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67.女々しい

 あずさは律さんと話があるらしい。なんでも、宿代の値段交渉をするのだとか。俺たちのせいで浮花川に来ているようなものだから「宿代くらい払うよ」と言ったけれど、すげなく断られてしまった。


「和花や柏木ほどでないにしろ、私も稼いでるもの。このくらいの宿代くらい払えなきゃまずいでしょう?」


 そうは言うけれど、それならわざわざ値段交渉する必要あるのだろうか。半分の目的は取材でもあるのだから、俺からもらうのが嫌なら姉に取材費用として経費を落としてもらえばいいのに。

 まあそれは、あずさのプライドによるものなのだろう。

 ならば深くは追及すまい。

 俺と茜はあずさとわかれ部屋に戻って、それぞれお風呂に入ってしまうことにした。


「あたし今日、あずさのところの風呂借りるから」


 そんな話になって茜が思い出したように行った。


「そうなの?」

「露天風呂に入ってみたくて」


 茜は声の温度を変えずに言った。

 その露天風呂に入りたいという気持ちは嘘じゃないだろう。ただ、なにか隠しているような気もする。詳細はわからないけれど。


「あずさには話通してあるから」


 そう言うと早々に自身の着替えをまとめて茜は部屋を出ていってしまった。茜の行動は不自然に思ったけれど、かといって引き止めてしまうのも『一緒の風呂に入ること』を催促するような気持ち悪さがあってできなかった。


 茜がいなくなったことをゆっくり咀嚼してから、部屋の隅に腰を下ろす。

 茜が帰ってくる前に自分も風呂に浸かった方がいい。

 それを理解したうえで、少しだけ腰を落ち着ける時間がほしかった。


 勢いのままピアノの収録を終えてしまったけれど、内心かなり疲れているようだった。アドレナリンやらなんやらが出ていて気づかなかっただけで、肩にも腰にも疲労が蓄積していることに気づく。

 普段から机に座って作業してばかりの弊害かもしれない。

 昔から身体が弱かったせいで、趣味がインドアに偏ってしまっている。これからはもう少し運動した方がよいだろうか、いや、今更か。


 かき集めるように着替えを抱えると、癒しを求めてお風呂に向かう。

 肩までかかる髪を丁寧に洗って、身体も洗い終えたところで、ふと正面の鏡に映る自分の姿をまじまじと眺める。

 下半身に目を向けなければ、肉付きの大層悪い女子にしか見えない。顔面はひとまず置いておいたとしても、自分の身体は男子らしいゴツっとしたものではないのだ。やや丸みを帯びた肩、少しあばらの浮いた胴回り、くびれた腰。逆につま先から上へ視線を流せば、男子にしては小さな足や細い足首、筋肉質ではないふくらはぎやふともも。

 本当に、これが自分なのかとときどき疑うほどだ。


「いっそのこと、ほんとに女子だったら楽だったのに」


 目をそらすように鏡から離れ、湯船に浸かる。

 こんなナリして男だから変なことを考えてしまうだけで、ちゃんと女子ならかわいいだけで普通の存在だったはずだ。こんな卑屈にもならないで済んだ、かもしれない。

 普通とは違う自分を、無理に正そうとしたこともあったけれど。

 この部分はどうやら自分の本質みたいなものらしく、どれだけ矯正しようとしてもあまり変化がなかった。


 ……それなら、仮に自分が女子だったとしても、どうしようもないことかもしれない。


 全部、『かもしれない』だ。

 過ぎてしまったもので、もう変えられないことだ。

 変えようがないことだから、後悔をするたびに振り返ってどうすればよかったのだろうと夢想する。それが悪いこととは思わないけど。


「なんか、女々しいな……」


 目を閉じる。


           *


 肩を揺すられていた。


「飾っ。こんなとこで寝ないでよっ、死ぬよっ」


 数え切れないくらい何度も聞いたことのある声だった。

 目を開けると心配そうに見下ろす茜の姿だけが、ぼやけた視界の中でくっきり見えた。

 どうやら余程疲れていたらしい。湯船に浸かりながら船を漕ぐ、なんていつぶりだろう。茜がいなかったらやばかったかもしれない。


「……今何時?」

「九時半。あ、夜のね」言って茜が頬をぽりぽりと掻く。「あずさの部屋のお風呂使って戻ってきたら、飾の靴はあるのに姿がないんだもん。焦ったぁ」

「それはほんとにごめん」


 よほど心配だったのか、随分安堵していた。

 眠っていたのは一時間くらいか。いくら女子のお風呂が長めと言えど、行って戻ってくるのには十分な時間だった。のぼせなかったのはいいけれどすでにお湯が冷めてしまっていて、それに気づいた瞬間に身体が震えた。


 立ち上がろうと浴槽の縁に手をかけて、ふと思う。

 自分はどんな恰好だっただろうか。

 お風呂に入っているから、当然全裸だ。そもそもお風呂場に誰かが侵入してくることを想定しているわけがない。


 見られた相手が茜だった、というのも悪かった。

 幼馴染みだけれど、『幼い頃に同じ風呂に浸ったことがある』なんていう幼馴染みらしいイベントを実は通過していなかったのだ。

 茜が自分の裸を見られることに無頓着だったから、彼女の裸は(故意ではなく事故で)見たことはあったけれど、そういえば自分の裸を茜に見られたことは一度たりともなかった。


 茜も自分が置かれた状況を理解して、少しずつ頬を紅潮させていく。

 のぼせてなんかいなかったはずなのに、頭の中が真っ白になった。

 そして。


 音にならない悲鳴が、浴室に木霊した。


 ……俺の、だけれど。


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