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3.再会

「そっか、音葉さんが亡くなってから、もう三年も経ったのか」


 時の流れは残酷だね……と、しみじみ言うひなぎを隣に帰路につく。このまま自宅に彼女を連れ帰れば同居人から与えられたミッションは達成されるのだ。車道側を歩きながらひなぎと会話を続ける。


 ひなぎの言う音葉さん、とはこの町で不慮の死を遂げた来栖音葉、という歌手のこと。

 生前もそれなりの人気があった歌手だった。浮花川で飲酒運転の車に轢かれ不慮の死を遂げたことで話題に上がった結果、皮肉にも死後に歌手としての評価を高めた。


 三年前の冬、俺たちがまだ中学一年生だったあの日、ひなぎはその音葉が事故死した現場に花を供えに浮花川にやってきていた。

 藍沢ひなぎは、彼女の大ファンだったのだ。

 それこそ、白髪というコンプレックスに塞ぎ込んでいた頃の心の支えだったぐらいに。


「正直まだ立ち直れてないんだけどね。だって音葉さんは私の心の支えだったんだもん。外の世界が怖かった私が、どうにかこうにか学校に通えていたのも音葉さんのおかげだし」

「髪を染めて、ね」

「そう。私が白髪だって知ったとき、びっくりしたでしょ」


 あの日ひなぎと出会えたのは、いくつもの偶然が生んだものだった。

 たまたま自分が駅のそばに行かなければ、ひなぎが現実を受け止めきれず献花台から逃げ出してしまわなければ、出会うことはなかったかもしれない。


 そして驚くことに、出会ったときのひなぎは自らの白髪を黒く染めていた。だから彼女がデビューしたときに、初めて彼女が実際は白髪だったのだと気づかされた。納得すると同時に、ひどく驚かされた。


「一生このままなのかな、って漠然と思っていたんだ。髪を染めてアイデンティティを失ったときに得られた平穏は、温かい泥に包まれているみたいに心地よかった。でも内心不安だったんだと思う。ひとたび泥の外に出れば、身体にこびりついた泥は乾いてしまって不快なものに変わってしまう。その結果が、あのざまだったわけなんだけど」


 ひなぎは遠いところを見て自嘲するように笑う。

 たしかに出会ったときのひなぎはひどいものだった。でもそれは、好きだった歌手を喪ったのならしょうがないことぁと思う。

 心の支えが、急に、前触れもなく喪われてしまった衝撃は、想像するだけで心が沈む。


「言葉遣いは心なし前向きになったけど、やっぱり根っこの卑屈さは変わってない」

「あ、あはは」

「直せって言ってるわけじゃないよ。変わらないでいてくれたほうが自分は気楽だし。まあ、ほかの人が見れば驚くだろうけど」

「それは、うん、そだね」


 ひなぎは思い当たる節があったのか、頬をかきながら苦笑いする。


「たしかに、デビューした後に知り合った人には驚かれる。こんな子だったんだ……って。でもさ、私みたいな人生送ればこういう性格にもなるよ。腫れ物に触るように扱われるか、異物として扱われるかどちらかだもん。一回そういう人生送ってみる? 地獄だぜ?」

「遠慮しとく」

「あはー、即答だね」


 先ほどまで考えていたことだから、食い気味な返答になった。

 ひなぎはひとしきり笑うと、「飾くんが飾くんでよかったよ。私を変に特別扱いしないし、やさしいし、かわいいし」と言う。


「飾くん、髪伸ばしてるんだね。私と会ったときなんて、まだ男子の平均より長いくらいだったのに、今じゃもう女の子にしか見えないよ」

「高校では、前髪をおろして眼鏡かけてるけど」

「なにそれ、昔の私みたい」

「……」


 正直に言うと、初めて出会ったときのひなぎから着想を得ていた。顔さえ隠してしまえば、目立たなくて済む。

 自分の顔自体が嫌なわけじゃないから、校舎を出てしまえば前髪はピンで留めて後ろ髪はひとつにまとめてしまう。それだけで印象が変わる……というか、女子にしか見えなくなるわけだけど。


 ちなみに今のひなぎはウィッグのようだった。長い黒髪のウィッグで、出会ったときのひなぎの髪をそのまま伸ばしたような印象。白髪さえ隠してしまえば藍沢ひなぎだと気づかれなくなるのだから、別の意味でも強烈なアイデンティティがあるのは不憫だと思う。


「……ところで」おそるおそる、といった風にひなぎはこちらの顔を覗き込んでくる。「飾くんて、和花ちゃんとどういう関係なの? というか私、飾くんに着いていってよかったのかな。和花ちゃんのマネージャーさんが言ってた案内人って飾くんのことなのかな」

「……なにも知らないのね、やっぱり」

「やっぱり?」

「あ、なんでもない」


 首を横に振って、気にしないでほしいというアピールをする。

 つまるところ、ひなぎは何も知らないのだ。自分の曲を作詞作曲しているやつの兄が俺であることも、妹のマネージャーが自分よりも年下の妹の友人だということも。


「なんというべきか」

「の、和花ちゃんが彼女、とかじゃないよねっ?」

「んなわけあるかい」


 焦った様子で突拍子もないことを言われるものだから、つい変な言葉遣いになってしまった。

 ひとつ咳払いをして、ほうと息を吐く。なにかを打ち明けるとき、というのはどうしても覚悟がいる。どれほど些細なことだったとしても、予想外な反応をされてダメージを食らうのを恐れてしまう。でも、言葉にしなければ伝わらない。


 そんなことぐらい、わかってる。


「えと、俺のフルネームって知ってる?」

「そういえば名前しか知らないかも」

「柏木飾、っていうんだけど」

「ふぅん、珍しい名字だね。えっと、あの画家さんと同じ名字だよね」

「それは父親」

「へえ、和花ちゃんと同じだね。すごい偶然もあるもんだね」


 話を聞いて、ひなぎはうんうんと頷く。でも、そこで何か違和感に気づいたらしい。首を傾げ、俺の顔と虚空を見比べ、また首を傾げ。

 そして何かの結論に行き着いたらしい。春の夕暮れどきで涼しい風が吹いているというのに、だらだらと汗を流し始める。


「ま、まさか」

「そう、そういうこと」

「和花ちゃんと……結婚?」

「んなわけあるかっ」


 つっこみを入れるも反応が薄かった。思い当たった可能性を信じたくなくて冗談を言ったのだ。その冗談を否定されてしまえば、思い当たった可能性が、事実なのだと受け入れなければならない。

 ひなぎは頭を抱えていた。


「妹とかって……いる?」

「いるよ。柏木和花っていうんだけど」

「ぐ、ぐぐぐ偶然もあるもんだね。あはは……私の曲を書いてくれてる人の本名とおんなじ名前だ」

「いい加減現実受け入れろよ」


 肩にぽんと手を置く。ひなぎはすでに涙目だった。


「俺としては、和花がひなぎの曲を書いているのも知ってたし、かなり仲がいいということも知ってるし。和花がスランプになってて、それを心配して浮花川に来たってのも知ってるし」

「やめてっ。あのあのあの、なんにも和花ちゃんから聞いてないよねっ? 私がなにか妙なこと言ってたとかさっ」


 動揺して声がひっくり返っているけれど、そんなことを気にしている余裕もないみたいだった。

 妹の柏木和花は、ひなぎほどではないにしろ名前は売れている。世界的な画家である父を持ち、幼少期から始めたピアノのコンクールでは大人顔負けの活躍をしていた。中学にあがる頃にはコンクールに出ることはやめ、自身が柏木和花であることを隠して、『カズネ』という名前で作曲活動をしている。作曲者としても大きな活躍を果たしている。


 作曲者としての一番の活躍が、藍沢ひなぎとタッグを組んで作曲していることだろう。

 ちなみに妹がひなぎを見出したのはコネなどではなく本当に偶然だった。ひなぎが来栖音葉と同じ事務所に所属したと知ったときに、なんとなくそうなるのではと思っていたけれど、まさか本当にそうなるとはと笑ったぐらいだ。


 ひなぎは目をぐるぐる回しながら、俺の肩を掴んで揺する。その揺れに耐えながら「さすがに個人情報もあるから、ひなぎのことは和花からあまり聞いてないけれど」と言っておく。


 嘘は言っていない。


 妹だって、俺とひなぎの関係を知らない。だから、ひなぎの発言をそのまま俺に横流しすることはなかった。

 とはいえ、少なからず妹からひなぎの話は聞いていた。一番記憶に残っているのは、ひなぎには『誰かはわからないけれど、浮花川に恩人がいる』という話だった。それが誰なのか、はあまり考えないようにはしていたけれど、妹にその話をしている時点で、妹以外にも浮花川に恩人がいることは確定である。

 そしてそれな自分である可能性の高さは、あまり考えなくてもわかるのだ。


 ひなぎは、俺には聞かれたくない話を妹としていたみたいだった。


 でもまあ、誰にでも聞かれたくない秘密のいくらかはあるだろう。ならばそれは追求すまい。

 今はただ焦って自らいろんなことを漏らしてしまっているひなぎのかわいらしい顔だけに、意識を集中させよう。


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