35.混乱は深まるばかり
「とりあえず、ありがと、飾」
「ん、気にしないで」
感謝の声をかける。
「それで、榛名はどうしたの? 一緒だってひなぎから聞いたけど」
「いますよ」
「わひゃあっ」
真後ろから声が聞こえて、逃げるように前のめりになった。少し変な姿勢のまま慌てて振り返ると、きょとんと目を丸くする榛名が。あたしの大きめの反応に、少し驚いているようだった。
「ちょっと榛名っ」
「あ、すみません。足音を立てないの、癖になってまして」
思えば、たしかに榛名は気配を消すのが上手かった。
ふっと駅前の広場に現れては、弾き語りをする瞬間だけ強烈な存在感を出し、いつの間にかいなくなっている。それが、彼女と知り合う前の彼女の印象。今更思い出しても、なんの意味もないのだが。
「ひとまずなんとかなったようでよかったです。わたしが力技で解決してもよろしかったのですが、あまりわたしが目立ってもよくないので」
どうやら榛名もあたしたちの状況は理解していたらしい。
ただ、どうしても榛名が対処すると必要以上に目立ってしまうので、飾が解決してくれたようだ。
「一応、わたしたちの買い物は終わりです。この後少し予定はありますが、少しの間飾さんをお貸ししてもだいじょうぶですよ」
「あ、ううん。あたしは何か予定があったわけではないから」
半分嘘だった。ただ早急な用事があったわけでもない。できれば今日中に会えれば、とは思っていたけれど別にその用事は今日でなくても問題はない。
ひなぎもまた「二人のデートをストーカーしてただけだから」と正直に打ち明ける。
「……どこまで見てたの?」
飾が不安そうに問う。ひなぎは少し思い出すようにして。
「えと、服屋さんに入って榛名ちゃんが着せたい服を吟味しているあたりかな」
「そ、それなら」
「うん。そこまでくらい。飾くんのすっごく恥ずかしそうな顔は、見てないよっ」
にっこりと、ひなぎは自信満々に笑った。
一瞬安心しかけていた飾の顔が引きつった。
血の気が失せたように青ざめて、ふらふらとした足取りであたしたちの傍から離れていった。
「あ、あれ?」
当のひなぎは自分の失言に気づいていない。なので、こそっと耳打ちをしてあげる。「全部言っちゃってるよ、見られたくないところまで見てたこと」と。
「あっ……ご、ごめん飾くんっ」
慌ててひなぎが、飾の後を追っていった。
やれやれ、ひなぎはこういうところが玉に瑕なんだよな。
失言が極端に多いわけではないが、思っていることが口からするりと出てきやすい。自分の好きな相手が誰から見てもバレバレなのは、ひなぎの身から出た錆なのだ。
なら、結局は飾が見られたくなかったものってなんだったのだろう。
「すごく恥ずかしそうにしていたけれど、半ばノリノリで着せ替え人形にさせられていたことでしょうかね……」
遠い目をしながら榛名は言った。あたしたちも置いていかれるわけにはいかないので、ひなぎの向かっていった先を追いつつ会話を続ける。もうすでに二人の姿は目視できないが、榛名は二人がどこに向かっているのかわかっているらしい。
「当人はあれでも、他人前では男らしく振舞いたいみたいで、今回桃川先輩を守ることができたのはなんだかんだうれしかったのでしょう」
「それはまあ、女子冥利に尽きるけど」
「飾さんは、自分に対しての救済を外に求める節があります。おそらく、三年前ひなぎさんと出会って以降でしょうね。誰かを守ることで、自分を救う。自分自身が直接的に救われることはしないんです。それが高望みだと思っているから」
高望み、と榛名は言った。
自分自身が救われることを、だ。
それはなんというか、飾が『どう足掻いても自分はどうにもならないと思い込んでいる』ような気がしてならない。
寂しい考え方だ、とは思う。
でも、自分が救われることを望んで、それが悉く無意味に終わっていると考えると……そしてその一因があたしにもあると思うと、胸が苦しい。
「自分らしく、を根っこに据えればいいのに。男らしい、女らしいなんて考え方は現代社会においてはもう過去のものになりつつありますから。そういうものに囚われている人ほど、どんどん生きづらい世の中になっていくと思います」
「……」
なかなかに棘のある考え方だと思った。
「どう足掻いたって飾さんにはついてるんだし」
「なにがっ」
「言わせないでくださいよ」
榛名が照れたように頬を赤らめる。演技が上手い。言えと言われれば恥ずかしげもなく言うくせに。
「だから、そこまで恥ずかしがることでもないんですけどね。似合うものを着て、それが似合っていたらうれしい。それでいいじゃないですか」
「それは飾に言ってあげて」
「何度も言ってるんですよ、これでも。飾さんは複雑に考えすぎですから。世界はもっとシンプルでいいはずです。複雑化した問題は、思考に停滞を引き起こすので」
なかなかに辛辣な意見だった。乾いた笑いが出てしょうがない。
「男らしいとか男らしくないとか、今更そんなことで悩む必要ないと思うんですよね――童貞じゃあるまいし」
榛名の言葉に混乱していたところに、さりげなく何かを言われた気がした。
一瞬耳を通り過ぎそうになって、その違和感に一気に思考が引きずられる。
「え? ……は?」
「あ、飾さんたち先に目的地向かうそうです。わたしたちも行きましょう」
スマホを見た榛名が言う。
「ちょ、ちょっと待って」
「待ちません、ほら行きますよ」
榛名はすっきりとした表情で、足取り軽やかに駆け出していく。
慌てて彼女の背中を追いかけるけれど、榛名はなかなか足が速く差が詰まらない。
本当に待ってほしい。
飾がその……仮に童貞じゃないとして、そのことを知っているということはつまり、どういうこと? えええええ?
走りながら榛名がこぼした言葉の意味を考えようとするけれど、結局目的地が近くなるまで頭の中がごちゃついていた。追いついた榛名に答えを訊くことも、もうできなかった。




