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46.急転直下


 事件の起りはすべての授業が終わった放課後だった。厳密に言えば、ひなぎがうちの高校を訪れたときからだったかもしれないし、それ以前だったかもしれない。とにもかくにも、外野から見れば事件は放課後に始まった。

 騒ぎは廊下で起こった。

 なにかが倒れるような音、怒声、生徒たちの悲鳴。

 あたしと燈子は教室にいた。飾も教室に残っていたけれど、窓際の席に座って所在なげに外を眺めていた。


「――っざっけんな」


 誰の怒声かは、すぐにわかった。

 状況を理解できていない燈子を残したまま教室を飛び出す。騒がしいところを見れば、そこには床に転がるひとりの男子と涙を目尻に溜めながらそれを見下ろす和花がいた。

 状況が掴めない。が、よくない状況だということぐらいはひと目でわかる。


 野次馬のひとりを捕まえて事の経緯を聞くと、それだけでぼんやりと輪郭が見えてくる。

 午後になって『来栖音葉』のとある噂がSNSで広まり始めたのだという。それを直接、その関係者に質問した阿呆がいたらしい。その結果が、これだった。

 どんな噂か、なんて考えなくともわかることだったけれど、あたしが訊ねたそいつはお節介にもちゃんとあたしに『それ』を訊いてきた。


「桃川さんって柏木くんの幼馴染みなんだよね。それなら知ってたんじゃないの? 柏木くんが来栖音葉の子供だったってさ」


 それに対する返答はいささかあたしにとっては乱雑だった。

 どいて、邪魔だから。そう言ってのけると、野次馬たちの間に身体をねじ込むようにして和花の近くまで進んでいく。話を聞いている間に人が詰まっていた。できればいなくなってもらえると助かるが、まあ無理だろう。


 来週から、誰にもやさしい桃川茜、という評価は失われるかもしれない。

 でも、あたしが誰に対してもやさしくしていたのは、三年前に飾に距離を取られたことに対する、自分なりの折り合いの付け方だった。

 飾にやさしくできなかったことへの贖罪にも近い。

 今となってはそれも、不要な鎧のように思えた。


 なにより、この状況こそ飾たちとの関係を崩壊させる要因になりかねない。

 騒ぎの動機にあたしが絡んでいる気がしていた。


 やっとのことで和花のところに辿り着く。

 倒されていたのは春日だった。

 馬乗りになった和花に胸倉を掴まれ、近くの壁に背中を押し付けられている。


「……ふざけんな。ふざけんなよ。兄さんがどれだけここまで苦しんできたかわかんないのかよっ。なんでそんな、これまでの兄さんの努力も頑張りも、全部否定するようなことが言えるんだよ。言えよっ」


 まだ状況がわからない。

 どうしてこうなっているんだ、という言葉を必死に飲み込んで、和花を春日から引き剝がした。


「……少し落ち着いて」

「――でもっ」

「大丈夫。あたしは和花の味方だから」


 そう言うしかなかった。

 泣きだしそうになる和花の頭を数度撫でて、彼女の手を握る。ここは感情的になってもどうしようもない。

 和花から解放された春日が、壁に寄りかかりながら立ち上がる。彼の友人たちが近寄ってきて、彼を支えようとするけれどなんだかそれが癪に障った。


「ねえ、どういう状況?」


 ひどく冷たい声が出た。

 氷点下の視線を春日に向ける。

 春日は飄々と言う。


「……柏木兄妹の噂を世に出したのは俺じゃない」

「和花が言いがかりつけて倒してきたって言いたいわけ?」

「いや、それは俺が悪い。癇に障るようなことを言ったのは事実だよ。それは本当に申し訳ないと思っている」


 ぎりぎりと奥歯を噛みながら春日の話を聞く。


「柏木妹は、俺が噂を流した犯人だと思ったらしい。それは半分事実だけれど、半分誤解だ」

「ふぅん」


 驚きはしない。

 春日を疑っていたのはあたしも同じだ。


「要するに春日は、飾が音葉さんの子だってことを知っていたわけね」

「気づける人は気づけるだろ。……お前は鈍感だから気づいてないと思ったけどな」


 冷たい視線を向けたまま、なにも喋らない。

 つい最近それを知ったのは、言うべきではないことぐらいわかっていた。


「俺は佐藤に相談しただけだよ。柏木が『茜に大事なことを正直に打ち明けないせいで、茜が苦しんでいる』ってな」


 その言い方は、あまりに一方的な見方だった。あたしの手を握る和花の手に力がこもる。が、先ほどのように激昂することはなかった。


「事情を知った佐藤の暴走が、コレだよ。SNSで書き込みやがった……ああいう奴だってわかってたら相談なんてしなかった。それは俺の落ち度だ」


 頭を下げられる。

 あたしは全然納得できなかった。

 安っぽい謝罪だった。

 自分のなにが悪かったのか、まだ自覚ができていないようにしか見えなかった。


「……そもそも、なにが問題かわかってないでしょ」

「……は?」


 呆ける春日に一歩近づく。


「さっき和花が言っていたよね。飾がどれまで苦しんできたか、考えていないよね。飾のせいであたしが苦しんだ? 客観的に見ればそうかもね。でも誰よりも苦しかったのは、どう考えたって飾に決まってる」


 春日があたしを特別な目で見ていることは、わかっている。

 告白もされたことはある。

 それを断ったのは、そもそも春日があまり好きではなかったからだ。八方美人のように振舞う手前雑に扱えなかっただけで、本当ならあまり積極的に関わりたい相手じゃない。


「さっき春日はあたしのこと鈍感って言ったけど、春日は盲目ね。見たいものばかり見て、信じ込んで、それ以外をまるで見ようともしない」


 飾が来栖音葉の子と知っているなら、いろいろと推測するには十分だったはずだ。

 それをしなかったのは春日の怠慢にも拘わらず、自身の怠慢で起こったこの出来事は、自分の責任はあまり大きくないと宣っていやがる。

 それこそ『ふざけんな』って話だ。


「どうせ、容疑者扱いしてきた和花に対して謝りもせず『でも、柏木が茜を傷つけてきたのは事実だろ』とでも言ったんでしょ。その結果すっ飛ばされて痛い目見てる。バカじゃないの? この前の飾の悪評だって、自分が噂を流したわけじゃないって思いながら、友人に飾の悪口言ってたくせに」


 そういう人の悪評というものは、簡単に風に流され周囲に運ばれていく。

 自分が広めたつもりはなくとも、自分にも原因があることは往々にしてよくある。

 腹が立ってしょうがなかった。

 こんなやつがあたしを好いていること自体が、気持ち悪くてたまらない。

 まして、あたしが苦しんでいることを嘆いたことが動機なら、あまりにも。


「……いい加減にして。もうあたしたちに関わらないで。あたしたちの問題はあたしたちで解決すべきことなの。だから正義ぶって首突っ込んできて余計な面倒ごとを増やさないで。春日のせいで飾が首吊ったらどうするつもり?」


 冗談でも言いたくないことだが、冗談じゃないから言ってやった。

 この一件が原因で飾が道を踏み外すことはない、と言い切れないのが現実だった。


「実の親を喪っている人に対する仕打ちじゃない」


 母親の死を隠すことで得られる平穏は、簡単に崩れうるものであることぐらい、飾自身理解していたはずだ。でも、それを理解したうえで母親との関係を隠し続けてきたのは、関係が明るみに出たときのリスクがあまりに大きかったからだ。

 今SNSでどれほどの騒ぎになっているのかはまだわからない。

 でも一旦外に放出された騒ぎの種は、たちまち大きく広がっていくだろう。

 しかも、悪意なしに、だ。


 飾たち兄妹の両親が、夭折の天才画家と非業の死を遂げた美人歌手。


 そんなプライベートな情報を、柏木和花という天才のルーツとしてまるで喜ばしいことのように人々は受け取って、拡散していく。

 考えるだけで吐き気を催す。

 当事者であればなおのこと最悪な気分だろう。


 もう春日の顔も見ていたくなかった。


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