32.金曜日、曇り(2)
そのまま榛名はしばらく空を睨んでいたが、ふと思い出したようにあたしを向く。
「忘れるとこでした。本題、あるんでしたよね」
「あ、うん。そう」
どう切り出したものか、と少し考える。
榛名のところに向かったのは半分勢いだった。訊きたいことは大体決まっているが、いかんせんあまり頭がよくないせいで、上手く言語化できる気がしなかった。
「……ま、飾さんのことを訊こうとしていたのはわかっていましたけど」
悩んでいると、榛名が助け舟を出してくれる。
「いったい何を訊きたいんでしょうか。言っときますけどひなぎさんよりもわたし、飾さんと初めて会った日は遅いですよ」
「……冗談だよね?」
「ほんとですよ」
榛名が嘘をつかないことぐらい、最初からわかっている。ただ、ひなぎよりも出会った日が遅いのに、あたしより飾のことを知っていそうなことに衝撃を受けただけだった。
「なのでまあ、飾さんの昔のことはあんまり知らないんですよね。和花とはちょくちょく会ってたんですけど」
「飾たちとはどういう関係?」
「従妹です」
さらりと言われた。
そうか、親戚だったのか。考えてみると、いくつもの点と点が繋がっていく。
「……んっと?」
「どうかしましたか」
「い、いや。いろいろと引っかかってるんだけど、何に引っかかっているのかわからなくて」
「まあそれは、話を続けていれば自ずと見えてくると思いますよ」
引っかかっているそれが何か見抜いているかのようだった。直接教えてはくれないらしい。飾みたいに、自分で考えて結論を出すことが大事だと思っていそうだ。
「その、あたしが悩んでたことは、飾がどうして悩んでいるのかわからないことでさ。力にはなりたい、でもどうすればいいのかわからない。勝手な行動で空回りして飾の邪魔しちゃうのは嫌だし」
「その気持ちはわからないでもないです。でも、そこまで複雑に考える必要はないと思いますよ」
複雑な考えだとはっきり指摘されてしまった。
「複雑、かな。あたしの考えって」
「ええ。飾さんと付き合い長いせいで飾さんみたいになっちゃってます。力になりたいならちゃんとそう言う、好きなら好きと真っ直ぐ伝える。いくら飾さんが察しいいからといって伝えることを怠けていたら、状況がどんどん拗れていきますよ」
「……あの、あたし榛名に飾が好きだって言ったっけ?」
「んなもん、見てればわかりますって。最近お気づきになられたんでしょう?」
「そ、そこまでっ」
「桃川先輩は妙に鋭くて変に鈍いですからね。飾さんはさぞ苦戦させられたかと思います」
苦戦って。あたしは戦う相手ではないのだけれど。
「気づいてほしくないことは気づいて、気づいてほしいことには気づかない相手とのやりとりは、戦いと呼べるでしょう」
「……そう聞くと、あたしってひどいな」
なんとなくの自覚はあったが、はっきり言語化されるとあたしの罪深さが見えてくる。
思い返してみると、あたしと話していて飾が困惑していたことは何度もあった。迷惑に思われていたわけではないだろうが、なんだか申し訳なくなってくる。
「正直に言うと、みなさんが思っているほどここまでの問題は複雑じゃないです。各々の置かれた立場、その時々の状況、考え方の違いとほんの少しのヒューマンエラーで問題が長引いているだけです。飾さんが苦戦しているのは、それらすべてを一息で片付けようとしているからですよ」
榛名は呆れたように肩を上げる。
「問題が起こったときに、どんな事情あれその場で解決していれば、ここまで苦労することはなかったんですよ。ほんと、呆れた人ですよね」
「……なんていうか、榛名も結構飾のこと好き?」
「ひなぎさんほどではないです。狂おしいくらいに愛おしい、とは思っていますが」
それはひなぎとは別のベクトルの感情だ。
愛情、だろう。恋心ではなく。
よく恥ずかしげもなく自分の感情を外に出せるな、と思う。表情はまったく動かさないのに。
「そこまで言うなら、榛名が解決しちゃえばいいんじゃないの? 解決策なんてわかってるんだよね」
「もちろんです。飾さんのような不器用なやり方ではなく、わたしならもっとスマートに解決できると思います」
「とんでもない自信……」
「わたしは当事者じゃありませんから」
いろいろと含蓄のある言葉だった。
「問題の中心部から見えないことも、外にいるわたしは見えています。フェアじゃないんですよ、そもそもの話が」
「それなら」
「だからこそ……です。上手な解決はできるでしょう。誰も傷つけずにすべてを丸く収めることもたぶんできると思います。でもそれは、わたしも飾さんも、一銭の価値にはならないと思っているんです」
価値、とあたしたちが普段滅多に考えないことを榛名は口にした。
「傷つかないことが正義なんでしょうか。問題がスムーズに解決されることが、本当によいことなんでしょうか。……いえ、わたしにはそうは思えません」
榛名の言葉は、すぐには納得できなかった。
普通に生きているあたしたちは、両親や先生から『人を傷つけるな』と言われて育てられる。問題はすぐに解決できた方がよい、と思っている人が多数派だろう。
そのいかにも当然とされる考えに、榛名は否定的だった。
「また同じ問題に道を阻まれたときに、一度自分自身で解決できたかそうでないかでは対応力に差が出る。その問題での最善手は、最終的な目的地への最短経路じゃないわけです」
「ふ、複雑だね」
「別に、わたしが全部解決しちゃって飾さんをわたしに傾倒させても問題ないですけど」
「それはやめて」
「でしょう?」榛名は少し得意げな表情になって言う。「なので、今回わたしはなにもしません。ぶっちゃけわたしはチートカードなので、飾さんから反則扱いされていますし」
チートカード、という言い方に少し苦笑してしまう。あたしたちの話はあまり明るい話ではない。榛名の話し方のおかげでそこまで暗い気持ちにならないで話すことができている。
問題は、かなり根深いはずだ。
榛名は本当なら飾も、あたしやひなぎにだって傷ついてほしくないと思っているに違いない。こうやってせめても明るく話しているのは、あたしに重く考えないでほしいと思っているからだろう
そういうところがすごい、と感心して榛名を見つめてしまう。
「そ、そういう目で見るのはやめてください」
すると、榛名が珍しく狼狽した。
「それ以上熱い視線を向けられると、余計好きになってしまいますよ」
慌てて目を逸らした。
榛名のことが嫌いなわけではないが、恋愛的な意味で好きというわけでもない。
あたしは普通に男子が好きで……ってあれ、ぱっと見女子にしか見えない飾が好きなら、別に榛名のことが好きになることもあるんじゃないか? 従妹らしいし、大差はないかも。
「あ、いま意識しましたね」
「ちょっ、もしかしてさっきの発言演技だった!?」
「ええ。半分演技です」
「半分マジだってことかよっ」
榛名の手のひらで踊らされる自分。傍からすれば滑稽に見えたに違いない。顔のあたりが熱くなってくる。
少しフェンス際に近寄って頬の熱を冷ます。榛名はゆっくりと、静かに歩いてあたしの隣に立った。
「……ほんと、なんでこんな好きになっちゃったんでしょうかね」
誰に対しての発言か、最初はわからなかった。それに気づいて「あっ、飾さんに対してですよ」と榛名は言う。
「実は、最初は嫌いだったんですよ」
「……えっ?」
予想外の言葉に、思わず驚く。榛名はあたしの反応を見て、少しだけ口角を上げた。
「だって、気持ち悪いじゃないですか。本当は辛いのに無理やり笑顔作って奔走して。それが妹のためだってこと、わかってはいたんです。でも受け付けなかった。悲しいときに悲しめないのは、哀れですから」
「それは、少しひどいかも」
「ふふ、そう言ってもらえると助かります」
榛名は少し弱った笑みを浮かべる。
「だから最初は否定するために浮花川に来たんですよ。『飾さんは間違ってる』って言うために」
「それなのに、好きになっちゃったんだ」
「……そりゃあ、しょうがないじゃないですか。飾さんの素顔を知った人は、みんな好きになると思いますよ」
「あーたしかに。そうかも」
あたしも、他人の抱える感情に聡かったわけではない。
ただ、明るい表情で生活していた小学生のころの飾は人気者だった。
顔がよくて、家族が天才で、それなりに優秀。好かれないわけがない。
「飾さんは、家族が嫌いだったわけではないです。というか、きっと好きだったと思います。でも、それと同時に自分たちが家族であることを少し恨んでもいましたね」
「……どうして?」
「ん、聞きたいですか?」
榛名は訊き返す。
覚悟の必要なことだ、となんとなく察した。でも聞かないわけにはいかない。ひと呼吸置いて頷くと、榛名はゆっくりと息を呼吸してから口を開く。
「だって、目立つのが嫌いなのに頑張らなければ『天才の家族なのに』って失望されて、頑張ったら頑張ったで『天才の家族だから当然』扱いされるんですよ。どれだけ頑張っても報われないなんて、辛いじゃないですか」
聞いて、少し後悔した。
榛名のその言葉は、胸に深く突き刺さった。
少し間を置いて言葉を整理してから榛名は話を続ける。
「父親はすぐ死にましたし、母親も忙しくて家にほとんどいられない。となれば、誰が飾さんのことを認めてくれるのでしょうか」
「……ぁ」
「目立ちたくもない、失望されたくもない。頑張ったっても誰も褒めてくれない。それなのに、頑張らなければ失望される。だもんで、『家族は好きだけど、この関係は嫌い』という考えに至ったというわけです」
「……ちょ、ちょっときつい」
「ごめんなさい。でも、あの人は自分から絶対に言わないので」
そりゃそうだろう。
家族じゃなければよかった、なんて冗談でもあまり言いたくない。
「だからまあ、音葉さんの死は、最悪でしたね」
「……ぇ?」
考えていない名前が出て、掠れた声が出る。
――音葉さん、来栖音葉。
つまり榛名の父親の妹だ。
榛名からすれば叔母にあたるわけで……。
「ぅあ」
そこまで考えてはっとした。
その可能性は、これ以上考えたくないと思うほどだった。
だってそれは、あまりに酷すぎるだろう。
「本当はわたしの口から言うことではないかもしれません。でも、きっと飾さんのやり方では、桃川先輩には伝わらないでしょうから」
榛名は罪を言い渡すように目を伏せて言う。
「――来栖音葉は、飾さんの実の母親です」




