43.素質
ちなみにだが、ちゃっかりあずさは茜から和花ちゃんの話を聞き出していた。
「今回の話、和花の友人からってことで記事に使ってもいいかしら」
「ああ、そういえば和花への取材で来てたんだっけ」
茜はすぐにっこり笑うと「いいよ」と二つ返事で許可を出す。
「飾の知り合いなら、そのあたりは信頼できるしね」
「ありがとう。ちょっとしたインタビュー程度だからギャラは出せないけど」
「いいっていいって」
茜は気にすんなと言わんばかりに首を振っていた。
傍から見ていると、とても仲良さそうに見える。もう、今日初めて会ったとは思えなかった。私があまり社交的ではないということもあるだろうが、二人の距離の詰め方はとても上手だった。
そのあと、昼休みが終わる前に茜は教室に戻っていった。靖彦さんも午後は授業があるようで、少し申し訳なさそうにしながら駆け足で職員室に向かっていった。
別れ際に見学の際の注意点を話されたので、それに従って校内を回っていく。
授業を受ける生徒たちの様子を邪魔しないように廊下から眺めて歩く。見ていてわかったのは、飾くんと茜、笠原さんの三人は同じクラス。同学年で言えば、私の知人だと進藤くんのみが別のクラスになっているようだった。
授業を受ける姿は三者三様で、背筋を正して授業を真剣に受けている笠原さん、先生の話はちゃんと聞いているものの時々物憂げに外を眺める茜、意外なことに内職をしている飾くん。ちなみに別のクラスの進藤くんはうつらうつらと船を漕いでいた。
「……柏木は授業受けなくても点数取れるから」
「それはそうかもだけど」
あずさにそう言われるけれど、私は飾くんに真面目な印象を持っていたから意外な姿だった。
先生に咎められないよう教科書もノートもちゃんと開いてときどき黒板に目を向けつつ、ルーズリーフに鉛筆を走らせている。なにを書いているのかは、さすがに廊下からは見えないけれど、その不真面目さも魅力的だ。
「…………」
飾くんの姿ばかり見ていたらあずさにジト目を向けられてしまった。
小さな声で謝りつつ、止まっていた足を再度動かす。
次に向かっていたのは和花ちゃんの教室。今回の授業は、先ほど私たちを案内してくれた靖彦さんで数学の授業。教え方はかなり上手い。授業に躓きにくいように説明の仕方を工夫しつつ、時折頭や身体が凝り固まらないような面白い雑談もしているようだった。
和花ちゃんは、腕を組んで眉間に皺を寄せて考え事をしていた。そして数秒経って妙案が思いついたとばかりに表情を明るくすると熱心にルーズリーフに書き込みを……ここはどこかの誰かさんと似ている。
ふと、和花ちゃんの視線が私たちに向けられた。
そしてわざとらしく瞬きをすると、にっこり笑って黒板に視線を向けていた。
「……はぁ。ひなぎ、行こうか」
「え? どしたの急に」
歩調を早めたあずさに慌ててついていく。
特別教室の前の少しスペースがあるところで、あずさは足を止めた。
「あんにゃろう、これ見よがしにモールス信号なんて使いやがって」
「……モーリス?」
「……敢えてどんな意味で言ったかは訊かないであげる」
あずさが非常に冷たい目を私に向けた。
「……お前も和花らしさが板についてきたな。そういうあいつの十八番みたいなボケをするなよ」
「ボケじゃないけど」
「ボケじゃないならなおのことタチが悪いわ」
おでこをぴしりと叩かれる。
たしかに、こういう聞き間違い風なボケは和花ちゃんの十八番だ。たぶん一緒にいる時間が増えて自然と似てしまったのだろう。ちょっとうれしい。
「で、和花ちゃんはモールス信号でなにを伝えてきたの?」
「……うーん」
あずさは、先ほど送られてきたサインを話していいか迷っているようだった。
「靖彦さんには絶対言わないでよ」
「え、どうして」
「『つまんない』って、たぶん授業のことだと思う」
「うへぇ、正直だねぇ和花ちゃん」
傍目からは楽しく受けられそうな授業に見えた。
そう思ったけれど、たぶん授業自体がつまらない、というわけではないのだろう。
「和花ちゃんも勉強できるもんね」
「それに加えて、靖彦さんとの関わりもそれなりにあるから、雑談の内容も既知のものばかりなのよ」
「それで『つまんない』って評価されるのはしょうがないかもだけど、ちょっと不憫だなぁ」
授業のクオリティーの問題ではなく、勉強ができてなおかつ話のネタもすでに知ってしまっているからこそ感じてしまう『つまらなさ』だ。かわいそうに。
「まあ、授業を受けなくてもどうとでもなるから、音楽に集中できるわけ」
「……それ、もしかして今度の記事に使う?」
「使うかも。とはいっても、さすがに和花を悪くは書かないわよ。授業態度ではなく頭のよさに焦点を合わせるの。そうすれば、マイナスイメージは生まれないからね」
よくメディアが使う手法だ、と遠い目になってしまう。
私もこういうやり方されたな、ネガティブな印象を持たれるところを隠したり、あるいは好意的に感じ取れるような文章で表現されたり。悪いこととは一様には言えないが、かといって真実がありのままメディアを通して伝えられるわけではないことに辟易したものだ。
今でこそある程度慣れてしまったけれど。
「そもそも和花は、やりたいことやるために早々に学校の勉強を終わらせた節があるから。だからありのまま伝えてもさほど悪い印象は持たれないだろうけど」
「というか、地頭がいいからってそんなすぐに覚えられるもんなの?」
「効率がよければ不可能じゃないと思うわよ。私も、あまりに偏差値高いところじゃなければ、大学進学は苦にならないくらいの学力はあるし」
さらりと言われてしまう。
「だからこうして、姉の仕事手伝うことも、フリーのライターとして奔走することもできるわけ。『やりたいことやりたいなら、やらなきゃなんないことを済ませろ』っていうのは、なんだかんだこの世の摂理だと思うわよ」
「いやもう、ほんとにもうその通りです……」
あずさは実際に、それらを実行してきた子だから説得力が強かった。
自分がやらなければいけないことをパスしてきたとは思わないけれど、私以上にしっかり者の人から言われるとつい恐縮してしまう。叱られているわけでもないのに。
「夢を追うために現実と戦ってきたのだから、和花は本当に偉いと思う。ただ、それと同じくらい兄に甘えている部分も多いけれど」
「まあ、飾くんはやさしいから」
和花ちゃんに限った話ではなく、私もたくさん甘えてしまっている部分がある。
ただ、そうは言い続けてはいられないとあずさは言っているのだろう。
現状を考えれば、飾くんの抱える負担があまりに大きすぎる。それは和花自身も理解していることだろう。
実際榛名ちゃんは、すべてを理解したうえで飾くんを支えるように立ち回っている。
なんというか、榛名ちゃんにはもう敵う気がしない。
「同じ舞台に立っていると思わない方がいいわよ。……ちょっとついてきなさい」
そう言うとあずさはまた歩き始める。
向かった先は、榛名ちゃんが授業を受けている教室だった。
廊下から様子を窺うと、榛名ちゃんは背筋をぴんと伸ばして静かに授業を聞いているのが見える。長い金髪を今日はポニーテールにしていて、色素の薄い首元がよく見える。それはまるで絵画のようにすら感じられるほど、綺麗な姿だ。
「そもそも、榛名と和花の才能の方向性が違うのよ。和花はどちらかというと荒々しさも残る感覚型の天才でね、逆に榛名はミスらしいミスを絶対にしない完璧なところが才能」
「……たしかに、そうかも」
榛名ちゃんの場合は、ミスらしいミスがまったくない。何もかも高水準にできるのだ。
「爆発力があるのは和花だけれど、失敗する可能性も少なからずあるのよ。榛名は堅実に……と言うには何もかも最高レベルでできるけれど、失敗が全くないから成功し続けることができる」
「和花ちゃんが振れ幅八〇から一二〇%だとすれば、榛名ちゃんは常に一〇〇%を維持できるってことか」
「その認識で間違いないわよ。でも、榛名は一一〇%を維持し続けているような気はするけれど」
傍から聞いていると、とんでもないチート性能なキャラクターだと思う。
でも、それを聞いてもまったく嘘だとは思えない。これまで目にし続けてきた榛名ちゃんの姿がそれを裏付けている。
「実際、学校での成績は和花より榛名の方がいいらしいわよ。本気でやれば和花が上回るんだろうけど、残念ながら必要以上に和花も勉強するつもりはないらしいからね」
真面目に勉強しているように見える榛名を見ながらあずさは言った。
「ただ、本気を出したときに一番怖いのは柏木ね」
「え、飾くん?」
私が首を傾げると、あずさは大きく頷いた。
「そもそも家でのこともほとんどひとりで背負って、そのうえバイトもして、それ以外の別の活動もしてる……いくら全部を効率よくやってもオーバーワークよ」
「……だから和花ちゃんの甘えすぎているって話題を出したのね」
「そ。別に和花が悪いと言っているわけじゃないのよ。ただ、今抱えているものがいくらか軽くなって、実力をすべてひとつのことに注いだら、いったいどれほどのものができあがるでしょうね。それを考えると、少しこの現状がもったいなくも思うのよ」
もったいない、と期待もかすかに籠った言葉をあずさはこぼす。
だが、私はまだ、飾くんの才能の片鱗をまともに見たことがない。
今飾くんが私に見せている姿ですら氷山の一角でしかなく、飾くんの才能がどれほどのものか推測に足る情報を、私はまったく持ち合わせていないのだ。
たくさんのものを背負いすぎて本領を発揮できていないのか。
はたまた、飾くんがわざと自身の才能を隠しているのかはわからないけれど、少なくとも世間一般から見れば優秀すぎるあずさが豪語するほどの才能があるのだと、やっとしっかり認識できた気がした。
ましてや、本気の飾くんは和花ちゃんたちよりも怖がられるほどだという。
……釣り合わない、と言われるのも仕方ない。
釣り合うように頑張る、というのも求められているものとは違うはずだ。
とりあえず今の私にできることは、新曲を無事に完成させることしかないような気がした。




