


「それに、同じ部屋で寝泊まりしてるんだから、今更の話じゃない?」

「……それもそっか」


 どうやら納得してくれたようだった。茜は逃げるように視線を空に向けると、「意識して夜の空を見上げたのって、いつぶりだろ」とこぼす。

 釣られて見上げると、日中まで曇っていた空に星が瞬いていた。


「この辺り、街灯も少ないから星が綺麗に見えるんだ」

「見慣れてるんだ」

「それなりの頻度で泊まりに来ているからね」


 家で落ち着いた作業ができないときは、家のことを榛名に任せて泊まりに来る。その分労働させられるけれど、旅館でのお仕事は嫌いじゃない。もっとも、律さんは自分を跡継ぎにでもしたそうにしているけれど、跡継ぎになるつもりはない。


 月と星の明かりを頼りに、暗い道をゆっくり歩く。

 自分が夜空を見上げるのはいつぶりだったか。

 そこまで前のことではないから、すぐに思い出す。

 和花とひなぎが配信でいろいろと弾き語りをした翌日のことだ。


 泊まり込みのバイト――要するに、ここ檜葉旅館でのバイトを終えて帰ってくると、和花との配信の対処をして精神的に疲弊していたひなぎとばったり遭遇したのだ。

 気分転換にでもなればと思って、夜の街に繰り出した。そうしたら、感極まったひなぎに告白されてしまったのだけれど。


「……もしかして、これって俺の常套手段なの?」

「どうかした?」

「あ、ああうん、なんでもない」


 考えていたことが口に出て、茜が首を傾げていた。

 誤魔化しながら、考えを整理する。

 夜の時間が、星々が輝く夜空が、頬を撫でる冷たい風が好きだから。

 何かきっかけがあるとこうやって誰かを連れ出してしまうのだろう。


 かといって、見飽きるようなことはない。

 ひなぎだけでなく、妹や榛名とも二人で夜空を見上げた思い出があるけれど、ひとつひとつが特別で大切な思い出だった。


 人は忘れる生き物だから、何もかもずっと覚え続けられるわけじゃないけれど。


 つい、願ってしまう。


 夜空を見上げたそれぞれの思い出は、死ぬまで忘れないでいられたら――と。


68の内容に合わせて65話に描写追加

(降っていた雨が止んだ描写)

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