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54.影響

 唖然としている間に、律さんが近くの自販機からノンアルのビールを買ってきてくれた。投げ渡されたそれをどうにか受け取って、あたしたちは乾杯する。


 ノンアルのビールは初めて飲むけれど、あまり美味しくはない。律さんの顔を見ると、『だから言っただろ』とでも言いたそうな表情をしている。そもそも美味しくないという忠告自体言われていないというのに。


「……律さんはどうしてお酒を」


 しかも、度の強いウイスキーをロックで、だ。基本的には女性の方がアルコールに強くないはずなのに、よく平気そうな顔で飲めるなと思う。


「もう、どうしてお酒を飲み始めたかなんて忘れたよ。でも、たぶん大人になりたかったんだと思う」

「大人に……」


 子供っぽい律さんがあまり想像できなかった。彼女のプライベートをあまり知らないからかもしれないが。


「そう、大人に。うちの親はあさひさんとこほど厳密な人間でもなかったんだけど、それでも名家らしい規律正しさはあったんだよ。だから、中学とか高校とかぐらいになって酒を飲んでみたい欲求に駆られたときにいつも『大人になってからにしろ』って言われ続けてきた」

「それは、守ったんですか?」

「さすがにな。大人になって活躍したい、とは常々思っていたから、大人になって後悔する落ち度は作りたくなかったんだよ。で、その抑制した反動でこうなった」


 ぐいっとウイスキーをひと口飲む。からん、と氷の音が鳴った。

 もうあたしは、彼女がダメな大人だとは思えない。

 飾も本心ではそう思っていないはずだ。


「あたしは、いくら飲んでもほとんど酔わないからちょっとしか感じなかったけどな、酒を飲むと自分が大人であることを忘れられんだよ。まるで良い夢でも見てるみたいに」

「酔わないってほんとですか?」

「この状況で冗談言うか?」

「いや、だってそれならかなり酔って見えるときはわざとそれっぽい演技をしていることに」

「……」


 律さんは黙り込む。

 面倒くさくなって、気にせず話を続けた。


「まあ、そんなもんだろうとは思ってました。どうせ、自分がしっかり者すぎるとかえって飾にしっかり者でなければならないと思わせてしまうから、不真面目でいるんでしょうし」

「待て、ちょっと待て」

「律さん、飾にとっては師匠みたいなもんなんでしょう。だから律さんが飾に似てる、というよりは飾が律さんに似たような感じなんですかね。うん、きっとそう」


 ひとり納得していると、律さんは驚いて口も塞がらなくなっていた。

 なにを驚くことを、と思う。

 飾と会話をすれば、このぐらい考えを読まれることなんて日常茶飯事なはずだ。飾はあたしが考えていることは読めないけれど、ほかの人が考えていることは恐ろしいぐらいに読めている。それを基準に考えれば、あたしのやっていることは特段不思議なことではないはずだ。

 そう思っていることを律さんに告げると、彼女は少し考え込んでから呆れたように溜め息を吐いた。


「……それ、茜ちゃんも飾の影響受けて感覚が狂ってるからな?」

「そうだろうと思いますけど」

「わかってて言ってるんならいいけどさ」


 律さんは困ったように笑った。


「……そうか。あいつの傍にいて平気なやつが長い間一緒にいると、こうなるのか」

「そこまで変ですか、あたしって」

「まぁな。なんというか、中途半端に考えが読めるようになってる感じだな。『気づいてほしいことは気づけなくて、気づかれたくないことは気づく』みたいな」


 それは……なんというか。

 だが、言われてみると腑に落ちる。

 三年前も今も、なんというか、本人が気づかれたくなさそうなことばかり察せてしまっている。大事なことは露も感じ取れていないというのに。


「悪いってわけじゃない。気づかれたくないことにだって気づいてもらった方がよいことは多分に含まれているからな。ただ、察せるからといって立ち回りが上手くなったわけでもない。下手に手や足や首を突っ込んで失敗したのが三年前なんだろ」

「……はい」


 あたしが力なく頷くと、律さんは項垂れたあたしの頭を撫でた。


「いや、いいんだ。失敗するのも将来上手に生きるための糧にすればいい、取り返しのつかない失敗じゃなきゃな。前に失敗したら、次は失敗しなきゃいい。今回は飾の傍にいてくれただろ。それができれば一〇〇点なんだよ」


 律さんはただただやさしかった。


「三年前の失敗のせいで、飾から距離を取った方がいいって思ったかもしれない。でも、多分それが一番間違いの選択だよ。飾にとっては白髪ちゃんもお前もどっちも大事で、どちらかを選んで片方が不幸せになるのは、きっと将来飾の心が潰れる」

「……べ、べつにあたしは飾がいなきゃ生きれないってほどじゃ」

「いんや、違うね。もう茜ちゃんは無理だ。飾の影響を受けすぎたお前は、ほかの人には満足できないぞ」


 言われて少し想像してみる。

 飾より優れた人間がどれほどいるだろうか。

 同性なら飾と同等の存在は何人か思い浮かぶ。飾の妹の和花や榛名、目の前の律さん。飾の従姉、榛名の姉である唯さんもそうかもしれない。


 だが、あたしは別に女性を恋愛対象として意識する人間ではないし、今挙げた全員が飾の関係者というか近親者だ。すごい血族なのは言うまでもないが。

 恐ろしいことは、彼女らの才能は飾の影響を受けて大きくなっていると推測できることだ。

 少なくとも和花や榛名は、飾の影響があまりに大きい。

 顔がいいとか料理が美味いとか、やさしいとか頑張り屋とか、そういう諸々を差し置いて、飾は周囲によい影響を与え続ける。


 ……あたしだって、そうだ。

 飾から、どれだけ多くのものをもらい続けていたのだろう。

 飾と一緒にいるだけで、苦手なものがどんどんと減っていくのだ。

 飾がいなければ、あたしは歯牙にもかけられないようなさもない人間だったような気がしてならない。

 そう考えると、『身を引こう』なんて考えがそもそも馬鹿らしく思えてくる。

 冷静に分析すればするほど大きな恩ばかりが思い浮かんできて、一生かけてそれを返さなければならない気がどんどんとしてくる。


「飾は、まあ白髪ちゃんひとりには荷が重いと思うからなぁ。どこかに飾のことが好きで、飾と相性いい子がいてくれると、あいつの師匠としては助かるんだけどなー」

「……」


 ちらちらと、律さんはあたしを見る。

 そんな期待の込めた視線を向けずともいいのに。

 もう、手遅れだってことを気づかせてくれた時点で問題なかったのだから。


「……あたし、飾のところに戻ります」

「おう。……飾のことは頼んだ。みんなのことは救けてやって、自分のことを後回しにしすぎるやつだ。父親も母親もいなくて、そのなかで妹を守るために独りで傷を負って、にも関わらず本人はほとんど報われてない。あいつは幸せにならなきゃダメだろ。飾が幸せになれなきゃ、死んだあさひさんにも、音ちゃんにも顔向けできないんだよ」


 ほんとうに、その言葉通りだった。

 あたしは空になった缶を置いて立ち上がる。

 礼を言うと、気にするなと言わんばかりに手を振られた。


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