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4.来栖榛名

 いつもより帰宅には倍の時間がかかった。どうにか落ち着きを取り戻したひなぎは見慣れない景色に何度も目移りして、そのたびに説明をしたり寄り道したりした。

 それが苦痛だったわけではない、というかむしろとても楽しかった。

 高校に入ってからあまり他人と関わらなくなったから、こういったいかにも青春らしいものをなかなか経験できなかった。つまるところ自分は、青春らしい空色の輝きに飢えていたのだ。


 午後六時の時報が鳴るのと同じぐらいに、自宅が見えた。

 柏木の家は都心の高級住宅街に立ち並んでいても違和感のない、地方には似合わないような邸宅だった。敷地自体が大袈裟に広いわけではない。

 ひとことで言えば、雰囲気が違う。


 坂をのぼった先の奥まったところにあるのだが、そのせいで余計にラスボス感が増している。

 ゆえに、ひなぎの驚きようはまるで地面がひっくりかえってしまったかのようだった。


「き、聞いてはいたけど、これは」

「東京に住んでるんだから、見慣れているもんだと思ってた。ひなぎの家って世田谷区じゃなかったっけ」

「なんで知ってるのっ」


 おっと、これはあまり大っぴらにされていない情報だった。口を噤んでひなぎの様子を見守ると「和花ちゃんかな、まあ飾くんになら知られてもいいけど」と言われてしまう。少し罪悪感。


「たしかに世田谷区は高級住宅街も有名だけど、私もそこに住んでるとは限らないでしょ。と、いうか私も両親も金銭感覚が庶民的なんだよね。だから、私の貯金も溜まるばっかりで」

「ああ、なるほど」


 ひなぎの本質は親譲りのものなのだと理解する。


「ま、いいんじゃないの。目がくらむような大金が手元にあると、価値観が狂う人ってたくさんいるし。そうなるぐらいなら分不相応だって目を背けて、なにかあったときに備えてとっておくほうがいいに決まってる。子供がたくさん稼いでいるからってお金使いの荒くなる親もいるんだし」

「そういう意味では恵まれているけど……でも、買いたいものができたときに昔の価値観に倣って『もったいない』って思うのだけは、やめたいなぁ。そのせいでできることの幅が狭めているような」


 家に防音室を導入するのも、練習したい楽器を買うのも、お出かけ用の服を買うのも。貧乏性のせいでたくさん躊躇してその分無駄に時間を使ってしまう、とひなぎは嘆いた。


「なぁんにも、変わらないんだ。たくさん失敗してたくさん後悔を重ねて、こうやってどうにか成功したとしても。そこは私の良いところで、好きなところでもあって、ちょっと嫌いなところ。矛盾してるかな」

「いんや。好きも嫌いも、普通に混在するし」

「だよね」


 間髪いれないひなぎの返事に、思わず笑ってしまう。


「無駄話はこのくらいにして、そろそろ行かないとね。ほら、和花ちゃんが待ってるよ」

「……ああいや、妹は」


 言いかけて、やめた。きっとひなぎは、今の妹の状態を知らないだろう。あらかじめ教えておいたほうがよいか少し悩んで、結局言わなかった。もうじきわかることだし、何か悪いことが起こっているわけでもないし。


 不思議そうな顔をするひなぎの横をすり抜けて、家の敷地内に入る。ちなみに、我が家には車がない。車を運転する大人が住んでいないから当たり前だ。空っぽの車庫だけが、敷地の隅の方にあるだけ。庭もあまり広くない。一本道の石畳のうえを歩いていけばすぐに玄関に辿り着いた。人を感知して点灯する明かりが、俺たちを歓迎してくれた。

 扉を開けると、そこではひとりの少女が俺たちを出迎える。


「ずいぶん遅かったですね」


 ぶっきらぼうな顔だった。じとっとした海のような色の瞳と、さらっとした長い金髪。制服のうえにエプロンを羽織っていて、手にはおたまと菜箸。俺たちがやっと家まで辿り着いたのを察知して、料理を中断して玄関に来たらしい。ちゃんと火は止めてきたよね?

 俺の一歩うしろにいたひなぎが玄関を覗き込んでぎょっとする。少女の顔を見て、思うことがあるようだった。


「……あ、あのぅ」

「なんですか」

()()榛名さん、だよね。ど、どうしてここに……」

「ここに居候させてもらっているからですけど」

「そ、そうなんだ」

「それに私は、あなたがここに来ることも知っていました、藍沢ひなぎさん」

「……え?」


 ひなぎは一度俺を見る。しかし俺が何も反応を返さないので、答えを求めるようにひなぎは少女に向き直った。


「あなたとのやりとりは、わたしがやっていたんです。和花のマネジメントは実質わたしがしていますから」

「……あれ、今年から高校生だよね?」

「そうですよ」


 わたし器用なのでマネジメントくらい余裕です、と言わんばかりのどや顔をしている。表情筋が固いから、ひなぎはわからないだろうが。


「なにかわからないことあります?」

「ご、ごめんね。あ、あのさ飾くん、ちょっと詳しい説明してほしいんだけど」


 どうしてそこで俺に助けを求める。金髪の少女は肩を竦めて、アイコンタクトで答えてやってくださいと伝えてくる。自分で言えよ、まったく。


「ど、どうして来栖さんがここに?」

「榛名の言葉通りだけど。浮花川の高校に通うことになって、春先からここで居候してるの」

「なんで」

「なんでって……」

「なんで、音葉さんのお子さんがここに……?」

「……」


 金髪のジト目少女、こと来栖榛名。

 ひなぎが榛名のことを知っていたことは、なんら不思議ではない。

 というのも、榛名が中学生のときに弾き語りをしている動画がインターネット上で拡散されてしまったのだ。その結果、まだ死んでから一年くらいしか経っていなかった来栖音葉と名字が一緒のことも相まって、音葉の子供なんじゃないかと話が広まってしまった。

 事故死以前から音葉の大ファンだったひなぎのことだから、知らないわけがないだろう。


 だからこそ、反応に困ってしまう。


「ひなぎ。そもそも、榛名は来栖音葉の子供じゃないよ」

「えっ? だって名字が一緒で」

「いやまあ親戚であることには変わらないんだけどさ。榛名の父親が来栖音葉のお兄さんなの。だから榛名は来栖音葉の姪っ子」

「あっ……そうなの?」

「ええ、そうです。なので勘違いしないでいただければと」

「そ、それならツイッターとかインスタで違うって否定すればいいのに」

「それはそれでめんどうくさいので。誤解されてもあまり弊害はないですし、姪よりも実子であるほうがネームバリューになりますから、利用させてもらいました」


 榛名はまた得意げになる。ひなぎは拍子抜けしたように目をぱちくりさせると、俺に向かって「この子、変わってるね」と動揺を伝達してくる。異論はないけれども。


「なんで浮花川の高校に? それから、どうして飾くんの家に住んでるの?」

「あまり大っぴらにはしていないけれど、妹と親友なんだよ。それから、榛名の姉が浮花川にいるの。そのこともあって浮花川に高校にしたらしいんだけど、榛名の姉がタイミングよく結婚しちゃって」

「新婚の夫婦の家にはさすがに住みたくないですから。いちゃいちゃする姉とか、姉の情事とか遭遇したくないですし」


 榛名の包み隠さない言葉にひなぎは顔を真っ赤にしていた。あの、そこで俺の袖をつままないでもらえます? 俺も気まずいんだけど。


「とりあえず上がってください。話は中でゆっくりしたほうがいいでしょう?」

「あ、うん」

「廊下をまっすぐ行ってすぐ右手側に洗面所があるので、そこで手を洗ってください。もうすぐおゆはんできますから」


 そう言うと、榛名はキッチンに戻っていく。

 言われた通り手を洗ってからリビングに向かう。明かりをつけると、広いわりに物があまりないリビングの殺風景さが目に刺さる。テレビ台のうえには六五インチのテレビとサウンドバー、部屋の中央にソファーとテーブル、四月のまま剥がすのを忘れていたカレンダー、窓際の観葉植物。

 時間が止まっているみたいで、人が住んでいる気配が薄い。ひなぎは困惑していた。


「リビングってうちだとあまり使わないんだよね」

「そうなの?」

「うん。妹は自分の部屋か地下のスタジオに籠っているし、俺はアルバイトしている間は家にいないし家にいても自分の部屋とかにいるし。結局みんなが集まるのって食事ぐらいで、それもダイニングで済ませちゃう」

「あー」

「両親ともどももういないしね」

「そっか」


 センシティブな話題だから、ひなぎはあまり追及してこなかった。和花から聞いていることもあったのだろう。ただ興味津々と部屋の中を見渡して、ソファーに腰かける。そのまま猫みたいに膝をまげてソファーの上に丸まると「とろけるぅ」と人の家に来たばかりとは思えないぐらいくつろぎ始める。


「ま、いいけどさ」


 隣に腰かけて、くつろいでいるひなぎを見下ろす。猫にするみたいに撫でてしまいそうだった。さすがに自重する。


「自分の家だと思ってゆっくりしてって。どうせうちに泊まっていくんでしょ」


 榛名の話ではひなぎの休暇は一か月もあるらしく、その間ずっと我が家に居座るつもりらしいのだ。どれだけ和花のスランプが長引くかわからないし、スランプが明けたらすぐに収録できる環境もある。何よりデビューしてから、まとまった休みが取れなかったらしい。だからリフレッシュも兼ねてマネージャーが許可してくれたのだという。


「和花ちゃんとパジャマパーティー、一回やってみたかったんだよね」

「俺もいるの、忘れないでね」

「あ……そ、そうだね。あ、飾くんも混ざる? 似たようなもんだし」

「ふぅん、じゃあ間違いが起こっても仕方ないんだ」

「間違い……」


 一応釘をさしておくと、ひなぎは今まで気にしていなかったことのようで一瞬固まって、ゆっくりと頬を赤く染めた。おい、期待のこもった視線を俺に向けるな。

 ひなぎは邪念を振り払うように頭を振ると、きわめて冷静そうに話す。


「飾くんは、全然気にしてないみたいだね……ひとつ屋根の下に年頃の男女が一緒に住まうんだよ? 飾くんが少しでも動揺してくれないと、気にしてる私だけがばかみたいじゃん」

「だってひなぎで二人目だし」

「そ、そうでした」


 ひなぎが住む以前に榛名がすでに居候しているのだ。そこにひとり増えようが二人増えようが、たいして差はなかった。たとえそれがあの藍沢ひなぎだとしても、だ。もっとも、ほかの同級生らに知られるわけにはいかないけれど。


「飾くんて、もしかして結構図太い?」

「そう見える?」

「いんや。図太いところは図太いけど、実際はかなり繊細だと思う」

「ここで鋭い洞察力を発揮しなくてよろし」

「おお? もしやおぬし図星だなぁ?」


 うりうりと人差し指を頬に押しつけられる。


「そういえば」思い出したように、話を切り替える。「うちに着いたんだから、もうウィッグをとってもいいんじゃないの?」

「あ、そういえばそうだね。一回洗面所借りるね」

「うん、いってらっしゃい」


 ぱたぱたと洗面所へ駆け出すひなぎを見送って、キッチンで作業する榛名を見やる。もうある程度の夕食はできあがっているようで、完成したスープをお椀にうつしているところだった。


「ずいぶん親しいみたいですね」

「……まさか俺も、再会してこうなるとは思ってなかったけどね」


 でも、これはきっとしばらく会えていなかった反動なのではないだろうか。初めて出会った三年前にラインを交換していれば、しっかりとした順序を追って親しくなっていたはずだ。連絡手段がなかったからこそ、積もっていた思いが大きくなってしまったがゆえだろう。

 それでもなぜか、今のこの距離感がしっくりきていた。


「それで、どうするんですか。おいしくいただいちゃうんですか、彼女」

「んなわけあるか」

「彼女はまんざらでもなさそうにするとは思いますが」

「……」


 たしかに、と思ってしまった自分を殴りたくなった。

 仮にも、あの藍沢ひなぎだぞ? 今日本で一番売れている歌手といっても過言じゃなくて、人気がすさまじくて、お忍びで浮花川に来ていることもうちに泊まっていることもすべてシークレットにしなければならないあの藍沢ひなぎだぞ?


 俺の意思とか彼女の意思とか、そういうのを抜きにしたって榛名の言う通りにしてはいけないはずだ。


「避妊はしてくださいね」

「するかぼけ……って、あ、違うから。それは誤解で、あのそもそもそれが必要になる行為はしないという意味で」


 反射的にしてしまった返答に、榛名がさーっと引いていってしまう。慌てて釈明するも時すでに遅く、榛名は口も利かなくなってしまった


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