21.明け透け
服と髪を正してリビングに戻ってきて、そこですでに正午を三〇分も過ぎていることに気づいた。いろいろと夢中になっていて完全に気づいていなかった。それに気づくとお腹が空いてきたので昼食の準備を始めつつ、榛名ちゃんに通話をかけた。
榛名ちゃんはすぐに通話に出た。
「助かりました、気が沈んでいたところだったので」
ひと言目がそれだった。スピーカーから、アコギを奏でる音が聞こえている。なにか演奏でもしていたのだろうか。
……いやいや、今はそれどころじゃない。
とはいえ、どこまでストレートに話してよいものだろうか。直截的な質問がかえってこれからの関係悪化や気まずさを生み出すこともある。まして、考えたくもない真実を聞かされてしまったらどうにかなりそうだった。
しかし、なにも知らずにもやもやを抱えるのは嫌だった。
「珍しいですね、わたしに通話かけてくるなんて。しかも高校に通っている間なんて」
見かねた榛名ちゃんが会話を促してくれた。
「や、ちょっと訊きたいことがあってね」散々悩んだ挙句上手な質問ができそうになかったので、まっすぐ訊くしかなかった。「飾くんのベッドに榛名ちゃんの髪の毛落ちてたから、どういう関係なのかなぁ……って」
「……? 前にも言った通りですよ。別に飾さんと付き合ってるわけじゃないですし。特にやましいことはないです」
「そ、そっか」
「やらしいことはしましたけど」
「ふぁっ!?」
突拍子もない発言に正常な思考を奪われた。乙女らしからぬ驚き方をしてしまう。
「ご安心ください。飾さんの居ぬ間を狙ってやりましたから。お礼に部屋も片付けときましたし。……ああ、わたしの髪の毛が落ちてたんでしたっけ。それはすみません、迂闊でした」
そういう問題じゃないだろう。
どうにか頭を回転させると、なんとなくは状況がわかった。言葉にするのも憚られるが、デュエットではなく、榛名ちゃんのソロだったというわけだ。気づいて安心したけれど、いやいや、やっぱり問題あるって。
「人のベッドでなにやってんの……? それはやましいことじゃないわけ?」
言葉にしてから、盛大に自分を棚に上げていることに気づいた。
「べつに気にしないですね。オナニーぐらいしますよ、女の子ですもん」
「ぶっ」
言いやがった、私が精一杯お茶を濁してきたというのに。しかし榛名は間を置かず「ひなぎさんはやらないんですか?」と訊いてくるので、何も言えなかった。当然だ。
「わたしのことは気にしないでいいんですよ」
気を遣ったように榛名は言う。
「わたしは将来的に飾さんとくっつくつもりはないんです。だからさっさと既成事実作って世間に公表して、責任とらせればいいんですよ。飾さんも、まあ多少は迷惑かかると思いますがまんざらでもないと思いますし」
「……あのねぇ」
「言いたいことはわかりますよ。人生で初めて人を好きになったみたいですから、臆病になる気持ちはわかります。でも飾さんは基本受け身ですから、心を奪いたいなら積極的に行動するしかないんです」
「そ、そういう話じゃないからっ」
私の心を見透かしながら突っ走っていく榛名ちゃんをどうにか止める。耳が痛い話だった。でも今はそういう話をしたいわけじゃない。
榛名の話の意図が見えないのだ。
いや、大枠の意図は見える。榛名ちゃんは私と飾くんをくっつけようとしている。それはわかる、ありがたい。でも、そうしようとする理由がわからない。どうにも、私の為を思ってくっつけようとしているようには感じられなかった。
私は正直に、そのことについて訊いた。
「わたしでは、ちょっと相性よすぎますからね」
「え」
その発言は、私の想像の斜め上を行っていた。
「……それ、どうして問題なの?」
相性がいいのは、傍から見てもわかる。誇張なしに阿吽の呼吸なのだ。二人で料理をしている瞬間が特にわかりやすい。二人で料理とは関係ない話ばかりしている。それにも関わらず料理は順調に進むのだ。足りない調味料や道具はいつの間にかそれぞれの近くに用意されていて、いつの間にか料理が出来上がっている。周りから見ていると、ほんとうにそんな印象。しかもそれがすこぶる美味しい。最低限食費は出させてもらっているが、ちゃんとお金を支払って食べるべき料理の気がしてならない。
料理だけではない。きっと二人は言葉がなくとも十分な意思疎通ができている。正直、私は榛名ちゃんに負けている。楽器の腕前でも、もしかすると歌唱力でも。
「逆なんですよ。相性がよすぎて破綻する関係もあるんです。だって、生活するうえで一切苦労することなくなにもかも終わっちゃうんですよ。楽ですけど、楽すぎて楽しくない。それは生きるうえではもったいないので」
苦労もまた、人生を楽しくさせるスパイスだと榛名は言った。
「ビールにホップの苦味が必要なのと同じことですね」
「おい未成年」
「あ、これは姉の言葉ですよ?」
その言葉がほんとうなのか訝しむが榛名ちゃんは飄々と受け流す。
「死ぬほど好きですけどね、飾さんのことは」
「…………」
「向こうから気に入られている自覚もあります。わたしがほかの人と付き合ったら、飾さんはかなり嫉妬するでしょうね」
「……それなのに付き合わないんだ」
「ええ」
そのあと、少しだけ会話して通話を切った。
榛名ちゃんの言葉をゆっくりと思い出して噛みしめると、真意が少しだけ見えてくる。
相性の一番よいことが、最善であるとは限らないのだ。喧嘩して仲直りすれば、お互いより成長できる気がする。逆に相性がよすぎて折衝の機会すら起こらないとなると、成長する機会が失われる。
最初だけはすこぶるよい生活が送れるだろう。相性がよい組み合わせなのだから当然だ。
でも進歩が滅多に起こらない。
だから、最終的な到達点は、ほかの組み合わせよりも劣っている。
あくまで、その可能性があると示唆しただけだが、榛名ちゃんの見立てが間違うことはほとんどない。だから、実際にそうなるのだろう。
「……でも、それは天才の考え方だよ」
理解はできる、でも納得できない。
好きなら付き合って結婚して、幸せになりたいと思うのが普通だ。
ある意味では、頭がおかしい。好きだからこそ付き合わない。結婚もしない。
それが最善ではないからだ。自分にとっても、相手にとっても。
「あぁもう、わっかんねぇ……」
私なら、最善でなくてもよいと思う。破綻するかもしれない、がそれはあくまで可能性の話だ。なんなら別に、私が飾くんと付き合っても関係が破綻する可能性はあるだろう。正直、榛名ちゃんが飾くんと付き合った方が、関係が極端に壊れてしまう可能性は低いとすら思う。
だって、現状でほとんどの状況を理解して、付き合わない方がよいと判断を下せるんだぜ? それならどうすれば関係が破綻しないか考えて、実行に移すことだってできるはずだろう。
それに、誰と付き合うのが最善だったかどうかなんて、付き合って結婚したところでわからないことだ。それはあくまであったかもしれない可能性で、私たちは今起こっている現実を生きるしかない。
それなら、自分の感情に正直になったって、いいはずだ。
榛名ちゃんのことは好きだ。音葉さんの親戚だからというのは関係なく、外見が、性格が、才能が、すべて好きだ。
でも、やっぱり彼女の考えていることは、理解はできても納得できない。おそらく、見えている世界が違うのだろう。だからもっと知りたいとは思うけれど、彼女の隣に行けたところで同じものを見られる気がしない。
思わず、溜め息がこぼれる。
「もっと頑張らないとな」
会話しながら作っていた昼食は、概ね完成していた。皿に盛り付けてダイニングのテーブルに運ぶ。適当に作ったカルボナーラだ。黒胡椒の香りが空腹に効くけれど、いざ口の中にそれを運ぶとあまり味を感じなかった。




