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28.夜空の下で

 上着を着て外に出ると、涼しい風が頬を撫でた。

 ライブ帰りに夜の街を歩くことはあったけれど、プライベートで夜歩きするのは初めてだった。隣にいるのが飾くんというのもあってか、年相応に胸が躍ってしまう。カモフラージュ用のウィッグは被っていなかった。この時間帯だから誰かに見られることは少ないし、たとえ見られたとしても夜だから髪色までの区別はつかないだろう。


 懐中電灯は使わずに、月と街灯の明るさだけを頼りに道を歩く。初夏になって羽虫もそれなりに街灯に集まっているけれど、近寄ってこないなら問題ない。行く道を示すように一歩前を歩く飾くんの背中を離れないようについていく。


「どこ行くの?」

「ないしょ」


 訊いてみると、飾くんは少年のような笑みを浮かべた(いや、少年なのだが)。反応から目的地があることはわかった。もしないのなら、あてもなく歩いていることぐらい話すはずだ。

 街灯に沿うように五分ほど歩いて、右側に小高い丘が見えた。木で作られた階段があって、飾くんがそこで立ち止まる。


「ここが目的地?」

 訊くと飾くんは頷く。


「足元気をつけてね、ひなぎ。なにもないとは思うけど、コンクリで舗装されてるわけじゃないからでこぼこなんだ」

「りょうかい。……えっと、飾くん、ここ、なにがあるの?」

「心霊スポット」


 なんてことはない風にさらっと言われてぎょっとしてしまう。

 私の反応に飾くんは笑った。


「最近の子たちはあまり知らないみたいだけど、俺たちの親世代だとけっこう有名な話みたいでね。でも景色はいいから、考えごとしたいときによく来てるんだ」

「……怖い話苦手なんだけど」

「あはは、ごめんごめん。一応先に言っておかなきゃと思って。後々知って、『先に言ってよ』なんて言われても困るから」

「うぅう」


 ……実は、半分演技だった。

 怖い話も得意なわけではない。ただ、心霊スポットに実際に行ったことがあるわけではないし、肝試しみたいなイベントをやったこともない。こういうときの怖がり方を実はわからなかった。


 だから、要するに『手を繋ぐため』の理由を作ろうとしたのだ。

 普段の飾くんは表情を見るだけで人の考えていることに気づいてしまうからできないことだが、今は表情を読み取れるほど頼りがいのある光源は近くにない。

 怖がるふりをして手を掴むと飾くんは「しょうがないなぁ」と困ったように笑って歩き始めた。繋いでいない左手でちいさくガッツポーズする。


 階段を上って比較的平たいところに出ると、そこは公園のようになっていた。とは言っても、最近の風潮にならってシーソーやブランコなどの遊具は撤去されてしまったらしい。無作為にならぶ木々の間に申し訳程度に置かれたベンチがあるだけだ。

 左手側の奥に目をやると、石碑のようなものが見える。それを見ると、たしかに心霊スポットと言われる理由もわかる。そう思っていると、飾くんは首を振った。


「実は、心霊スポットっていう話とは無縁なんだけどね」

「え?」

「あれはここ十年くらいの間に作られた慰霊碑だから。心霊スポットなんて言われ始めたのはもっと昔だもん。……ま、最近来た子は関連づけて考えてるだろうけどね」


 そう言いながら飾くんは右手側に向かっていく。

 公園内も街灯が整備されていて、そこまで暗いわけではない。ただ、さすがに中心部分から外れてくると、街灯の置かれる頻度も減るので夜の星空が少しずつ目立ってくる。

 街灯が目に入らなくなるところまできて、飾くんの見せたかった景色がわかった。

 そこには、肩を寄せれば三人くらいまで座れるベンチがひとつだけ置いてあった。促されるままそこに座ると、肩もくっつくぐらいの近さに飾くんも座る。


「ここからだと、市内が一望できるんだ」

 飾くんが静かに言った。

 時刻は、おそらくすでに夜の一時は過ぎているだろう。起きている人も少なく、街灯や二四時間営業のコンビニの光だけが夜の街を照らしている。

 夜も日中ほどではないにせよ活動的な都会では、絶対に見られない光景だろう。

 町中の光より、星の明かりの方がまぶしいと思うのは初めてだった。


「きれいでしょ。ほかに夜景が有名な場所はたくさんあるけれど、自分がしばらくの間住んで、土地勘がある場所だとその感動も違うんだ。あそこの光はあのコンビニだな、とか日中はあんなに騒がしいのに夜は物静かな場所なんだ、って感慨深くなれる」


 そう言われてみるとたしかに、光の場所を頼りにあれがどこだか探していた自分に気づく。

 それに飽きて空を見上げれば、プラネタリウムでは到底見られない煌々と輝く星々が見える。たしかに、これは素敵だ。一生都会で暮らしていれば、死ぬまで見られないものだ。なんでこんな素晴らしいものを知らないでここまで生きてきたんだろう、とすら思ってしまう。


「ほんとは夏の大三角形、とか説明しがいのある星座のある時期だったらよかったんだけど」

「い、いやいや、そこまではいいって。お腹いっぱいだって」

「そう?」


 いま、織姫さまと彦星さまの話を聞いたら、ロマンチックすぎて溺れてしまいそうだった。

 飾くんは首を傾げながらも、空に見える星座の話をしてくれる。北の空に浮かぶ北斗七星から、徐々に外側の星へ移っていって、それだけで詳しくなった気になった。

 北斗七星から繋がる春の大曲線を基準に、アークトゥルスのあるうしかい座、スピカのあるおとめ座を教えてもらって、その星座ごとのエピソードを教えてもらって。

 そこまでしてもらって、飾くんの知識の深さを思い知る。これまで生活してきて、何度もその機会はあったけれど、飾くんは守備範囲が広すぎるのだ。星座に対する知識の深さは今知ったが、その他分野においても、ほんとうになんでも知っている。『飾くんはなんでも知ってるね』と言えば『なんでもは知らないわよ』と返ってきそうな知識量だ。いまどき通じないかもしれないが。


「きれいだよね、ここ」

「……うん」

 頷く。


 空気も澄んでいて、見える景色もきれいだと思える。夜だから、太陽に照らされてありふれた普通の景色が見えないからこそきれいに見えるということも気づいている。

 でも、それが大事なのだろう。


 目に見えるものだけがすべてではない。

 見えないからこそ綺麗に見えるものがあって、見えないからこそ汚いと思わないものもある。

 知りたい、見たいと思うのは当然のことだろう。

 でも、誰だって隠し事があって、私にだって飾くんに隠したいことのひとつや二つはある。当然だ。これまで飾くんのことを性的な目で見ていたとか、赤裸々に語ったって飾くんが喜ぶとは思えない。当然、私なりの恥じらいもある。


「特別じゃないものが見えてないから、この景色は特別なのか……」

「なにそれ、哲学?」

「ううん、違うよ。日々を過ごすうえでの金言だよ」


 私の言葉に、飾くんは不思議そうにする。それでいい、気づかれないほうが今は都合がよかった。

 握ったままの手に少し力がこもった。手汗もかいているかもしれない。


 思い返す。

 この二週間の日々、私が飾くんにもらったものだ。

 特別扱いされない暮らし。家族同然に扱われ、毎日の家事も任され、少ししかできない料理や弁当作りもさせられて。飾くんや榛名ちゃんに遠く及ばないことに劣等感も感じた。でもそれ以上に家族のように扱われて、そばにいることを許されてうれしかった。

 私はこれまで日常生活の中では異物だった。白髪を隠さなかった幼稚園時代は変なものを見る目で距離をとられ、髪を黒く染め他人と距離をとった小学校や中学校のときは、他人と距離をとったせいで仲のよい友達はほとんどできなかった。

 白髪を隠さなくなった今になっても、大抵の人は腫物のように扱うし、腫物のように見ない人がたまにいても、そういう人の視線には下心が見える。

 普通の暮らしができたのは、家族を除けば飾くんの家が初めてだった。


「私、飾くんに言いたいことがあって」

 言葉は、口を衝いて出てきた。


「ほんとは、あまり言っちゃいけないことだと思う。こうして一緒に住んでるから気まずくなると困るし、言われた方は特別に思っていないこともあるし」


 特別扱いされないことが、私にとってはうれしかった。たぶんそうだと気づいて、飾くんは私を特別扱いしなかったのだろう。

 もちろん、ここに来るのが私ではなくても飾くんが似たような扱いはしただろう。ただ、私の境遇を理解して、私が望むものも理解したうえでそれをしてくれたことと、そうでないことでは少し意味が違う。無自覚でやったことと、ちゃんと理解してくれているのとでは、それに気づいたときのうれしさがまったく違うと思う。


「私はね、再会してすぐ気づいてくれてうれしかったよ」

「……そりゃあ気づくでしょ。名前も教えてもらってたし」

「いや、ほとんどの人はウィッグを被っていれば気づかないよ。藍沢ひなぎは白髪だ、って思われているからね。ウィッグ被ったうえで私が私だって見破られたの、初めてだったんだ」


 ウィッグひとつ被るだけで私が藍沢ひなぎだと気づかれないのは、普段生活するうえでは助かることだ。

 でも、ウィッグだけで見抜けなくなるのはつまり、藍沢ひなぎという存在は白髪だけで判断されているということだ。……いや、つい最近歌声で見抜かれたばかりだが、白髪と藍沢ひなぎが強く結びつけられているのは、否定のしようがない。


 でも、浮花川に来たあの日、飾くんは私の顔を見ただけで、私が私だと気づいた。

 もちろん、私が駅に来るということを知っていたから気づけた可能性もある。でも、おそらく飾くんは私が駅に来ることを知らなくとも気づくことができたに違いない。


「うれしかったんだよ。私ってなんなんだろう、って活動するたびに思ってて、どれだけ売れてもどれだけ持て囃されても、感慨は湧かなかった。でも飾くんに再会して、私が私だって気づいてもらって、それだけで『報われた』って思えたの」


 歌手になったのは、たぶん飾くんにそそのかされたからだ。

 だから、歌手になって私はずっと飾くんを想って歌っていた。

 きっと和花ちゃんにはバレバレだっただろう。

 相手が柏木飾とわからなくとも、誰かに一途な感情を向けていることは見抜かれていたはずだ。

 再会して、飾くんがいないところで茶化されて、恥ずかしくなって。

 でも、それでも少しうれしかった。

 認められた。ここにいてもいい、って思えたことがなによりうれしかった。


「……だから言わせて」


 この言葉が、どれだけ飾くんの重しになっても、私は言わざるをえない。伝えるだけで胸が潰れそうになる感情だ。ましてや、それを受け止めるのが飾くんならあまりにも重たく感じるだろう。

 でも言わなきゃ収まらない。

 繋いだままの手を固く握って、少し驚いたような表情で私を見る飾くんから目をそらさずに私は言う。


「――好きです。……私、飾くんのことが好き」


 そう言ったとき、私はどういう表情になっていただろう。

 飾くんはただ、黒い真珠のような瞳を私に向けて、しずかに驚いていた。


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