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66.懐古

 もっと難産かと思っていたが、その日のうちにアウトロの収録まで終わってしまった。

 音楽に精通していない二人に意見を聞きながら、十数秒のピアノを練り上げていく作業は意外と楽しかった。日が傾き始める少し前に案が固まり、そのままマイクをセッティングして収録を済ませた。

 その後、三人でヘッドホンを回しながら録った音を聴いたのだけれど、その出来があまりにもよく正直自分は笑いしかこぼれなかった。

 ただ、茜とあずさは二人とも少し引いていた。


「……これはちょっと、和花がかわいそう」

「天才め……少しは自重を覚えろよ」


 あずさに限っては、口調が乱れるほどだったらしい。

 まあ、そう言いたくなる気持ちはわからなくもない。

 俺が音楽を専門でやっている人間ではないからだ。というか普段は音楽なんて作らない。妹と同じ舞台に立ってしのぎを削らなきゃならないほど、俺は音楽に固執していない。

 そういう人間が、気まぐれのように作った曲の出来がよければ、こういう反応にもなるだろう。


「演奏技術はさしていらないと思うけど、この部分」

「そういう問題じゃないわよ。というか、ちゃんと弾くだけなら技術はいらないけれど、感情を込めて弾く技術は相当なものを要するわよ、これ」


 三人で俺の作った夕食を囲みながら、曲についての話を続ける。


「飾はほら、むっつりだから。いつも言葉にしていない分が演奏に乗るんじゃないの?」

「むっつり言うな」

「それも多分にあると思うけど……それだけなら、こういう反応にならないことぐらいわかるよね」


 あずさにそう言われてしまうと、なにも言い返せなかった。

 自分が、和花や榛名に並ぶほど才能があるという自覚はあまりない。

 ただ、過去の経験がそれを否応なく裏付ける。

 今まで、意識しないように頭の片隅に追いやっていたことだ。


「和花のためだよ。自分のやっていることを、自分以上に器用にできるやつがいたら嫌だろ。だから基本的には作曲なんてやらないんだよ」


 肩を竦めると、茜が理解できていないのか首を傾げた。


「訊いてあげて」あずさが、茜に向けて言った。

「……飾、なにがあったの?」茜がバトンを受け取って、苦笑いを浮かべながら問うた。


 どう返せばよいか、少し逡巡する。

 これまであまり積極的に誰かに話したことはない。あずさにも、なんとなくは話したけれど詳細は教えていない。

 あずさが茜を使って遠まわしに訊いたのは、そういうわけもあったのだろう。


「……和花と、一回だけ喧嘩したことがあって」

「え?」


 茜が驚いたように目を瞠る。茜からすればそれも当然の反応かもしれない。俺と和花が喧嘩をするなんて、俺たち兄妹の仲を知っていればいるほど信じられないことだ。


「って言っても、結構昔の話。まだ十かそこらのときのだけど」思い出しながら話す。「母親のやってることを真似して、初めて曲を作ったんだよ」


 思い返せば懐かしい、初めて曲を作ったときのことだ。

 和花がどの時期から作曲を始めたのかはわからないけれど、おそらく自分の少し前ぐらいに始めたはずだ。和花が若きピアニストとして各種メディアから注目され始まった時期ではあったけれど、妹の興味関心はすでに作曲方面に向かっていたと思う。


 和花がピアノを弾くのは、自分のそばにあったもので一番得意だったのがそれだったからだ。ピアノがやりたかったから、ピアノをやっていたわけではない。

 だから、いくら和花のピアノの腕前を持て囃したところで、熱意は作曲に向け続けられていた。

 ピアノコンクールに出ていたのも自宅を離れて歌手として働く母に活躍を聞かせてあげるためだった。だから、来栖音葉が死んでから、コンクールに出ることはなくなったのだ。

 和花にとってのピアノとはその程度のもので、和花にとって作曲とはそれだけのものだった。


「俺が曲を作ったのは、ただの気まぐれだったんだよ。昔からいろいろと溜め込みがちだったから、人知れず創作に打ち込むことでひとりで解消してたわけ」


 その気まぐれの産物を妹や母に見せたのは、自分の作ったものの価値がどれほどなのかわからなかったからだ。文章や絵に関しては、自分にある程度の才能があると自覚していたけれど、音楽についてはからっきしで何もわからなかった。

 だから訊いた──これ作ってみたんだけど、どう? と。


「思いのほか、出来がよかった……というかよすぎたみたいで、それで和花に『兄さんなんて嫌い!』って言われちゃった」


 妹に面と向かって『嫌い』と言われたのはそのときが最初で最後だった。


「自分が熱中して打ち込んで努力しているものを大して努力もせず軽々超えていかれたように感じたら、心中穏やかではいられないよね。ましてそれが、実の兄であるならなおのこと」

「だから、和花の前で作曲しなくなったの?」


 茜が問う。それに俺は首を振った。


「いいや、違う──そもそも曲を作らなくなった。兄妹揃って同じものに打ち込む必要ないし、作曲以外の手段を選ぶことは容易にできたからさ」


 自分には、わざわざ作曲をする理由がなかったのだ。

 曲を作らなかったところで、嫌な感情は抱かない。

 だかは基本的に曲は作らない。


「いやでも、あのときの母の怒り様は驚いたけどね」

「え、音葉さん怒るの想像できないのだけれど」


 あずさが驚く。


「珍しいけど、怒らないわけじゃないよ。ただ、どうなんだろうね。母さんから見ても俺がずっとひとりで家のこと背負ってるってわかってたから、勢い任せに『嫌い』だなんて言った和花を叱ったんだと思う。溜め込んでそれを言葉にしない俺の、珍しい自己表現だったから」


 察したように二人は頬を引き攣らせた。

 そのとき俺がどういう反応をしたのか、想像できてしまったのだろう。

 小さく咳払いをして場の空気を整えると、遠くを眺める。


「基本曲を作らないそんな理由。べつに自分に和花以上の作曲の才能があるとは思わないけど、わざわざ心底やりたい人の心をかき乱す必要はないからね」

「それなのに、今回は曲を作るんだ」

「ううん違うよ」茜の言葉に首を振る。「心をかき乱したいから、曲を作ってるんだ。それは三年前もそうだったし、ひなぎに曲を送ったのもそう。今回だってそうだよ」


 目的がなければ曲を作らない。

 逆を言えば、目的があるから曲を作る。

 作曲でなければならない必然性があるから曲を作る。

 それだけの話だ。


 二人は、今の自分の言葉はちゃんと理解できていないようだった。舞奈としてひなぎに曲を送ったのも、今曲作りをしているのも二人は知っている。

 ただ、三年前に俺が作曲していたことを二人は知らなかった。そして、今回もアウトロ用の十数秒のピアノしか聴かされていないのだから、事の全容なんてわかるわけもない。


 わからなくとも、通じなくとも今はいい。

 まだ協力者である二人にも、詳細を話すつもりはなかった。

 いたずら好きな子供みたいに思うのだ、最後の最後まで真相を隠し通して、それが明かされた瞬間にみんながどんな反応をしてくれるのだろう、と。


 そんなことを考えられる余裕があるのは、まあよいことなのだろう。


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