53.墓
「とはいっても、そういう意図があって茜ちゃんに『気にするな』って言ってるわけじゃないぞ」
「ええ、それはわかってます……」
律さんの発言の意図はなんとなく察していた。本当に怒っているなら、もっと酷い仕打ちを受けているはずなのだ。そうなっていないということは、怒られていないか、すでに赦されたということだ。
まして当事者は飾と和花なのだから、律さんがあたしを怒るのも筋違い。
だから彼女は純粋に『あたしが気負いすぎる必要はない』と思っているのだろう。
「それに」あたしの考えていたことに補足を加えるように律さんは言う。「反省しているならそれを活かせればいい。今回飾が辛いときに茜ちゃんは飾のそばにいてくれただろ。だからあたしは感謝こそすれ、茜ちゃんを責めるようなことはしないよ」
柔和な表情だった。
律さんは、オーラがある人だ。
人生の岐路で別の選択をしていれば芸能界で活躍していてもおかしくないくらいの気品が溢れていて、持ち合わせる才能も格別なのは肌で感じざるを得ない。そんな人に感謝されるのは、少し恐れ多くも思うけど。
でも、どれだけ有能でも、こうして話してみると普通の人だ。
見えている世界は違うだろうが、悩みも苦しみも不安も、あたしたち凡人と同じように感じているのだろう。抱える規模が大きいだけで、感じる感情それ自体はけして特別なことではないのだ。
「……律さんって、飾と似ていますね」
「おいおい、そんなこと言うと飾に怒られるぞ?」
「あたしはべつに律さんは、本当はそこまでダメな大人だとは思いませんけど」
「……」
あたしの言葉に、律さんは押し黙った。なにか不味いことを言っただろうかと少し焦るも、そういうわけではなかったらしい。律さんは右手を伸ばし、あたしの頭を撫でた。
「お前、意外と鋭いな」
「そうでしょうか」
初めて『鋭い』なんて言われた。これまではいつも鈍感としか言われてこなかったのに。
「……この旅館、どう思う?」
「えっ?」
唐突に訊かれた。思わず表情を窺ってしまうけれど、律さんは真剣そのものだった。ならば素直に、率直に答えるしかない。
「良い旅館だと思います。外装も内装もすごく良くて、つい視線が吸い寄せられてしまうというか。ほんと、今日は天気だけが生憎といった具合で」
それ以外はケチのつけようがない。
出されるご飯は恐ろしいぐらいに美味しかった。『蕣』の部屋にいるから部屋は質素に感じるけれど、それでも部屋の細部は計算された作りになっている。お客様をもてなすための部屋はさらに素晴らしいはずだ。
「……だから逆に、浮花川にあっていいのかわからなくなって。もっといい観光地はありますから、客入りはどう考えたってそっちに行った方がいいでしょうし。ここが飾のお父さんの遺したものだとしても、もっと多くの人に見てもらわなければ正当な評価は得られないんじゃないかとも、思ってしまって」
「あははっ。その言い方、飾の影響受けすぎだぞ」何かがツボに入ったように、律さんは腹を抱える。「正当な評価……ね。うん、たしかにそう。ここはもっと多くの人に見てもらった方がいいもんだってのは理解してるよ」
もちろん、律さんがそれを理解したうえで浮花川に旅館を構えていることはわかっている。なんとなくもったいないと感じただけだ。
「それは飾の説明が不足してるな。大事なところを言ってない。たしかにここはあさひさんが遺したものだが、もっと端的に説明できるんだよ」
「端的って……」
「──ここは、あさひさんの墓みたいなもんなんだよ」
そう言われて、すとんと理解できてしまった。
ああ、なるほど。
墓だから煩くならないように大勢が来ないようにしている。
墓だから寂しくならないように限られた人は来られるようになっている。
「もちろん、こことは別にあさひさんの墓はちゃんとあるぞ。少し歩くけど、ここから近いところにある。そっちは何の変哲もない墓な」
律さんは海側とは反対側に視線を向けた。
おそらく、その視線の方向に飾のお父さんのお墓があるのだろう。
「……」
そしてすぐ視線を戻すと今度は目を伏せ、コップの中身の琥珀色の液体を見つめる。
テーブルの上にある瓶は『Arran』の十年。
ウイスキーだ。
とりわけ高いわけではないけれど、けして安いお酒というわけでもない、はずだ。
「茜ちゃんも飲むか?」
「……ノンアルなら」
「ウイスキーのノンアルなんてうちにはねぇよ」
「あるにはあるんですね……」
ノンアルのウイスキーがあるなんて今初めて知ったよ……。
長くなったので話を分割してます(ゆえに短め)




