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59.次善

 和花当人は、自分の怪我はあまり深刻に思っていないのかもしれない。

 思い返してみれば、事故に遭った直後もそうだった。


『失敗した失敗した失敗した……』


 私がお見舞いで病室に辿り着いたとき、和花ちゃんが一番気にしていたのは自分の怪我なんかではなかったのだ。

 目尻に涙を溜めながら和花ちゃんは言っていた。


『兄さんにまた同じ悲しみを背負わせるなんて……』


 兄さん、つまり和花ちゃんは自分の怪我よりも兄である飾くんのことを心配していた。

 そのときは、もっと自分の心配をしろよと思ったけれど、今なら和花ちゃんの考えも理解できた。

 飾くんは母である音葉さんを交通事故で亡くし、その後は妹の和花ちゃんのためにすべてをひとりで背負って生きてきた。

 その中でたったひとりの家族である和花ちゃんまでも母親と同じ交通事故で失いかけたとなったら。


 ……ああ、これは。


 私が同じ目に遭ったら、立ち直れない。

 実際は和花ちゃんの命に別状なかったのだが、それでも『妹までもいなくなるかもしれない』という気持ちを抱いただろう。

 決して和花ちゃんが悪いわけではないけれど、自分のために飾くんがたくさん苦労をしていると知っている和花ちゃんからすれば、自分の怪我よりも兄のことを考えてしまうのは当然のことだった。


「ひなぎさんからも言ってくださいよ」声の温度を落とした榛名が私に視線を向ける。「これ以上無理すると、歩くのもままならなくなるかもしれないんですから」

「えええ」


 無理に動かしてかなり痛い、程度だと思っていたら斜め上の言葉が飛んできて唖然としてしまう。


「ちょ、ちょっとそれは自分も大切にしないとっ。和花ちゃんが歩けなくなったら飾くん余計に傷つくよね」

「それはそだけど。でも、ちょっと今回は我慢できなかった」


 なにがあったのかはわからない。

 でも、自分の足のことなんて考えられなくなるほど頭に血が上ったのだろう。


「……あずさ。今回に関してはきみが何かをする必要はないよ――私がやる」


 激情を押し隠すような声だった。


「というか、今回の出来事は私が解決しなければならないことなんだよ。だってそうでしょ、これまで全部兄さんにおんぶにだっこで、私はなにもやれなかったんだもん。兄さんだけが苦労して、私だけのうのうと生きてるのは間違ってるよ」


 それは、先ほど唯さんの言葉と似たようなことだった。

 きっと和花ちゃんは私以上にそれを感じていることだろう。

 誰よりも飾くんの近くにいたからこそ、今回の出来事は自分が解決しなければ、と。


「というか、ほんとうはもっと昔に明かすべきことだった。いろいろと拗れる前に話してしまえば、後から傷つく人は増えなかったもん」


 和花ちゃんは私を見る。


「言えなくて、ごめん。ひなぎちゃんが母さんのこと好きだってわかってたから言えなかった。音葉さんの子だって思われちゃうと、友達として仲良くするの難しくなると思ったから」

「い、いやいや。謝られることじゃないって」

「ううん、謝らなきゃ。誠実じゃなかったし、ひなぎちゃんのこと疑ってた部分もあったから……っ」


 そこで和花ちゃんは言葉を詰まらせた。

 疑っていた。見方によればそうかもしれない。

 私が、和花ちゃんのことを音葉さんの子供として見てしまうことを恐れたということなのだ。

 真実を明かされたときに私は、和花ちゃんのことを柏木和花として見られないのではないかと疑っていた。


 その事実は、人によっては傷つくだろう。

 もっと自分を信用してくれよ、と思う人もいるはずだ。

 私はそうではなかった。

 浮花川に来て、和花ちゃんや飾くんのことをたくさん知って、今は真実を受け止められる。

 でも、もしちゃんと二人のことを知る前に真実を明かされていたら、受け止めきれなかったはずだろう。よくも悪くも私は一般人上がりの歌手でしかなかった。デビューして間もない頃に真実を知れば、和花ちゃんが予想していた通りになったはずだ。


「……私は、」

「でも、私のことはいいんだよ」


 話しかけた私の言葉を遮って、和花ちゃんは言う。


「一番辛い思いをしてきたのは兄さんなんだ。一番言いづらかったのも、兄さんだ。兄さんはひなぎちゃんに自分で、自分の口から真実を伝えたかったはずなんだよ。ほんとうは」


 私なんかよりよっぽどね、と強がりながら笑った。


「……結局、言えなかった。言わないっていう選択をしただけかもしれないけれど、これまで兄さんがやってきた努力や苦労は泡沫のように消えてなくなった。正直それを考えると……胸が痛い」


 すべては妹である和花ちゃんが平穏に暮らすために秘密にしていたことだった。

 それが表沙汰になってしまったことで一番辛い思いをしているのは、飾くんだろう。


「……それは、兄さんの狙い通りだったかもしれない。噂を流したやつも、たぶん兄さんに踊らされただけだった。……はは、やっぱ兄さんは天才だよ。敵の動きすら計算に組み込んで求める結果に近づこうとするなんて」

「っ、でもそれは」

「うん。兄さんのやるべきことじゃないよね」


 和花ちゃんは俯く。


「みんな傷つけたくなくてすべてひとりで背負い込むような兄さんが、自分からみんなを傷つける選択をした。その意味を私たちはもっと深刻に考えなくちゃならない」


 そして、みんなを傷つける選択をして一番傷ついているのは、傷つけなければならなくなった飾くん自身のはずだ。


「最善の選択肢が選べなくなって、次善の策だった可能性も考えられるけど……」


 そう和花ちゃんは言うけれど、あくまでそれは飾くんから見た最善策だろうと私は思った。

 飾くんにとっての最善の策がなんだったか、今ならわかる。

 それは『私たちの誰もが傷つかない策』だ。

 言い換えるなら。


 ――痛みも苦しみも辛さも、本当に全部飾くんが背負うことで成り立つ策だ。


 何かがきっかけで破綻してしまったのか、それが選ばれることはなかった。

 そのことをよかった、と思っていいのかはわからないけれど。

 私たちは、自分が背負うべき痛みをちゃんと自分で背負うことができる。


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