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56.重くのしかかる

 外に出ると、雨が降っていた。


 傘は持っていなかった。天気予報をあまり見ていなかったせいだが、これは私への罰のように思う。

 足を引きずるようにして、途方に暮れながら歩く。


 水を吸ったウィッグが重かった。

 先ほどまで涙が溢れて止まらなかったのだけれど、雨の下に出れば、雨粒と涙との境目がわからなくなってしまった。自分が今、泣いているのかすらわからない。


 誤解がないように弁明しておくと私は、飾くんが音葉さんの子供であることを言ってくれなかったことを悲しんでいたわけではない。

 真実を知らなかったばかりに、無自覚に飾くんを傷つけていたことが悲しかった。

 真実を言えるわけがないことぐらい、少し考えればわかることだ。

 出会うタイミングが悪かったし、真実を知った私の反応を想像すれば真実を伝えにくくなることは当たり前だ。


 そして、その想像は、最悪な形で現実になってしまった。

 結局私は、あのときどうすればよかったのか今もわかっていない。

 飾くんの意図しない形で真実を知ってしまった後、状況を理解しきれないまま飾くんと直面して、錯乱して逃げてしまった。


 それが正解でないことだけはわかる。

 雨で頭が冷えて、状況が見えてきてくると余計に自分のしてしまったことの罪の重さがわかってくる。


 あれは最悪だ。

 この三年間、あるいはもっとかもしれない。飾くんはずっとひとりでたくさんのものを背負い込んで、歩き続けてきた。自分のことを蔑ろにしてまで、妹や家族、友人のために努力を続けてきたのだ。

 私がしてしまったのは、最悪の想像をなぞる行いだ。

 想定していなかったわけではないだろうけれど、想定通りになったらなったで傷つかないわけでもない。


 飾くんは強いひとだ。

 だからこそ、脆い。

 飾くんの心はすで何度も折れ、砕け、それを無理に補修しながら生きている。


 父親の死、母親の死とそれをなぞるような妹の事故。

 大きなもので言えばそれらだろうが、飾くんたちの出自を考えるに事態は私が想像できる以上に複雑になっているはずだ。


 真実に気づいた瞬間は、現実を受け入れられなかった。

 でも、これは現実だ。

 飾くんは来栖音葉さんの子供で、三年前の私は一番辛いはずの飾くんに(たす)けられて、それも知らないまま私は無自覚に飾くんを傷つけ続けていた。


 何か恩返しできていたのか、なんて考えることすら烏滸がましい。

 ほんとうは、私は飾くんと出会わなければよかったんじゃないか、とすら思ってしまう。


 身体が大きく震えた。

 雨に体温が奪われて、ではないだろう。

 もし私と飾くんが出会わなかったときの自分を想像してしまったからだ。


 あの日飾くんと出会わなければ、音葉さんの死に打ちひしがれたまま立ち直れず、歌手になることもなく、暗い海の底を漂うように生きることになっただろう。


 あの出会いが、私の人生を好転させたターニングポイントで、あの出会いのおかげで今の私がいる。

 今脳裏を過ぎった考えは、今の私を全否定することだった。

 でも、出会ってしまったから飾くんを苦しめてしまった。

 一生かけても返せない恩をもらったのに、それなのに。

 雨ふりしきる歩道の隅で、肩を抱えてうずくまる。


 ……私はどうすればよかったの?


 そのとき、慌ただしい足音が背後から聞こえてきた。

 ばしゃばしゃと水の跳ねる音、その音は私の背後まで来て止まる。


「だ、大丈夫っ? 藍沢さん」


 名前を呼ばれ顔を上げる。

 そこにいたのは笠原さんだった。彼女の背後には進藤くんもいる。

 二人は傘も差していなかった。雨を滴らせながら、心配そうに私を見下ろしている。


「は、はは。傘ぐらい差しなよ……」


 思った以上に乾いた声が出た。


「そ、それを今の藍沢さんが言うの?」

「それもそうか……」


 立ち上がる。

 水を吸ったウィッグが重かった。このウィッグは人工毛であり、人毛ではない。だから水は少し弾くのだけれど、ここまで雨に打たれてしまえばあまり関係がない。

 面倒くさくなって、重たいそれを外した。

 そのまま地毛を覆っていたネットも取り外し、白髪をさらけ出す。

 二人は驚いたように私を見つめていた。


「どうして今……」

「ウィッグが水吸って重くてさ、もう嫌んなっちゃう」


 こんな私が嫌だった。

 私はいつも、自分のことで精一杯だ。

 コンプレックスがあるから、と言い訳するのは簡単だけれど、それを言ってしまったらもう弱音も吐かずに頑張り続けてきた飾くんに合わせる顔がない。


「ほんとは、言いたくても言いづらいことがあるってわかっていたはずなんだけどな」

「それは……」


 進藤くんが言い淀む。私は首を振る、下手に慰められる方が今は辛い。


「思い返せば、気づく機会は何回もあったはずなんだよ……。飾くんも隠したくて隠していたっていうわけではなかったと思う。気づける機会はさりげなく置いていて、自然に、ちゃんと受け入れられる方法も模索していたはずで」


 私が飾くんの意図しない形で真実を知って、混乱してしまった。その姿を見られてしまった。

 だから今飾くんは深く傷ついているはずだ、私のせいで。


「ねぇ、二人は……」訊くのを一瞬躊躇したが、でも確認しなければならない。「飾くんが音葉さんの子供だって、知ってたの……?」


 私の質問に、二人は落ち着いた様子で首を横に振る。


「知ったのはつい放課後になってからだよ。俺らのあずかり知らぬところではこそこそ噂されてたみたいだけれど」

「……ん? えっ? ちょっと待って」


 進藤くんの言葉が引っかかる。

 私が真実に気づいたのは、柏木あさひの絵画を見たときだ。

 それを前提に置いたとき、進藤くんや笠原さんがついさっき飾くんや和花ちゃんの正体を知った、というのはあまりにもおかしすぎる。

 変だ。


 身体はすでに冷えているというのに、どうしてか嫌な汗が出てきそうだった。

 つまり、だ。

 私が飾くんと音葉さんの関係を知るのとほとんど同じタイミングで、学校の人たちもその事実に気づいていた、ということになる。


「……い、いや、さすがにそれはっ」


 不味い。

 それはダメだ。

 最悪だ。


 私は、私がひとりで混乱して、飾くんから逃げてしまったのだと思っていた。

 でも本当は、すでに深い傷を負っていた飾くんに、私はさらに傷を与えてしまっていた。

 止まっていたはずの涙がまた溢れ出してくる。

 一番辛い思いをしているのは飾くんのはずなのに。


 二人は、なにも言わなかった。

 たぶん、なにも言えなかったのだろう。


 この問題に関して言えば二人は、詳しい事情も知らない部外者だ。

 私がどうしてこれほど苦しんでいるのかもわからないはずだ。

 でも、それでも二人が私のことを追いかけてきてくれてよかった。

 もしひとりでこの苦しみを抱えていたら、私は耐えられなかっただろう。

 辛いときにそばに誰かがいてくれるだけでどれだけ救われるのか、それを身をもって体感するのは二度目だった。


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