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24.新世界

 ちゃんと人前に出ても問題ない私服を着て、配信が始まる少し前に地下のスタジオに降りた。今日使うスタジオはグランドピアノが置かれていない方の部屋で、すでに準備を終えていた和花ちゃんは腰かける椅子の横に数本のギターを並べている。


「今日、ピアノ弾かないんだね」

「別にピアノが好きで弾いてたわけじゃないからね」

「さりげなく衝撃的なことを言わないで……」

「私が一番好きなのは曲を書くことだからね。元々全部の楽器はある程度弾けたけど、本気でコレで食ってくって決めてからどれもプロのミュージシャンレベルまで弾けるように練習したし。だから今日は、私の愛器をみんなに紹介しようかと思って」


 ストラトのジャーニーマンレリックを片手に、和花ちゃんは言う。


「そろそろ始めるけど、問題ない?」

「……う、うん大丈夫」


 緊張がばれるくらい、声が震えていた。


「あは、めっちゃ緊張してるじゃんっ。私より大舞台立ってるはずなのに」

「しょ、しょうがないでしょ。生配信とか初めてだし、普段歌うときは歌手としての『藍沢ひなぎ』を演じてるんだもん。今日はほら……素だし」

「そんなこと気にすることじゃないのに。今日は別に顔出しするわけじゃないんだし」

「……和花ちゃんはきっと心臓の毛ふさふさだね」

「剛毛だよ? 緊張なんてしたことない」

「……」


 まあ、和花ちゃんならそれでもあり得なくはない。

 和花ちゃん、かなりずれてるし。


 肩を竦め、私はカメラの画角に入らないところで待機する。和花ちゃんに見えるように頬のところで人差し指と親指をくっつけて〇を作ると、和花ちゃんはにっこり笑って配信を開始する。

 待機画面の時点で、すでに一万人近くの人が見ていたが配信が開始するとまだ和花ちゃんがひと言も発していないのに視聴者の数はどんどんと増えていく。

 いつものグランドピアノではなく、ギターが並んでいる光景に驚いている人が多い印象。


「お、聞こえてるかな」


 和花ちゃんの言葉に、『聞こえてるー』、『今日はギター?』、『ギター弾けるんだ!』と反応が返ってくる。和花ちゃんは得意げな顔になって、「弾けるよー」と答える。


「え? 『いつもと違う画角だから顔映るの期待してた』って? 残念でしたー、顔は映しませーん。どーせ昔コンクールに出てた映像どっかに転がってるんだから、それ見て成長した私の顔妄想してくださーい」


 視聴者のコメントに返事をするのも慣れたものだ。さすがに一年近くも配信者やっていればこうなるか。


「生配信やるのひさしぶりだよね。二週間か三週間ぐらい空いちゃったかな。でも今日は友達が来てるので、せっかくだからその人の前で配信してみよう、てことで重たい腰を上げましたとさ。いたたたっ」

「年寄りみたいなこと言うんじゃないの」

「お、さっそく入ってきてくれました。拍手拍手ぅ」


 小ボケを挟む和花ちゃんにつっこみを入れたら、いいように利用されてしまう。きっと和花ちゃんはこれを狙っていたのだろう。場を掌握する力は、相変わらずすさまじい。


 和花ちゃんがくいくいと手招きをするので、観念してカメラの画角に入る。配信画面の映るモニタで顔が入っていないことを確認すると、こっそり胸を撫でおろす。

 コメント欄は、和花ちゃんの生配信でもあまり見ないほどの盛り上がりを見せている。その気持ちはわからなくもない。これまで私は、視聴者側にいたのだ。初めてのゲストに対するわくわく感は、ひと言では言い表せない。


 ……まさか自分がその初めてのゲストになるとは想像していなかったけれども。


「こういうの初めてみたいだから、お手柔らかにね。……ひと言自己紹介してみて」

「うん。えっと、和花ちゃんの友達です。その、初めまして」

「あっはは、なにそれ初めて合コンに参加する人みたいじゃん」


 かちこちな私の自己紹介を和花ちゃんはけらけらと笑う。いや、和花ちゃんは合コン行ったことないでしょうに。


「実は彼女、私とそう年齢変わんないんだけど歌めっちゃ上手くてね。だから今日は歌ありで演奏をお見せしようかと思って」


 左手でノートパソコンをいじりながら和花ちゃんは言う。


「ま、お気づきだと思いますが、今日はピアノじゃなくてギターなんだ。ゲストもいることだし、たまには違うこともやらないとね」


 話しながら和花ちゃんはギターをチューニングしている。チューナーも使わずにさっと済ませてしまうと、アイコンタクトを送ってきた。すぐに行けるか、ということらしい。

 私は、いつでも問題ない。

 マイクを握り、ちいさく頷く。

 それを確認したかしていないかぐらいのタイミングで、和花ちゃんはギターをかき鳴らす。指を慣らすように短くアルペジオを弾くと、そのまま自然に曲のイントロに繋げてくる。


 それを聞いて、かちり、と身体の中心で音が鳴った気がした。

 完全にスイッチが入ったのだ。和花ちゃんに切り替えさせられた、と言ってもいい。演奏技術が高い人は、簡単そうに人をリードしてくる。まだまだ素人な私は、それがどれほど難しいことなのかわからない。


 何より、選曲がよかった。

 JUDY AND MARYの「そばかす」だ。アニメの主題歌として書かれ、ジュディマリの曲の中でも最も有名な曲。彼らは私たちが生まれる前にすでに解散してしまっているけれど、彼らの曲は二十年以上経った今でもまったく色褪せていない。


 元々最初から弾くつもりだったのだろう。

 耳に嵌めたイヤホンから、いつの間にか録音していたらしいベースとドラムの音が聞こえてくる。さらっとやっているけれど、すでに録った音とタイミングを合わせて弾くのはかなり難しいはずだ。

 乾いた笑いをこぼしながら、イントロのギターが一瞬落ち着いたその間隙に歌声をのせる。追いかけて入ってきたギターの音色は、まさにジュディマリらしい音。どこまでも自由に羽ばたいて、つい追いかけたくなる鳥の軌跡。

 ギターのパートをなぞること自体はそこまで難しい曲でもない。ただ、上手に弾かないとギターの音色がとっちらかる。歌の邪魔をせずに恰好よく弾くためには、私ならどれほど練習する必要があるだろうか。

 和花ちゃんのギターは、まさに理想的だった。


 そして驚くことに、彼女の用意していた秘策はそれだけではなかった。

 サビに差し掛かったとき、和花ちゃんは立てていたスタンドマイクに口を寄せる。ギターを一ミリも乱すことなく弾き続けながら、私の歌声に自らの歌を重ねてくる。完璧な下ハモだった。もう、本当に歌っていて気持ちがいい。


 これは、毒だ。


 あまりに強烈すぎる毒だった。


 和花ちゃんが私を主役として立てているのは、隣で歌っていてもひしひしと感じる。でも、彼女のやっていることをすべて理解してしまうと、自分が彼女の毒に侵されていることを理解してしまう。

 本来和花ちゃんは、誰かを立てる脇役ではなくて、舞台の先頭に立ってスポットライトを浴びているのに相応しい逸材だ。それほどの才能とスターとしての輝きを持っている。

 それらすべてを今、私という存在を際立たせるために使っている。

 場を支配し、歌をリードし、すべてのクオリティーを数段階上の次元へと高めさせる。

 見る人が見れば、このことの異常さは伝わるだろう。

 和花ちゃんひとりで完璧にこなしていることは、本来なら到底ひとりでできる芸当じゃない。我が相棒ながら末恐ろしい。


 ……そして、無謀にも負けられない、と思ってしまう。


 寄りかかってばかりではだめだ。

 実力を引き出してもらってばかりでは、和花ちゃんに相応しくない。


 二番のサビ、全体的な音量が下がり、なおかつ歌もギターも最高に輝ける場所。

 そこで私は、意図的に歌い方を切り替える。わざと下ハモを歌ったのだ。主役の座をすべて和花ちゃんに明け渡し、ある意味では下駄を預けた。和花ちゃんは一瞬目を見張ったけれど、すぐさま空いた主メロの座に滑り込む。

 私だけを主役になんてさせてやるものか。

 わざとハモリ役を買って出て、そして気づく。ああ、誰かを立てるのも気持ちがいい。自分のおかげで和花ちゃんが輝いている今、言葉にできないほどの快感が神経を走っていく。


 これは、たしかに和花ちゃんが裏方に回るのも無理はない。

 柏木和花という素材を使いつくした末に辿り着いたそれは、自分だけでは辿り着くことができない場所に行くことができる。


 私も、いつかはその場所へ行きたい。

 無謀だと、さすがにこれは自分でもわかる。


 でも、この毒に侵されてしまったら、もう後ろを振り返ることなんてできなくなるのだ。

 私の踏み入れてしまった新世界は、それほどまでに美しい場所だった。


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