25.覚悟
あれ、いつの間に布団に戻ってきたんだろう。
アラームのような音で目が覚めて、ぼんやりとそう思った。
一曲目を歌い終えたあと変なスイッチが入った私たちは、お互いが疲れ果てるまで歌い続けていた。そのあとのことはあまり覚えていないけれど、こうやって布団に戻っているのだから大きな問題は起こっていないのかもしれない。
とも思っていたけれど、けたたましく鳴るスマホを覗き込むと、画面に友人の名前が映っていてそれが着信だったことに気づく。
齋藤あずさ、という名前を見て一気に意識が覚醒していく。中学のときに知り合った友人だ。私のマネージャーの妹で業界のことにも詳しいから、仲良くなるのも当然だったのかもしれない。
あずさから通話がかかってくるのはひさしぶりだった。浮花川に来てからは初めてだったかもしれない。しかも基本的に彼女から通話がかかってくるのは夜で、日中に通話がかかってくるなんていつぶりか。
慌てて身体を起こして通話をとる。
「も、もしもし。おはようっ」
「……その反応だと、今目が覚めて慌てて通話をとった感じね。もうおはようなんて時間ではないけれど」
反応を聞いただけで、私の状況を見抜かれる。部屋の壁掛け時計を見ると、すでに午前十時は過ぎていた。たしかに、おはようと言うには少し遅い。
「今の状況は理解してる? 昨日の配信、SNSのトレンドをかっさらっているわよ」
「……まじ?」
「しかも、完全にゲストがひなぎだって気づかれてる」
さあ、っと血の気が引けてくる。こうなることも予測していたとはいえ、実際にそうなると意外と冷静ではいられないらしい。
「ちゃんと対策していたから、顔とか髪が映ったりはしていなかった。でも、さすがに歌えば気づかれる。あんた、これまで露出がなかったから余計に騒ぎになってて」
「……やめて、聞きたくない」
「ちゃんと聞きなさい。和花の住んでいるところってファンなら結構知っているのよ。だから、今あんたが浮花川にいるのも気づかれていると思った方がいいわ」
「むぐぐ」
これもまあ、想定内ではあった。現実がまだ受け入れられていないだけで。
「それにあんた、プライベートでの露出が少ないからほんとうの性格がどんなもんか世間には明らかにされていなかったじゃない。今回の和花の配信では、あんたの本性がある程度知られてしまったわ。クールで物静かなお嬢様、じゃなくて平凡な感性を持った普通の女の子だ、ってことがね」
「……恥ずかしい」
正直今は、自分たちの配信を見返す勇気がない。問題発言はしていないはずだが、これまでの自分への認識を改めることになった結果世界中が落胆しているかもしれないと思うと、気分はあまりよくない。
「私ももっと早めに気づければよかった。ほんとに行ったんだ、柏木の家」
「……元々知り合いなの?」
「当たり前じゃない。ひなぎと知り合う前から柏木兄妹と面識はあった。あんたが柏木のことが好きだってのも、話を聞いてすぐ察したし」
「そ、それなら言ってよぅ。二人が兄妹だって知らなくて醜態晒しちゃったんだからっ」
「あの二人、結構似てると思うけれど」
あずさは呆れたみたいに溜め息をこぼす。
「最近忙しすぎてあんたのSNSはチェックしてなかったのよ。おかげで騒ぎに気づいたのも今朝になってから。迂闊だったわ。最近音沙汰ないと思っていたら、ほんとうに柏木の家に行ってるんだから」
「事前に言ってたでしょ。行くかもしれないって」
「まさかほんとうに行けるとは思っていなかったの。なんだかんだあんたって忙しかったじゃない。……私とも遊べないくらいに」
ちょっとだけ拗ねたような声だった。自分とは遊んでくれなかったのに浮花川には行ったんだ、というようなニュアンスで少しかわいく思う。指摘したら余計こじれる気がするので言及はしないが。
「それはごめんって。勢いで浮花川に行くことを決めたから、あずさへの報告も忘れていたし」
「……なんなら、好きな人とのツーショットも公開してるし」
「そ、それは深く言及しないでっ。元々は普通に和花ちゃんとの写真を投稿するつもりだったんだけど、いろいろと問題あるから飾くんになったの」
そう言葉にすると、ひとつ疑問が浮かぶ。
どうして和花ちゃんは、私との関係が明らかになってもよいという考えに変わったのだろう。少なくとも写真を投稿した時点では慎重な考えを持っていたはずなのに。
「ほんと、ちょっと後悔してる。その投稿直後に気づけていれば、ちゃんと覚悟できていたのに」
「それはごめん」
「謝ることじゃない。でも、ほんとうはひなぎの方がしっかり覚悟をしておくべきね。和花ちゃんの名前が売れているから友達の家に住まわせてもらってるってことで問題にはならないけど、同い年の男子が……ま、男子と思えないくらい美少女顔だけど、そいつと同棲しているのがバレるのってそれだけでスキャンダルなのよ?」
「……そうだね」
ときどき忘れそうになるけれど、飾くんは男なのだ。『シュレディンガーの猫』みたいに証拠となるブツを確認していないから男ではない可能性がある、とはさすがに言えない。いくら私より女子力高くて、和花ちゃんに負けず劣らずの容姿をしていて声も中性的だからといって、戸籍上はちゃんと男なのだ。
「んで、どこまでヤったの? キス? それともセックスまでしたの?」
「――ぶっ!? し、してない、してないからっ」
真っ赤になりながら何もなかったことを主張する。あわよくば、と思う気持ちは大いにあったがこの一週間でチャンスは訪れなかった。
そう赤裸々に打ち明ける勇気もないので、小さく「むぅ」と唸る。と、いうか榛名ちゃんと同じであずさも明け透けに言ってきたことへの動揺も大きかった。すでにこの時点で冷静ではなかった。
「あんたもピュアだねぇ。……まっ、手遅れでないだけでマシか」
あずさはひとり静かに胸を撫でおろしていた。
その反応は、少し大袈裟に思う。
なにが手遅れなのか、私はすぐに気づけなかったのだ。あずさの言う通り、私は覚悟なんて全然していなかった。
あずさは小さく咳払いすると、真面目な雰囲気を出す。私が動揺を抑えようと必死になっているうちに、あずさは静かに言う。
「――ひなぎ、あんたと飾は釣り合わないから諦めた方がいい」




