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31.金曜日、曇り(1)

 金曜日になると、概ね先週まで流れていた飾の悪い噂は消えていた。


 飾は一瞬で周囲の人々の心を掴むと、自分の立ち位置をどん底からてっぺんに引き上げてしまった。

 愛想が悪いままだが、露骨な拒絶をしなくなった影響もあるのだろう。

 様々な目的を持った人が飾の周囲に集まっていて、教室であたしが話しかけるタイミングはないほどだった。


「そんな恨めしそうな目で見つめなくとも」


 一緒に昼食をとっていた燈子が呆れたように言う。


「話がしたいなら、話しかければいいのに」

「……今の状況わかるよね。今の飾に『幼馴染みだから当然』みたいな態度で話しかけたら、あたしが顰蹙買っちゃうよ」

「都合よく手のひら返している人ばかりなのだから、気にしたら負けだと思う」

「それ、みんなに聞こえる声で言っちゃダメだからね」


 激しく同意はするが、事実は人を傷つける。

 耳が痛い話を言われて気分いい人なんていない。


「私が言うのもなんだけど、柏木くんが気の毒ね。悪い噂を払拭する代償に平穏な日常が全部なくなったんだもの」

「その認識はたぶん、間違ってると思う」

「どういうこと?」


 燈子は訊き返してくる。あたしも詳しく聞いたわけではない、ただ飾とのこれまでの会話を思い返すと間違っているのではないかと思うのだ。


「ひなぎが浮花川に来た時点で飾の平穏は失われていたはず」

「それはそうかもしれないけど」

「別に、今日に始まった話じゃないってこと」


 もしかすると飾の心が落ち着いた時間は、そもそもほとんどなかったのかもしれない。

 疲弊することばかりではなかっただろう。

 うれしいこともなかったわけではないはずだ。

 でも、今になって飾の大変さを憐れむのは少し違う気がする。

 少なくとも三年前、あたしと飾の間の溝が生まれた日から今日に至るまで、あたしたちが知らないだけ――気づいていないだけで、静かに飾の心は摩耗していっている。

 だから、同情したところで何も変わらない。


「今飾が求めているのは、あたしたちと会話することじゃなくて、何も起こらないまま時間が過ぎ去ることだと思う。いつかこの特別が日常に変わって、みんなが自分に飽きてくれるように辛抱しているはず」


 推測の域は、どうしても超えられない。

 飾の考えていることはあたしには理解できないし、推測するにしても三年疎遠になっていたせいで十分な情報がない。


「ごちそうさま」

「ん、どこか行くの?」

「ちょっと用事ができた。あたしひとりで行くから、燈子は留守番よろしく」


 空になった弁当箱を袋にしまって立ち上がる。肩を竦める燈子を置き去りにして教室を出ると、少しだけ息がしやすくなった気がした。


           *


 向かった先はひとつ上の階の一年生の教室だった。彼ら彼女らが同じ高校生になってから一か月ちょっと。特別目立った行動はしていないが、あたしの顔は多少覚えられているらしい。教室の入り口から中を覗くと、少しそわそわとした空気を感じた。


「あ、桃川先輩」

 金髪の少女がすぐに気づいて、とたとたと駆け寄ってくる。


 来栖榛名。

 飾の同居人、金髪碧眼のハーフで、歌手の来栖音葉の姪っ子。

 飾の同居人と知ったカラオケの日以降、意外なことに彼女との関わりが増えた。


 理由はわからないが気に入られてしまったらしい。

 表情があまり動かなくて感情がわかりづらいけれど、猫の尻尾のような幻が彼女のお尻らへんに見える。実際にはそれはないはずだ、ただ、彼女の機嫌に合わせて見えないはずの尻尾がぴょこぴょこ動いているように見える。

 どうやら今は喜んでいるようで、元気に尻尾が揺れていた。

 ……というか、あたしと出会ったときは大抵喜んでいる気がする。


「ちょっと訊きたいことがあってきたんだけど」

「ええ、なんでもお聞きください」


 榛名はささやかな膨らみの胸を自信満々に張った。かわいい。飾たち兄妹とも、藍沢ひなぎとも少し異なる魅力が彼女にはある。神秘的で少し近寄りがたくて、でも一度近づいてしまえば離れられない。万能ではないけれど、なんでも簡単にこなしてしまいそうな、そんな雰囲気もある。


「えと、本題に入る前にさ、なんでいつもあたしと話すとき機嫌がいいのか教えて」

「えー、そんな恥ずかしいこと言わせないでくださいよ。……桃川先輩が、だいすきだからです」

「ちょ」


 まっすぐな発言に、すぐ近くにいた野次馬たちが黄色い悲鳴をあげた。やめてよ、変な噂が立ちそうだから。


「半分冗談ですよ」


 ちなみにここまで一切表情を動かしていない。

 尻尾の揺れの激しささえ見なければ、今の『半分冗談』という言葉を信じてしまいそうだった。

 絶対冗談じゃないな、さっきの『だいすき』は。


「ここじゃ落ち着いて話ができませんね」榛名は周囲を見渡して言う。「……実は、いい場所を知ってるんです」

「きみ、ここ入学して一か月ちょっとだよね?」

「そういうのを知ってる身内がいるので」


 誰のことを言っているのだろう。

 実の姉である唯さんか、その結婚相手である義兄の靖彦先生、もしくは飾か。

 誰であっても不思議ではない。


「……誰のこと?」

「ないしょです」


 そう言って榛名はあたしの手を掴むと、教室を出て少しずつ歩くスピードを速めていく。少し戸惑いつつ、でも先導して駆ける榛名の背中が頼もしかった。周りの視線を集めつつ廊下をすり抜け、踊り場から階段を上る。


 この先には、教室はない。

 だから、どこが目的地なのかはそこに辿り着く前にわかった。

 階段を上りきった先には、外と内を隔てる金属の重たい扉があった。繋いでいた手を離して榛名はその扉をゆっくりと音を鳴らしながら開けると、澱んだ空気に新鮮なものが混じる。


「ここです」

「……やっぱり屋上だったか」


 屋上なんて初めて来た、というのが最初の感想だった。

 あたしたちの校舎は海抜三〇メートルほどの丘の上にあって、ここからは市内の中心部が一望できる。少なくとも、この校舎の敷地内では一番きれいな景色が見える場所だった。


 実はこの屋上、一般生徒の立ち入りが禁止されている。

 生徒の安全管理のため、というのが一番の理由。一応フェンスは設置してあるが、足をかけて越えようと思えば簡単にできてしまう。また、ソーラーパネルや貯水タンクも置かれており、たいして広くもない。

 だから生徒は立ち入り禁止だと入学当初から口酸っぱく言われてきた。


「入って大丈夫なの?」

「問題ないですよ。特例で飾さんが許可もらっているみたいですし、その繋がりでわたしも使っていいことになってます。この通り、ラインで靖彦にも伝えてあるので問題ないですし」


 いくら姉の旦那とはいえ、呼び捨てはどうかと思う。が、目の前に出されたスマホの画面を覗くと、端的に屋上を使うことを伝える榛名のメッセージと少し呆れたような靖彦先生のやり取りがそこにはあった。


「今日は生憎の曇りで、気分は上がらないですがしょうがないですね」

「来週からさらに天気悪くなるらしいけど」

「うへぇ、まじですか。最悪……」


 榛名は珍しく顔を顰めていた。


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