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62.疲れ果てるまで

 今後の方針はすんなりと決まった。

 元々私の新曲として作られていた曲を、アレンジするのがまずひとつ。

 新曲自体は完成といって差し支えないものなので、この工程自体は大して時間がかかるものではない。アレンジしたものを発表する場を設けることが、目下の目標。

 忘れられているかもしれないので私が東京に帰る日を再度和花ちゃんに伝えたら、忘れてはいなかったらしい。帰ってほしくなくて、忘れたふりをしていたのだという。


「今週末、だったよね。それには間に合わせる」

「え、無理はしなくていいよ」


 帰る予定と言ったって仕事が積んであるわけでもなし、融通は効く。

 私の言葉を聞いても和花ちゃんは笑って「いや、いいんだよ」と明るい声で言う。


「締切がないよりあった方が気合い入るからね。というか私は、締切がないと頑張れない人だから」

「……どうなんだろうね。締切なくても頑張れる人ってどれくらいいるんだろう」


 夏休みの宿題に例えて言えば、締切があって頑張れるというのは『夏休み終盤にほとんどの宿題を終わらせるような人』になるのだろうか。

 私は友達がいなく大した趣味もなかったから長期休暇の宿題に苦しめられたことはあまりないけれど、それは同じとは言えないだろう。

 和花ちゃんは「今晩はひとりで考えを練るよ。明日になったら頑張ろう」と言って自室に引きこもった。残された私には、ひとりでできることは何もなかった。部屋に戻って布団に寝転がる。


 ふと気になって、笠原さんに『無事に帰れた?』とラインを送る。

 笠原さんと進藤くんは、私たちが柏木の家に帰ってくるときに別れてそれ以来だった。二人とも靖彦さんが送ってくれるという話だったが。

 すぐに返信があった。


『特に問題なく。先生とも面識あったから気まずくなかったし』

「ああそっか。二人とも唯さんの旦那さんとは面識あるのか」


 安心していると、さらに『夕が、先生に奥さんのことを弄っていたわね。あんな美人な奥さんがいたのかよって』と送られてくる。

 たしかにそうだ。

 唯さんが既婚者であることは知っていたが、まさかそれが飾くんたちの先生だったとは私も思っていなかったことだ。


 というか、唯さんと榛名ちゃんが姉妹であることすら、まったく気づかなかった。

 よくよく見てみるとぱっちりおめめな唯さんと眠たげな榛名ちゃん、という違いだけで顔立ちはとても似ている。髪色も唯さんはくすんでいて、榛名ちゃんが綺麗な色をしているだけで、二人とも地毛は金髪なのだろう。

 そして二人とも、来栖音葉の姪っ子で、飾くんたち兄妹とも従姉妹なのだ。


 ……ん、あれ。


 そこで、浮花川でできた知り合いの大半が、音葉さんの親戚であることに気づく。というか、浮花川に来てから知り合った人がそこまで多くない。音葉さんの子供である飾くん経由で知り合っている人ばかりなのだから、それも当然だとは思うのだけれど。

 ヘッドホンを被る。

 和花ちゃんからもらった新曲の音源をリピートする。

 新曲は、舞奈の書いた『Along with』に対してのアンサーソングとして書かれた曲だ。

 よくも悪くもこの曲は普段私の曲を聴いてくれる一般層に向けられた曲ではなく、和花ちゃんが――カズネが舞奈に向けて書いたのだ。


 ただ、どうだろう。

 舞奈に向けて書かれた曲だからといって、一般層にまったく響かないとは思えない。

 正直、この時点で『傑作』だと思う。

 日常的に音楽を嗜む人であれば、『Along with』を意識して書かれたことがすぐにわかる曲だ。そして、『Along with』を踏まえたうえで聴くと、単体で聴いたよりも曲の解釈が膨れ上がる。

 お互いがお互いの曲を、より高みへ羽ばたかせる。

 作曲しない私からすれば、これ以上どうすればよくなるのかてんで想像がつかないほどだ。


「……」


 うん。

 いい曲だ。

 この曲は、このまま世に出すべきだ。


 だけれども、これを飾くんに向けて贈る曲とするのなら、わけが違ってくる。

 それでは意味が――ないわけではないが、飾くんのための曲ではない。

 ……和花ちゃんも気づいているはずだ。

 和花ちゃんはこの夜、それを踏まえたうえでこの曲をリファインしてくるはずだ。

 私はその邪魔をしてはならない。

 だけど。


「……あーもうっ」


 いてもたってもいられず、スタンドに立てていたTSP181ACを掴むと部屋を飛び出す。そのまま地下の防音室に駆け込むと、新曲の音色をアコースティックギターの音でなぞっていく。

 正直私は、ギターが特別上手なわけではない。

 若干弾ける、というだけの素人に毛が生えた程度。

 プロとしての及第点は、到底上げられるレベルのものではない。


 でも今はそれでいい。

 私が今やっているのはただの自己満足で、抑えきれない衝動をどうにか形にしようとしているだけだ。

 それがどれだけ不細工でも、聞き苦しくても、心に響かないものでも。

 今はただ、心の中にふつふつと湧き上がってくる情動を、不器用でもいいから、その輪郭をはっきりとさせたかった。


           *


「──なぎちゃん、ひなぎちゃんっ? こんなとこで寝落ちなんて私みたいだよっ?」

 肩を揺すられて意識が浮上する。

 一心不乱に弾いているうちに眠ってしまっていたらしい。重たい瞼をどうにか持ち上げると、中腰で私を心配そうに見下ろす和花ちゃんと目が合った。

 地下スタジオの壁に背を凭れて、TSP181ACを抱えていた。座った姿勢のまま意識を失っていたせいで、身体がこちこちになってしまっている。


「……だいじょうぶ」喉が乾燥していてざらついた声が出る。軽く咳をして無理に喉の調子を整えると、まだ心配に思っているであろう和花ちゃんに向けて「ちょっと、これ聞いて」と言う。


 固まった指先をほぐすようにビートルズ『In My Life』のイントロを奏でる。


「……『私を愛してる』ってこと?」

「これはただの慣らしだから……」


 曲の歌詞を知っている和花ちゃんに邪推されてしまった。違うって。


 そう言えば、誰かに自分の弾き語りを聞かせるのは初めてだったかもしれない。

 天才のものを知っている手前、素人同然の自分の演奏を聞かれるのが恥ずかしかった。家族にすら聞かれないようにしていたくらいだ。練習中ね、と微笑ましく思われることすら嫌だったくらいなのに。

 今、この瞬間は和花ちゃんに自分の弾き語りを聞かせたくてたまらなかった。


 目を閉じ、頭の中にある音色に耳を傾ける。

 昨日の夜疲れ果てるまで繰り返し弾いたはずだ。いくら私の実力が足りなくとも、和花ちゃんなら私の伝えたいことがちゃんと伝わるはずだ。


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