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5.夕ご飯と少女たち

 しばらく頭を抱えていると、おそるおそるといった足音が聞こえてきて顔を上げる。音のした方を見ると、壁の陰からこちらを見るひなぎの姿があった。


「……隠れてないでさっさと出てきたらどうですか。わたしからは丸見えですし」

「飾くんに見られるのは、ちょっと恥ずかしい」

「じゃあ目を塞いでる」

「あ、違うっ。見せるために外してきたんだから、目は塞がないでっ」


 手をぶんぶん振り回しながらリビングに入ってきた。

 ふわりと踊る長い白髪。つけていた眼鏡は外されていて、恥ずかしさを表すように少しだけ瞳がうるんでいる。


 見慣れた姿ではある。でもきっと、ほかの人ならひなぎの容姿に思わず見とれてしまうのだろう。だが自分は、こうやって現実で見ると不思議と安心してしまった。

 映像というフィルターを通して見る彼女の姿は消え入りそうな儚さやもろさがあるのだ。そういうキャラクターを演じているというのもあるかもしれない。そういうものだと世間が信じ切ってしまっているからかもしれない。

 だからこそこうやってちゃんと目の前にいて、動いて、普通に生きているのだと思うと安心できた。


「あ、あれ。思ったより無反応だね」

「ごめん、なんの感慨も湧かなかった。思っていたよりも、思っていた通りのひなぎだった」

「意味わかんない……」


 ひなぎの後ろで夕飯を運んでいた榛名が肩を竦める。「もっと気の利いたことを言ってあげればいいのに」と少し棘のある言葉を俺に投げてくる。

「ほら、『かわいいよ』とか『思わず見惚れた』とか。そう言えればメロメロになるのに」

「誰がっ、誰にっ?」


 茹で上がるひなぎを慣れたように「さぁ?」と榛名はいなして三人分の夕食を運び終える。そして「それじゃあいただきますよ」と俺たちを手招き。

 慌てふためいたひなぎだったが、夕食の数と俺たちを見てとあることに気づいた。ひなぎの本来の目的だった俺の妹の姿が、今ここにない。


「あれ、和花ちゃんは? 具合悪いの?」

「いえ、和花は元気ですよ。二徹目なので、ちょっとハイになっているかもしれないですけど」

「……なんでそんなことに」

「ひなぎさんのせいなんですけどね」


 それから榛名は俺に、なにも説明していないことを非難する視線を送ってくる。テーブルのうえの夕食を見て「おいしそう」と言って誤魔化す。


 ひなぎが来ることもあって、榛名は今日ご馳走を作っていた。だいこんおろしを添えたハンバーグに、手作りの水餃子の入ったスープ。茹でた鶏むね肉の入ったサラダに、艶のあるほかほかのごはん。

 おまけに、昨日の夕飯で余ったおかずも並んでいる。見ているだけでお腹いっぱいに……はならなくて、どんどんとお腹が空いてくる。


 目の前に並んだご馳走に待ちきれなくなっていたのか、いただきますの号令がかかるとひなぎは勢いよくごはんを食べ始めた。


「――んまいっ」


 料理した人が大喜びしそうな笑顔だった。というか榛名は、あまり表情は動いていないけれど、かなり喜んでいた。目には見えない尻尾がぶんぶんと嬉しそうに揺れている。


 そのおかげか、話していた内容もうやむやになったらしい。

 みんなが食べ終わるまで会話は一切なく、ほんとうに目の前のごはんにだけに夢中になっていた。


「ところで、なにか訊きたいことがあるんじゃないですか?」


 俺が夕飯の片づけを始めたタイミングで、榛名がひなぎに問いかけた。ひなぎも手伝うと言ってくれたが、ひとり旅で疲れているだろうから家事の担当を割り振るのは明日以降ということで納得してもらった。ちなみに榛名は夕飯を作ってくれたので片づけは免除だ。


「訊きたいことはたくさんあるけど……、んと来栖さんって」

「榛名でいいですよ」

「じゃあ、榛名ちゃん。榛名ちゃんはどうして和花ちゃんのマネージャーを? まだ高校生だよね。と、いうか高校生になったばかりだよね」

「そうですよ、ぴちぴちの高校一年生です。わたしも、和花もですけど。ま、和花をどっかの事務所に預けて任せてしまうのも手段のひとつだったんですけどね。でも和花には伸び伸びと活動してもらいたかったですし」

「ああ、たしかに和花ちゃんはどっかの事務所に収まるような器でもないかもね」

「はい。それに、マネジメントぐらいなら、全然わたしにもできることなんですよね。業界のことなら大体知っていますし、コネもあります。……まあでも、コネだけの話を言うなら、正直和花のほうが多いんですけど」

「あ、そっか。音葉さんの繋がりも知らないわけじゃないのか」


 榛名はかすかに微笑む。


「わたしが適任だっただけですよ。和花は細かい雑事とかまったくできないので、中学のときから手伝いはずっとしていて。それこそお金の管理とか。和花は気になる楽器があるとすぐ買っちゃうんです。それでもお金自体は増えていくんですけど、節制も覚えさせとかないと。いつまでも飾さんやわたしがいるわけじゃないですから」

「そなんだ。まあ、たしかに和花ちゃんを見ていると心配になる気持ちはわかるかも。ほら、私がこっちに来たのってスランプになった和花ちゃんが心配だったこともあるし」


 こうして見ると、よい雰囲気だ。榛名もひなぎも、堅苦しい雰囲気がない。


「あ、じゃあもうひとつ。音葉さんって、どんな人だったの?」

「ん。あー」

「ごめん、もしかして、言いづらかった?」

「そういうわけじゃありません。ただ、なんでしょう。繋がり自体がなかったわけではないんですけど、わたしはあまり会ったことがないんですよ」

「そうなの?」

「はい。来栖の家は代々続く社家なんですけど、音葉さんはそういう堅苦しさが合わなくて音楽の道に進んじゃって。それで祖母と喧嘩になって、それ以来なんです」

「しゃけ……?」

「サーモンじゃないですよ。神職の家系って意味です。だもんで、結局亡くなるまで祖母と音葉さんは再会もなく……。だから、わたしと音葉さんは直接会ったことがほとんどないんです。……ま、祖母は後悔はしていたんでしょうね。父が跡を継いで、兄も跡継ぎとして勉強してくれてるからか、私や姉はそれなりに自由にやらせてもらっています。音葉さんみたいに、家風に合わないからと否定はもうされていないですね」

「お兄さんがいるんだ」

「ええ。飾さんと違って不出来で不器用ですが、何事にも一生懸命な兄がいますよ」

「……辛辣すぎない?」

「家族なので」

「いいなぁ。私ひとりっ子だから、兄弟がいるってうらやましいや」


 そういえばたしかに、ひなぎはひとりっ子だった。

 その話をしたことをなんとなく思い出す。


「なにか辛いことがあったときに寄りかかれる相手がいるってだけで安心できるよね。親だけじゃなくて、より年齢が近いところにさ」

「わからなくもないですけど」


 複雑そうな視線を俺に向けた。いや、どうして俺を見る。

 首を横に振って答えると、榛名は小さく息を吐いてひなぎの顔を見つめる。


「わたしからも質問いいですか」

「あ、うん」

「今回の新曲って、和花が……『カズネ』がスランプってるから別の人の曲使っていると思うんですけど……『舞奈』って誰ですか?」

「まずその質問なんだ」

「ずっと気になってて。ほら、まがりなりにも多少は音楽をかじっている人間ですし」


 榛名の言葉にひなぎは納得していた。

 今回、ひなぎが発表した新曲『Along with』はこれまでの彼女が発表した曲と比べて明確に異なる点がひとつあった。


 それは『Along with』を作詞作曲した『舞奈』という人物が、これまでひなぎの曲を書いてきた『カズネ』……つまり俺の妹の和花ではなくまったくの無名のクリエイターであることだった。


 とはいえ、さすがに本当の意味でぽっと出のクリエイターというわけではないだろう、というのが大衆の総意だった。すでに活躍しているクリエイターの別名義だろう、と。


「ネット上の議論があまりに不毛だったから、ひなぎさんに直接訊きたかったんです」

「……あー、ごめんね。実際のところ私も、舞奈が誰かはわからないんだ」

「そうなんですか?」

「うん。私に歌ってほしいってマネージャーに音源が送られてきて、収録と音源の調整を数回繰り返して終わり。やりとりは全部マネージャーがやってたから、私も全然舞奈のことはわからなくて。シャイな人なのかな」


 ひなぎは他人事のようにからからと笑う。


「ほんとうは和花ちゃんの曲以外歌うつもりなんてなかったんだけどね。和花ちゃんがスランプ中だっていうタイミングもあったり、おそらくマネージャーの懇意にしてる人だったり、あと単純に曲のクオリティーが高かったり。そういう要因が重なって、歌う以外の選択肢がなかったわけなんだけど」

「あの曲を歌わないなんて、もったいないです」

「でしょ。やっぱりわかるよね」


 お互い歌うことが好きだからこそ共感しているようだった。

 こうやって会話を外側から見ていると、少し感動してしまう。

 榛名が他人に興味を持っていることがあまりなくて、高校でもいつもひとりだった。勉強もできるし、運動もできる。見てくれもいい。来栖音葉の親戚であることはすでにバレバレだし、榛名自身の才能がずば抜けていることも見ていればわかる。だから榛名の同級生らはどうにか接点を持とうとしているようだった。


 だが、当人にまるでその意思がない。

 休み時間になると奔放な猫のようにどこかに行ってしまうし、部活や委員会といったものにも一切所属しなかった。なんとか会話にこぎつけても、それとない返答ばかりでつけ入る隙もない。

 なんなら一緒に住んでいる俺や妹に対してすら、高校では関わらない。


 そんな榛名が、たったひとつの歌がきっかけで誰かと話している。

 そのことに、本当に感動してしまった。


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