30.配信の波紋、大きな変化
ひなぎの話を聞き終えて、自然な流れであたしが話をする番になった。
ひなぎの方もいろいろとあったように、この一週間あたしの方でもかなり変化があったのだ。あたしがしたかった話というのは、つまるところのその話だった。
「結構大変だったって聞いたよ」
「あたしが大変だったわけじゃない」
大変だったのは飾だ。
思い返すだけで肩に疲れがのしかかる。
「あたしは、状況の変化についていくのでいっぱいだったんだ。だからすべてを把握しているわけじゃない」
「……飾が髪を切ったから?」
「それも一因だけど」
主たる原因ではない。
「一番の理由は、飾が本気を出したからだろうな」
「飾くんの本気?」
「そう。ひなぎはたぶん見たことないだろうけど……あれはちょっと、怖いよ」
「怖いって」
「いやいや、マジで」
まだ付き合いが深くないひなぎからすれば、わからないことだろう。
いつもはおとなしくしている飾が本気でなにかに取り組む姿はあまりに恐ろしいのだ。
普段は日和見で目立ちたがらず、かといって才能がないというわけでもない。というか、天才と謳われる妹や父親に勝るとも劣らない才能がある。
能ある鷹は爪を隠すと言うけれど、その非凡な才能を隠すために才能を使われてしまうと、周りはなにも気づけない。
「昔は飾の評価も低くはなかったんだけどね。顔はよくて、勉強もできる。身体はあまり強くなかったけれど、その病弱さも魅力だったし」
「……それなのにどうして?」
「飾の術中に嵌められたんだ、みんな。周りについていけなくなって落ちぶれて、近寄るのも危なく見える存在に、自分自身を貶めた。髪を伸ばしたのも、悪い噂を放置したのもそのためだろうね。わざと自分の評価を落として他人を遠ざけて、自分の才能を見られにくくした」
ちょうど、あたしと疎遠になった頃がその始まりの時期だろう。
他人と関わることすら疎ましく思っていたのかもしれない。他人と関われるほど余裕がなかったのかもしれない。
その真意はあたしにはわからない。
でも、だからこそ、その飾が重たい腰をあげて状況改善に全力を注ぐことが、少し異様に思えたのだ。
*
飾の変化を知ったのは、ほかの生徒たちとほとんど同じタイミングだった。
いつも通りの時間に教室にやってきた飾を見てぎょっとした。
他人が近寄ってこなくなるように目元が見えなくなるまで伸ばしていた髪を、ばっさり切ってきたのだ。といっても、男子らしい健康的な短髪とまではいかない。というか、女子にしか見えないショートヘア姿なわけだけれど、それでも周りの印象を変えるには効果覿面だった。
それが飾の狙いだったはずだ。
まして、数日前にひなぎと一緒に配信して話題になった和花の兄。
よく見れば、そのひなぎがSNSに投稿した写真の少女とも似ている気がする。
今でこそ人付き合いが悪く、愛想も悪く、落ちぶれていると言われている。ただ、良家の子供であり、昔は少なからず才能の片鱗を見せていた。
手のひらを返したくなる理由ばかりが、みんなの脳裏をよぎっただろう。
「……捨て猫に餌をやるヤンキーかよ」
と、独り言つ。
評価が低いからこそ、些細なことでも高く評価される。
悪い噂を流され、冷たい視線を向けられても、覚悟さえ決めてしまえば状況が一変することを飾は理解していたはずだ。
そして、そこからがあまりにも抜かりなかった。
ひとつは、火曜日に行われた家庭科の調理実習での話。そこでは四、五人で班を作ってスイーツを作ることになっていたのだが、ほかの班が慣れないスイーツ作りで苦戦するなか、飾の班は一番早くにもっとも出来栄えのよいものを作ってしまった。
飾の班が作ったのはアップルパイ。市販のパイ生地もあるから作るハードル自体は高くない。ただ、ビジュアルから想像できる通り、綺麗なアップルパイを作るとなるとかなり難しい。
飾の班は、スイーツはおろか料理すらあまり慣れていない人が多かった印象。だからそれなりに難しいアップルパイに手を出してしまったのだろう。今週に入るまでまともに話し合いに参加していなかった飾にも責任はあるけれど、飾がなにも手伝わなければ失敗する確率はかなり高かったはずだ。
だから、調理実習が終わったあとの飾に対する評価はかなり高まった。
不慣れな人に的確な指示を出して難しそうに見えるスイーツを綺麗に作れたのは、誰がどう見ても飾の手腕によるものだったからだ。
飾は「喫茶店でバイトしてるから」と言ってさりげなく自分がバイトをしていることや、家族の手伝いだということを打ち明けていた。
二つ目は、水曜日に行われた体育の時間。そう、顔面でボールをキャッチして保健室送りになった、あのバスケットボールでの話だ。
これは本当にあたしも驚かされた。
べつに運動神経が悪いとは思っていなかったけれど、まじめにやれば現役バスケ部員と張り合えるとは微塵も思っていなかったのだ。
なんなら、意図して華やかなプレーをしようと心がけていた気もする。
スリーポイントシュートの正確性や、ディフェンスを華麗にかわしてからのレイアップは、バスケに詳しくない人が見てもそのすごさがわかる。ましてバスケの経験者なら、それを容易くやっていることへの驚きは大きかったはずだ。
ちょっと、あのときの光景はまぶたの裏にこびりついて離れない。
頬に汗をびっしりかいて、そこに短くした髪を張りつけながらコートを必死に駆け回る姿。これまでの髪を伸ばして目元を隠した姿と、髪を切って少女のようなかわいらしさを前面に出してきた今の姿とのギャップに、同性である男子どもでさえ虜になっていた。
誰だって、人が頑張っている姿には胸を打たれる。ましてそれが、これまであまりよい印象を持っていなかった人ならなおさらだ。……あまり言いたかないが、顔がよければなお魅力的に映る。
幼馴染みのあたしでも、胸が苦しくなるほどだった。
さすがに日頃の運動量の差もあって、あたしは体力切れになった飾を保健室までつれていく羽目になったのだけれど、そのか弱さもなんだかんだ飾自身の魅力を高めることにひと役買っていた。
「あたしでよかったの? 飾を保健室につれてくの」
「……たぶん今はこれでいいはず」
「なんで」
「前回みたいに夕につれていかれたら、夕が袋叩きに遭うだろうからね」
「あっ、はい」
その光景がすぐ想像できてしまった。
そういうところはかなり不便になったと思わざるを得ない。女子らしい顔を隠していたからこれまで普通に進藤くんとも接してこられたけれど、これからは飾と進藤くんが関わるたびに進藤くんに敵が増えるのだ。
今日のバスケの授業で、もう取り返しのつかないところまで飾の評価は高まってしまった。
ゆっくりと歩く飾が転ばないように隣で支えながら、話を続ける。
「今週、ずっとそうだよね。どうして急に髪を切ったの?」
「急に、ってわけではないと思うけどね。土曜日に和花の配信があったでしょ」
「ああっ、そういうこと」
「うん。ご想像のとおりね」
飾は大きく息を吐く。
「藍沢ひなぎとの接点を追及されたら、これまでのままだとあまりに都合が悪かった。落ちぶれたままの自分だと、ひなぎの評価に傷がつく。それなら変わるしかなかった」
「……それは」
藍沢ひなぎのために変わろうとした、という風な言葉にちくりと胸が痛んだ。ところが飾はけろっと真剣な表情を解いて、冗談を言うような表情に変わる。
「――っていうのが表向きの理由で、実際は配信前にもう髪はすでに短くなってたんだけど」
「おおいっ」
思わずつっこみを入れてしまう。そう切り返されるとは思っていなかった。
「あの配信があろうがなかろうが、いい加減変わらなきゃって思ってたしね。俺が悪く言われると、和花が傷つくし」
「理由が飾らしい」
「でしょ。だからやらなきゃならない理由が増えただけで、和花の配信にひなぎが出たことは俺が変わった大きな理由じゃないよ」
そう言って飾は、肩の荷がひとつ降りたかのような自然な笑みを浮かべた。
たしかに、少しは楽になったのだろう。
他人との減らすことは自分のことに集中できる反面、関わりを減らすための手段で周囲からの評価を落としていた。
当然自分に悪い印象を持たれることは理解していただろうけれど、かといって実際に悪口言われたり冷たい視線を向けられたりするのは、なんだかんだ精神的にきつい。
わかっているから、慣れているからと言って痛みが感じないわけでもないし。
でも、そうは言ってもだ。
「大丈夫? 無理してない?」
「ん、ああちょっとだけね。でも、もう少しだけやらなきゃなんないことがあるから」
「ちょっと頑張りすぎだと思うけど」
「あっはは、それは自分でもそう感じる」
自覚はあるらしかった。
「中途半端なのはよくないからね。それに、まだまだ想定内で進んでる。周囲の流れもある程度把握してコントロールできているから、限界まで達することはない、と思う」
「ほんとに? きつかったら言ってよ」
「そんときは、今日みたいに頼らせてもらうよ」
珍しく、素直な飾にどきりとさせられる。
……ああ、そうか。
バスケの直後で疲れ果てているから、ということもあるだろう。だが、そうだとしても今の飾は素直すぎる。いつも強がりだからこそ、少し弱気に思える今の発言が引っかかった。
――あたしが思っている以上に、飾は限界に近いのだ。
それに気づいたところで、あたしにできることは多くない。
一度、飾を裏切った身分なのだ。
今更「必ず力になる」と伝えたところでもう遅い。
きっと飾はひとりで、今起こっている問題に切り込んで解決させてしまうはずだ。
それならあたしは、なにがあったとしても飾の味方でいよう。
飾の努力はちゃんと褒めてあげて、飾の失敗は慰めてあげる。
当然のことを、必ずやる。
そうでなければ、ここまで頑張り続けた飾が報われない。




