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37.斜陽に包まれて

 榛名はひとりベンチに座ると、ケースからアコースティックギターを取り出す。軽くチューニングをして音を合わせると、一度あたしたちの顔色を窺う。


「ほんとは、今日は飾さんのためだけの弾き語りだったんですよ?」

「……あはは、ごめんね。邪魔しちゃって」


 ひなぎは少し申し訳なさそうにする。さすがに尾行していたことに罪悪感はあったらしい。榛名は、尾行自体はなにも気にしていなさそうだが。


「ま、むしろひとりじゃなくてよかったのかもしれません。今日は特別な日ですから」

「特別な日?」

「ええ」


 頷いて、ゆっくりとメロディーを奏でる。

 原曲は一八九三年にアメリカのヒル姉妹によって作られた『Good Morning to All』

 ただ、この曲名を伝えても通じる人は少ないかもしれない。

 今、世界で一番歌われている曲と言われギネスにも登録されている曲だ。


『Happy Barthday to You』


 ひなぎも、最初のメロディーだけで気づいただろう。

 どうして今日が特別な日で、どうして榛名が飾を独り占めしようとしていたのかを。

 飾は少しだけ、ばつが悪そうな顔をしていた。


 演奏が終わる。それぞれ心境に差こそあれ、榛名のパフォーマンス自体はすさまじくよかった。三人とも、榛名に惜しみない称賛の拍手をする。

 榛名は飄々とした顔で拍手を受け流すと、「わだかまりはさっさと解消しちゃってください」と言って、展望台から景色を眺め始めた。

 ひなぎはすぐにその言葉の意味を理解して、飾の方を向く。


「どうして誕生日だって教えてくれなかったの? 私、なにも準備してないんだけど」

「……いや、自分の誕生日を誰かに伝えるのってこそばゆくって。なんだか、なにか誕生日プレゼントが欲しいアピールになるのは嫌だったし」

「プレゼント欲しいアピールしてよぅ。飾くんにいろんなものもらってばかりだから、お返しぐらいさせてよぅ」


 小さな子供みたいにひなぎは拗ねた。慌てて宥めようとする飾の姿はなんというか、妹の和花に対する扱いみたいで微笑ましい。


「ちなみに、あたしは用意してたけど」

「えっ、ちょっと抜け駆け!?」


 助け舟のつもりだった。今日買ったばかりのプレゼントの包みを鞄から取り出し、みんなに見えるように掲げるとひなぎが飾から離れる。


「飾のことだから、一緒に住んでる人には言わないだろうとは思ってたけど……まさかほんとうに言ってなかったとはね」


 それは本当に思っていた。隠した真実は、抜け駆けのつもりが少しはあったこと。もし榛名が、露骨に飾の誕生日が今日であることをアピールしなければ、後でこっそり渡すつもりだったのだ。


 フェアではなかった。

 でも、そういう駆け引きもなんだかんだ楽しい。

 裏でひなぎだって抜け駆けしようとしているはずだし。

 お互いそれで嫉妬しないのは、飾がこの程度のことでなびくようなやつではないことを知ってしまっているからかもしれない。


 ほっぺたを膨らますひなぎを引きはがして、飾の傍に寄る。そのまま彼の胸元にそれを押し付けると、耳元に口を寄せた。


「……帰ってからのお楽しみね。ひとりのときに開けること」

「え?」


 飾は、あたしがこんなことをするとは微塵も思っていなかったらしい。十センチにも満たない至近距離から離れたとき、飾は目をまるくしていた。


 あたしは何事もなかったように元いた場所に戻る。ひなぎもちょっと唖然としていたが、はっとしたように正気に戻ると、「ふーん、いいもんだ。私には歌があるもんねっ」と言って榛名の隣に座った。


「……あの、今日はわたしのリサイタルなんですが」

「これからは私とのデュオだよ。受け入れなさい」


 むすっとする榛名と、当然のことのように隣を動かないひなぎ。しばらくそのまま見つめ合って、お互い限界が来たらしい。ほとんど同じタイミングで、噴き出すように笑った。


 そこからは、あっという間だった。

 呼吸が揃ったタイミングでギターをつま弾き始める榛名に、透明感がありつつも芯のある歌声を重ねるひなぎ。

 先日和花との配信を見たせいかもしれないが、つい比較をしてしまう。

 和花との配信は、どこか競り合っている印象があった。和花の負けず嫌いとひなぎの劣等感が合わさってお互いがお互いを高めていた。


 対照的に今日のひなぎは、おそろしいぐらい落ち着いていた。

 榛名の選曲がどれもセンチメンタルだったからかもしれない。

 往年の洋楽は、あたしもなんだかんだ昔からよく聴いていた。両親のドライブソングはどれも、かつて時代を彩り、今もまったく色褪せない曲ばかりだった。飾の家で普段から流れていた曲も、思い返せば洋楽ばかり。

 少し、人と人の繋がりを意識しかけてかぶりを振る。


 今度は純粋に、和花と榛名を比べてみる。

 和花は、どれも高水準で弾きこなす。どれが特別苦手なわけではなく、全部の楽器で九〇点以上を叩き出すのだ。

 榛名はおそらく、和花ほど弾ける楽器のバリエーションは多くないだろう。その代わりに、ギターの技術、歌唱力どちらも和花より圧倒的に秀でているような気がする。


 和花が下手なわけではもちろんない。

 ただ、榛名の技術があまりにも傑出している。

 だから、気づかれることなくひなぎをリードし、ライブ自体のクオリティーを高めている。


 こういうのを見抜くのは昔から得意だった。

 理由は当然、幼馴染みがいま隣にいるシャイなやつのせいだが。


 少しずつ演奏する曲が現代のものに移り変わっていく。この辺りになってくると、ひなぎも歌い慣れたものが多くなってきて調子が上がる。

 洋楽も知らないわけではないだろうが、ひなぎはどちらかというと現代っ子なのだろう。

 一曲を歌うごとに、影は長く伸びていく。

 そしてその曲に差し掛かったとき、「ああ、この曲で最後か」と察した。


 ――Along with


 ひなぎの新曲だ。

 世界中で数えきれないくらい聴かれ、MVの再生回数が今では数字がバグっているのではないかと思うぐらいになっている。

 あたしも、たくさん聴いた。

 こういうのを名曲と言ってよいのだろうか。

 理由はわからないが、初めて聴いたその瞬間に強く胸を打たれたように感じたのだ。


 生で聴くのは初めてだった。

 榛名のアレンジは、となりのひなぎが少し驚くぐらいだった。

 原曲よりもかなりゆったりとしたテンポで、もの悲しく、かつ不思議とカラフルな音色だった。

 透き通るひなぎの声に重ねる榛名の歌声は、すこし掠れた声変わりの時期の少年のような色がある。ここまでの弾き語りの歌声ともわざと変えて歌っている。


 言葉がなにも思い浮かばなかった。

 ただただ圧倒され、正気に戻ったのはとなりにいた飾があたしの服の袖をつかんだ瞬間だった。


「……ぇ?」


 思わず、歌声にかき消されるほど小さな驚きの声が漏れた。

 顔を見つめる。飾は奥歯を強く噛んでいた。よく見れば袖をつかむ手も、逆の手も力が強く込められている。


 ……そうか、飾にとってもこの曲は特別なのか。


 不思議と、すぐにそれに気づけた。

 どうしてあたしが胸を打たれたのかも、すぐにわかってしまった。

 だから、あたしはつい思ってしまう。


 泣きたければ、泣けばいいのに……と。


 あたしの胸ならいくらだって貸してあげるのに。

 たくさん辛い思いをして、我慢をして、苦しんで。

 それでも今日ここまで頑張ってきた。


 これは榛名からの誕生日プレゼントだ。

『よく頑張ったね、お疲れ様』と、そんなシンプルなメッセージ。


 だからこそ、少し胸が苦しかった。

 あたしは終ぞ気づけなかった。

 飾が一番求めていたのは、頑張りを認めてもらえることだったのだ、と。


 まだすべてが終わったわけではないだろう。

 ただ、今飾にできることはおそらくすべてが終わり、それを理解している榛名はその頑張りを認めてあげた。


 二人の相性があまりにもよすぎてしまうのは、言葉が一切なくてもお互いのほとんどを理解してしまっているからかもしれない。

 飾も榛名も、お互いに少なからず恋愛感情のようなものはあるはずだ。

 でも、二人は恋人の以前に家族で、その関係を壊すつもりもない。

 だからあたしやひなぎにはチャンスがあって、榛名には余裕がある。


 ずるいなぁ。

 ほんとうに、ずるい。

 こういうところは、絶対に榛名には敵わない。


 仮にこれから先、飾と結ばれる未来があったとしても、きっとあたしやひなぎは榛名の手のひらの上で踊らされ続けるんだろうな、とあたしは、氷雨のような感情を覆い隠して静かに思う。

 歌に夢中になっていて今の飾の感情に気づいていないひなぎの表情は、斜陽が差し込んでいてきれいだった。


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