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23.隙

「すぐに収録始めるの?」


 私の作った昼食を美味しそうに食べている和花ちゃんに訊ねる。和花ちゃんは口をもぐもぐさせながら首を振る。


「ううん、まだひないほ」

「ちゃんと口の中の物を飲み込んでから話しなさい」


 育ちはいいはずなのに、ときどき行儀が悪くなるのはどうしてだろう。普段の所作は見本のような綺麗さなのに。


「今日はまだしないよ」飲み込んでから律儀にもう一度言った。「さっきのはとりあえず完成と言えるぐらいになったから視聴してもらっただけ。ひと晩寝かせて何か思いつくかもしれないから、まだ収録はしないかな」

「そうなの?」

「そう、ひと晩寝かせたカレーのほうが美味しいのとおんなじです」

「料理できないくせに」

「えへへぇ」


 褒められたみたいなだらしない顔になるが、まったく褒めてない。


「代わりと言っちゃなんだけど、今日はひさしぶりに生配信しようと思って」

「え、ほんと? 楽しみ!」

「いやいや何言ってんの。ひなぎちゃんも出るんだよ」

「出る?」


 なにが出るんだろう。


「顔出し名前だしなしのゲスト出演……っつってもまあ、歌声で気づかれそうな気もするけど」

「え」


 たしかそういえば以前そんな話をしていたような気がする。そのうち私にも配信に出てもらう、というような話だ。そのときはあまり深く考えなかったが、まさか本気だったとは。

「いいの?」

「私は、もう後先考えないって決めた。だってこんな面白いことやらないのは損だよ。需要は大いにあるし」

「和花ちゃんが『カズネ』だって気づかれるかもしれないよ?」

「そんときゃそんときだね。そろそろ潮時かなって思っていたし。とは言っても、露骨に気づかれそうなことはするつもりないよ。ひなぎちゃんがひなぎちゃんだって気づかれることも、私がカズネだって気づかれることもね」

「ということはつまり?」

「私たちの曲はやりません」

「ま、それもそっか」


 特段ショックはない。当然のことだからだ。気づかれない方がいいに決まってる。


「何時ごろ始める?」

「夜だね。そうすれば、兄さんも榛名ちゃんも配信見られるだろうし」

「帰ってくるの遅いの?」

「わからにゃい」


 えへ、と舌を出す。かわいいけれど、家族の帰り時間も知らないのね。


「そういえばひとつ訊きたかったんだけど、どうして生配信を始めたの? 正直作曲の仕事だけで全然食っていけるよね」

「うん。だから配信の収益化はしてないよ」

「えっ、してないの?」


 さも当然のように言うけれど、もし収益化をしていればかなりの収益があっただろう。少しもったいないと思ってしまう。


「演奏するのは趣味なんだ。でも練習だけして披露する場がないのはもったいないでしょ。それなら配信してみんなに聴いてもらおうって思って」

「それならコンクールとかにも出ればいいのに」

「ショパンもリストもベートーヴェンも好きだけど、コンクールに拘りはないからね。格式高いことは名誉だけれど、その分息が詰まる。そういう場はやりたい人や、やらなければならない人に任せて、私は先にリタイアさせてもらいましたよ。私がいなくなることで座れる席が増えるから、ほかの人にとってもメリットだしね」

「……当然のように入賞できると思ってるのね」


 その発言が驕りのように感じないのは、それに足る実力があるからだろう。


「ちなみに私、なんでも楽器弾けるもんだから、最初は馬の被り物被ってひとりでセッションしようかとも思ってたんだぁ」

「やめなさい」


 突然とんでもないことを言い出したので語調が荒くなってしまった。

 和花ちゃんはにへへと笑う。


「でも結局は、ピアノの演奏ばかり。配信で話題になった曲のカバーをして、生配信では視聴者のリクエストやその日なんとなく弾きたいと思った曲を即興で弾く。楽しいけれど、最近はまんねりが続いていたし」

「飽きてたの?」

「そういうわけじゃないよ。ただ、なんだろう。たまには別の楽器が弾きたかったのかもしれないね。たくさん楽器があるのにこれまで視聴者にお披露目なんてまったくしてこなかったから」


 今日はやりたかったことを全部やるぞ、と和花ちゃんは意気込んでいる。やる気出すのは構わないけれど、私が耐えられる出力で頑張ってほしい。


           *


 配信の準備を進めている間に、榛名ちゃんが帰ってきた。そのまま夕飯の準備をし始める彼女に訊くと、飾くんは今日帰ってこないらしい。


「珍しいね」

「そういえば、ひなぎさんがこっちに来た後は初めてですね。でも、飾さんがうちに帰ってこないことなんて、珍しいわけでもないんですよ」

「そうなの?」


 榛名ちゃんは頷く。


「今日は旅館のお手伝いに行ったみたいですからね。バイト代分働いて、向こうで一泊してくるんです」

「え、ちょっとうらやましい」

「それ相応の技能があるから許されていることですよ。飾さんにできても、おそらくひなぎさんには無理かと」

「それはわかってるって」


 飾くんからすれば一日働くだけで、良い旅館に一泊できる。旅館からすれば有能な飾くんを一日泊めてやるだけで使いまわせる。お互いにとってウィンウィンだから成り立っているだけで、自分が行っても正直戦力にはならないだろう。


「……つまり、今日は飾くん帰ってこないのか」

「残念そうですね」

「うん、まぁね。せっかく和花と配信やるんだから、近くで見ててほしかったというか」

「旅館にはいますけど、あの人必ず和花の配信は見ますよ」

「わかってはいるけどね」


 飾くんにはたくさんのものをもらっているけれど、私が返せるものなんて歌うことぐらいしかないのだ。だからできることなら生で聴かせてあげたかったな、と思う。


「ま、配信の手伝いはしてあげるので、心置きなく歌ってください。それこそ、世間にひなぎさんの正体が筒抜けになるように」

「できることならバレない方がいいんじゃないの? 顔出しはしないよ」

「いつか気づかれてしまうなら、さっさと気づかれてしまった方が楽なんですよ。ぼやぼやっとしているうちに他の誰かが勝手に漏らした、なんてことになるよりは。そもそも、いつまでも気づかれない、なんて無理な話ですし」


 それもそうか、と思う。

 これから先、和花ちゃんとの関係は続けていきたい。でも私たちの関係を身内だけで留めておくなんてどう考えても無理なのだから、いい機会があれば明かしちゃおうってことだ。


 今回がそのタイミングなのか、と少し考える。

 いいタイミングだとは思う。ただ、別に今日ではなくてもよいのではないか、とも思わなくはない。私としては大きな騒ぎにならずにだんだんと浸透していけば気が楽だ。その方が飾くんたちにも迷惑かけない。

 ただ、和花ちゃんも榛名ちゃんも、このタイミングで世間に気づかれてしまってもよいと考えているようだった。

 二人がそう考えているのなら、間違いではないはずだ。


「ああ、そうだ」

 考えがある程度まとまったところで、思い出したように榛名ちゃんが言う。


「ひとつ忠告したいことがあったんですよ」

「……えっと、なにか言っちゃいけないことってこと? 炎上とかしないように」

「そういった類じゃありませんよ。服装に関することです」

「服装?」


 思ってもみない言葉が聞こえたので、オウム返ししてしまう。

 榛名ちゃんは腕を組んで少し考えると、少しの躊躇を払うように頭を振って私を見つめる。


「あの、ひなぎさんってナイトブラは着けませんよね」

「……えっと、そうだけど?」

「あまりサイズも大きくないですし、普段はそれで不便ないかもしれませんが」

「明け透けに言わないでよ」


 ちょっと気にしていることまで言われて、何を言いたいのかわからなくなってしまった。


「それに、ひなぎさんの寝巻きってルーズなTシャツとハーフパンツですよね」

「そだけど」

「ええと、つまりですね」


 榛名ちゃんは、かなり言いづらそうにしていた。埒が明かないと思ったので「単刀直入に言っていいよ」と言うと、榛名ちゃんは観念したように言う。


「あー、つまりですね。普段の寝巻きみたいな恰好で配信に出るのはやめたほうがいいって話ですよ」

「なんだ、そんな話? 当たり前じゃん。人前に出るんだから、さすがに見られてもいい服装にするって」

「それなら安心です」


 榛名ちゃんは心底安堵したようにゆっくりと息を吐いた。

 そこまで心配されることだろうか。そんな隙の多い恰好を、配信でするわけがない。


「いや、ほんとによかった」

「……そこまで安心することかな?」

「ええ、そですよ。だって、気を抜いて前かがみになったところで、ときどき見えるんですもん。飾さん、ときどき目のやり場に困ってましたし」

「…………はへ?」


 なにが見える、とは言わなかったけれど、榛名ちゃんが言わんとしていることは当然伝わった。

 先ほど自分が考えていた言葉を思い出す。


 その『隙の多い恰好』とやらを、飾くんの前で見せていたわけで。


 かぁーっと顔が熱くなってくる。

 見られていた。気づかれていた。

 でも、今更ガードを固めたところで、飾くんは私が恥じらいを持ったことに気づいてしまうだろう。それはそれで恥ずかしい。


 どうせ恥ずかしいことに変わりないのなら、そのままにしておこう。

 飾くんに見られることは恥ずかしいだけで、嫌なわけではないのだ。

 これは、飾くんへのアピールだ。

 男で見せるのは、飾くんだけ。

 そう思わないとやってられなかった。


 ……どうして、初めての配信直前にこんなに動揺せにゃならんのだ。

 うぅう。


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