表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/114

49.罪悪感

 いつまでも高校に居続けるわけにはいかないから、タイミングを見計らって外に出た。

 いつの間にか降り出していたらしい雨が、校舎前のコンクリートを叩いている。うっかり傘を持ってきていなかったけれど、茜が傘を持っていた。彼女の厚意をありがたく受け入れ、二人同じ傘に入って校門から出る。

 高校内で起こった騒動のせいで、まだ下校している生徒は少ないようだった。おかげで、あまり注目を集めることなく高校から離れることができた。


 会話の種がなくて自然と無言になってしまう。

 歩くたびにお互いの肩が触れる。昔もこれくらいの距離感は珍しくなかったけれど、状況もあってか妙な気まずさがあった。


「せっかくの相合傘だってのに、お通夜みたいな空気出してんじゃねえよ」


 その気まずさを割ったのは女性の声だった。

 声の主はポルシェの助手席側に乗っていた。左ハンドルの車だ。運転席にいる旦那さんを挟んで、俺たちに声をかけてきたらしい。


 律さんだった。旅館の女将をする傍ら、様々な事業を行っている父の親戚。仕事に関しては優秀過ぎる人だけれど、それ以外がなにも参考にできない人だった。


「乗れ。どうせ家に帰りづらいんだろ。うちで匿ってやる」

「そりゃそうですけど」


 まっすぐ家に帰るつもりはなかった。

 俺の前から去ったひなぎがどこへ行ったかはわからない。ただ、すぐにひなぎに会うのはあまりしたくない。向こうにも心を整理する時間は必要だし、何より自分も、すぐにひなぎと対面する覚悟はできていなかった。

 律さんの提案はありがたい。

 だが、このまま車に乗って連れられてしまうのは気が乗らなかった。

 それを見て律さんがゆっくりと息を吐く。


「そこの」視線が茜の方を向く。「ドアを開けて飾を押し込めろ。そいつは基本車には乗りたがらないからな。このままじゃ埒が明かない」

「……えっと」

「躊躇する必要はない。そもそも飾はここで車に乗る方がいいことぐらいわかっているからな。気持ちの面で折り合い付かないだけだよ」


 見透かされたように言われ、ちょっとむっとした。無言で後部座席のドアを開いて奥の席に座る。

 助手席の後ろだから、律さんの表情は見えない。

 ああいう言い方をすれば、俺がこういう行動を起こすと読まれていた可能性もある。したり顔でもされているかもしれない。表情が見えなくてよかった、とぼんやり思う。


「ついてくるか?」


 律さんが茜に問いかける。

 茜は少し考えて頷いた。そして、車内を興味深そうに眺めながら俺の隣に腰かけた。


「カイエンなんて初めて乗るんだけど」


 ドアを閉めながらぼそりと呟いていた。


「あたしの車だよ。……まあ、アルコール入ってないときの方が稀だから、運転はほとんど旦那がしてるんだけどな」


 そう言って律さんは運転席の旦那さんの肩を叩く。

 俺は呆れることしかできなかった。


「それじゃあ檜葉まで頼む。……ああ、安全運転で頼むぞ。絶対に事故なんて起こすんじゃねえぞ。フリじゃねえからな」


 茜がシートベルトを締め終わったタイミングで車が走り出した。久しぶりに車に乗ったけれど、さすがは高級車といった感じで快適すぎる。

 これを基準にしてはいけないだろうとは思うけれど、如何せん車に乗る機会が滅多にないせいで、身の回りの金持ちの車が基準になってしまうのだ。


 コンクールなどで県外にたびたび出ていた和花はともかく、家を守る時間が多かった自分は自然と出不精になってしまった。両親ともども体調が悪かったり多忙だったりで自分で車を運転することはなかった。その影響もあって普通の自家用車とは縁が遠い。

 市内で暮らす上では自転車や公共交通機関を使えば、全然問題なく暮らせていたし。


 なにより。


「飾は、母親と和花の事故もあって車に嫌な思い抱えているからな」


 俺の考えを補足するように、律さんが茜に話しかける。茜がその意味を理解して黙りこくってしまう。


 余計なことを……と、静かに思う。

 母親が交通事故に遭って、その後に妹まで交通事故で失いかけたら、たとえどれだけ便利だろうが車に乗ること自体に躊躇するようになってもおかしくないと思う。

 元々車がなくとも不便がなかったからというのもあるけれど、そのせいで逆に車に対する悪感情が強くなってしまっていた。


 その感情を紛らわすように目を閉じ、右腕を枕にして少し身体を傾ける。律さんと茜がしばらく会話を続けた後、思い出したように律さんが話しかけてきた。


「今回の、どこからが狙い通りだ?」


 特に脈絡はなかったけれど、その質問が自分に投げかけられたことはすぐにわかった。

 茜や律さんの旦那さんからすれば意味がわからなかっただろう。

 ただ、律さんからすれば俺が今回の一件を狙って起こしていたことぐらい、簡単に見抜けてしまうらしい。


「最初からです」目を閉じながら答える。「ひなぎが浮花川に来れば、少なくない確率で世間に柏木家の秘密が明かされてしまうことはわかっていましたよ」

「……わかったうえで呼び寄せたってことか」

「ええ、まあ」


 もちろん、ひなぎが浮花川に来るだけではそうなる確率はさほど多くなかった。

 だが、そこに茜が加わってきたことで確率が跳ね上がってしまったように感じる。茜のせいにしたいわけではないけれど、俺と茜の関係に文句をつけたいやつが少なからずいたのだ。

 そのこともあって、結局全員が傷を負う未来になってしまった。


「……頑張ったらその分褒めてあげなきゃならないでしょう。だから、一曲ひなぎに送っただけです。もちろん俺が俺だと隠してですけどね」

「ま、そうだろうな」


 俺たちのやりとりに茜は一瞬首を傾げ、すぐに俺の言葉の意味に気づいて絶句する。要するに、俺が『舞奈』としてひなぎに一曲送った話だ。


「ご褒美、的な意味もありましたし、あの曲を聴けば浮花川に来たくなるだろうという算段もありました。ひなぎが単純で助かりましたね」

「お前はよう」

「呆れないでくださいよ」


 ずっと罪悪感との戦いだった。

 あそこまで自分が好かれているとはまったく予想していなかったからだ。

 自分のことを純粋に好いているひなぎと、純粋とは言えない自分の動機にこれでいいのかと延々悩み続けてきた。

 そしてその最後には、残酷な真実が明かされる未来が待ち受けている。


 騙していたつもりはない。

 わざと隠していたつもりもない。

 言えなかっただけだ。

 来栖音葉の死に悲しむひなぎに救いの手を差し伸べてしまった手前、自分が音葉の実子であると伝えられなくなってしまった。

 一番悲しむべき人より辛そうにして一番悲しむべき人に救われてしまった現実は、やさしいひなぎをひどく傷つけてしまうことぐらい最初からわかりきっていた。


 茜にも訊かれた。

『自分で言いたかったのに』なんて思わなかったのか。


 自分で言わなきゃ、とは思っていた。

 思わないわけがない。

 真正面から向き合って、「言えなくてごめん」ってちゃんと伝えられるのが一番いい。

 わかりきっている。


 ただ。

 真正面から向き合って真実を告げたときに、『もっと早く言ってくれれば』なんて言われてしまったら、立ち直れる気がしなかった。

 和花のために孤軍奮闘した日々も、直接言おうとした努力もすべて否定されてしまうようで。

 和花を喪うかもしれないという恐怖からぎりぎり持ち直したばかりの自分には、それはあまりに苦しかった。


「……正直、逃げただけです。直接言いたかったけれど、直接言ったときに望まない反応をされたら立ち直れる気がしなかった。だからもう、自分以外の誰かが言ってくれればって思ったんです。そうすれば、そいつに全責任をなすりつけられますから」


 自分は悪くない。

 はっきりとそう思える状況を残したかった。

 正直言って最低だと思う。


 自分からひなぎと向き合うことを恐れ、他人に責任をなすりつけ、自己保身のためにみんなを傷つけた。

 端的にいえばそうなってしまう。

 だから、ずっと罪悪感を抱え続け、これでいいのか悩み続け、苦しんだ。

 苦しんだからといって、やっていいことと悪いことがある。

 今も、自分の行いに対する評価はわかっていない。


「そうか」


 律さんは静かに言う。

 泣きじゃくる子供の頭を撫でるような、やさしい声音だった。


「お前は十分頑張ったよ。たった独りで辛かったよな。歩き疲れただろうよ。だから、今は休んどけ。あたしが許す」


 そう言うと、律さんはカーオーディオの音量を上げる。

 流れていた曲は、竹内まりやの『元気を出して』。

 ……っておい、俺は失恋した女の子じゃないぞ。なんてタイミングが悪い。


 そうつっこみを入れる気力もなく、枕にしていた右腕に目元を押し付ける。

 頑張った。

 十分頑張ったはずだ。

 間違いもたくさんしてしまっただろう。

 両親という頼れる存在どちらも喪った中で、たったひとりで全部背負ってきた。

 それを考慮すれば、及第点はあげられる頑張りはできたはずだ。


 今はそう思っていなければ、ぐちゃぐちゃになった心のせいで声を出して泣いてしまいそうだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ