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51.まどろみ

「飾が贔屓されてる理由はなんとなくわかった。この旅館の関係者ってことね」


 大体話し終えたところで、茜が納得したように言う。

 長い話だったから、部屋に備えられている座布団を並べて置いて、座って話をしていた。


「てか、こうやっていろいろ話を聞くたびに再確認させられるんだけど、正直飾って全然普通じゃないよね」

「そりゃまあ」


 どう考えたって普通ではないだろ、と内心思う。わざわざ口には出さないけれど。


「なんでヘルプで旅館の仕事させられてんの?」

「有能だから」

「それが驕りでもなく事実っぽいのが一番おそろしいよ」

「事実だし」


 任せられる仕事も込み入ったものばかり。雑用はほとんど任されず、一番楽な仕事でも厨房を任されることだ。一番ひどかったものだと、浴衣を着せられ化粧もさせられ、お偉方の接待をさせられた。

 もちろん風営法に触れるようなことはさせられなかったけれど、女性らしく振舞う意識と、相手があまりにもビッグネームだったこともあって、精神的な疲弊が大きすぎた。


「……だいじょうぶ?」


 思い出して辟易していた俺に、茜が心配の声をかけてくる。


「今日はいろいろあったもんね。あたしも、ちょっといろいろ訊きすぎた。少し休んだら?」

「いや、今疲れてるのは」

「ほら」


 くい、と袖を引っ張られる。

 気を抜いていたから、軽い力でもバランスを崩すのには十分な力だった。

 あっけなく倒れた自分の横に、茜も身体を横たわらせた。


「さっきも言われてたでしょ。『休め』って」


 そのまま手のひらで視界を塞がれてしまう。

 茜の手のひらがあたたかくて、そしておそらく自分が思っていた以上に疲弊していたことも相まって、一気に眠気が押し寄せてくる。


 昔は守らなければならないと思い続けていた茜が、いつの間にか随分と大人になってしまった。足踏みしているのは自分だけでは、とぼんやり思う。


 それも、当然か。

 三年前のことをずっと引きずっている人間が、前に進んでいるわけがない。


 だからこそ、今の自分に少し驚いてしまった。

 少し前までなら一度ネガティブな思考に囚われてしまえば、そのまま浮上することはなかったはずだ。足踏みしている自分の不甲斐なさに、打ちひしがれるのがこれまでだった。

 だが今は、茜のやさしさに素直に甘えてしまっている。

 茜が思っていた以上に頼もしいと感じたのだろうか。それとも、すべてをやり切ったことで心境に変化があったのかよくわからないけれど。

 でも、今はただこのぬるま湯に浸かっていたいと思った。


           *


 どれだけ時間が経ったかわからない。

 ただ、思っていたよりも長い時間が経過していたことだけはわかった。


「飯持ってきたぞ」

 自分の状況がわかったのは、部屋の扉の向こうから律さんの声が聞こえた瞬間だった。


 目を開けても視界が暗いままだった。

 そしてほのかにあたたかい。目の前の暗闇が、一定のタイミングで前後している。

 頭の後ろに手があるのを感じて、茜に頭を抱きかかえられているのだとわかった。


 声をかけようにも、口を動かすのも憚られるほど密着していた。

 かといって、無理に引き剥がそうとすれば積極的に触れてはいけないところを触ってしまう気がする。

 耳を澄ましてみれば、かすかに寝息の音が聞こえた。どうやらいつの間にか茜も眠ってしまっていたらしい。


 抱き枕の代わりにでもされたのだろうか。

 そんなことを考えているうちに反応がないことを訝しんだ律さんが部屋に入ってくる。

 そして、俺たちの状況に気づいたらしい。

 くつくつとした笑い声を漏らす。


「……あらあらまあまあ」


 わざとらしく微笑ましいものを見たような声を出し、律さんは茜を剥がしてくれた。


「やっぱりお前、隅に置けないよな。例の子が少しかわいそうだ」

「それはもういいです……」さすがに今回は反論しようにもできなかった。「とりあえず、助かりました」

「いや、いい。よっぽど疲れてたんだろお前ら」


 そう言うと、律さんが茜の方を見やる。律さんに剥がされた茜はまだ完全に目が覚めてはいないようで、壁に背を凭れながら目をこすっている。


「あたしはお前らの関係性はよくわからないから深くは口出ししないけどよ、彼女を蔑ろにするようなことはやめろよ。お前と平気で関われるようなやつ、滅多にいないんだぞ」

「それはわかってます」


 律さんが持ってきた夕食に視線を逃がしながら言う。

 幼い頃から茜と上手に付き合えてこられたのは、茜がよくも悪くも俺を特別扱いしなかったからだ。誤解ないように言うと、親密な間柄としての特別さはあった。少なからず好かれていたのだから、そこは否定なんてできない。


 なにが言いたいのかというと、茜は普通じゃない自分を周りと何も変わらない普通な存在として見ていた。

 だから普通ではない存在の代表例たる藍沢ひなぎと会っても、なんだかんだすぐに仲良くなることができた。

 まばゆい光を直接見ても、目が焼けない。

 俺や和花で慣れたからだけなのかもしれないけれど、それが茜の長所だ。


「信頼してあげろ。頼ったときにそれをふいにされるのが怖いのはわかる。でも、全部ひとりでやるのが辛いのは身に染みてわかったはずだ。変に遠回りせずにまっすぐ伝えれば、ちゃんと通じるんだから」


 そう言うと、律さんは俺の頭を撫でる。

 そしてそのまま『蕣』の部屋を出ていった。


「……あたし、もしかして寝ちゃってた?」


 律さんが出ていく後ろ姿をぼんやり眺めていた茜は、そこでだんだんと意識が覚醒して来たらしい。瞬きを繰り返しながら聞いてきた。

 俺が頷くと頭を抱える。


「あああ、飾のことを見守ってるつもりだったのに」

「茜も疲れてたんでしょ。いいって」


 話しながら、茜は俺の頭を胸に抱きよせていたことを覚えていないと察する。

 それは俺にとっては好都合だった。

 あのときのことを掘り返されると、気まずくてしょうがない。思い出すだけで頬が熱くなってしまう。


「どしたの。熱でもあるの?」

「ない」食い気味に答える。「それより、律さんが夕食持ってきてくれたから食べようよ。ここの料理、ほんとに美味しいから」


 身内心でつい自慢したくなる。

 ここ、檜葉旅館に勤める料理人は本当に素晴らしい。

 人生の中で和食を一番美味しく提供してくれるのがここなのだ。


 にも拘わらず、俺がここのヘルプをするときは基本的に厨房に入らされるのだ。まかないも自分の作ったものの余りばかり。

 べつに自分の飯が不味いわけではまったくないけれど、どうしてせっかく飯の美味い旅館にいるのに自分の作ったごはんを食べにゃならんのだ。自分の作った飯なんて食い飽きてるんだよ、こちとら。


「……なんで不機嫌な顔になってるの?」

「いや、なんでもない」


 表情に出てしまっていたらしい。

 無理やり笑顔を作って、俺たちはテーブルの前に移動した。


           *


 ……ちなみに。


「――え、なにこれめっちゃ美味いんだけどっ!?」


 夕食のあまりの美味しさに表情がとろけ切った茜は、ちょっとあまりに破壊力が高かったので深くは描写しないことにする。


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